「ビールの売り子」に密着取材@神宮球場 後編(全2回)

【大学生になったら売り子をするんだって】

 午後3時30分過ぎ。神宮球場の売り子たちが続々と出勤していた。8月半ばのこの日は、第1陣と第2陣を合わせた160人が、各ビールメーカーなどの色とりどりのユニフォームに着替え、朝礼を終えたあと、それぞれの基地(バックヤード)へ向かった。

 この日は東京ヤクルトスワローズ対横浜DeNAベイスターズ戦。午後4時30分に球場が開場すると、早速、ビールが売れ始める。とはいえ、開場直後はスタンドの観客もまばら。この日はパラッと通り雨があったこともあり、これからが本番といったところだ。

 本格的に忙しくなる前に3人の売り子に話を聞いた。


インタビューに応じてくれた(左から)ももかさん、ちひろさん、はるかさん

 鮮やかな蛍光イエローのキリンビールのユニフォームをまとったのは売り子歴3年のちひろさん。

 高校生の頃に父親と一緒にプロ野球観戦に訪れた際に、試合そっちのけで売り子の輝く姿に目を奪われ、「大学生になったら売り子をするんだっていう強い気持ちが芽生えました」と言う。そして、大学生になり、その思いを実現させた。

「お客さんにビールを買ってもらって『ありがとう』と言われた時は、この仕事をやっていてよかったと思います。それに、基地に戻るとすぐに樽を交換してくれる仲間がいますし、それ以外にも支えてくれるメンバーがいます。ひとりではないなって実感するタイミングがあります」


高校生の頃から売り子の仕事に憧れていたというちひろさん

【観客とアイコンタクト、常連の前は20分おき...売る工夫とは?】

 やりがいを感じているからこそ、3年間も続けられるのだろう。年数を重ねるごとに常連客も増えていったという。それでも、より多くビールを売るために工夫を怠らない。ちひろさんはこう説明する。


すばやいビール樽の交換は男性スタッフの

「カップが空の方を見かけたらアイコンタクトをとることで、お客さんが『ビールがほしい』という意思を売り子に伝えやすいようにしています。いつも私から買ってくれるお客さんに対しては、20分ごとにその方の前を通るようにしています。

(髪につけた)お花は自分を主張できる部分でもあるので、いろいろな色が入っているものにすることでチャームポイントとして認識してもらえたらいいなと思っています。首には自分の高校のタオルを巻いていて、それによって高校野球が好きな方と話をするきっかけになっています」

 インタビューにもハキハキと答えてくれる彼女の最大の武器は、何よりもそのコミュニケーション力なのだろう。

 ピンクのユニフォームのアサヒビールの売り子をしているのは、2年目のももかさん。野球が大好きで「野球に関われる仕事がしたい」と考えた時に、思い浮かんだのがビールの売り子だった。

「幼い頃に球場で見た売り子さんがキラキラしていて、憧れていました」


「売り子は体力勝負だ」と話すももかさん

 野球ファンの彼女だが、じつはスワローズのファンではない。推しチームとスワローズの試合の際にはやはり気になるというが、試合中は当然ビールを売ることに専念している。

 仕事の大変なところを聞くと、「試合の最後のほうになると疲れてきちゃいます。体力が必要です」と答えてくれた。

 売り子が背負う樽は、アサヒビールとサッポロビールが約27杯分でおよそ10リットル。キリンビールが約18杯分、およそ7リットルも入っている。こんなにも重い樽を背負ってスタンドを上り下りするのだから、なかなかの重労働だ。それでも、彼女たちはそんなことをみじんも感じさせない。

「ビールを届けた時にお客さんの笑顔を見られた時が一番うれしい」と、ももかさん。売り子に健気な笑顔を向けられれば、客も自然に表情がゆるむだろう。


重たい樽を背負ってスタンドを歩き回るのは重労働だ

【イベント時は1試合700杯も】

 サッポロビールを担当するはるかさんは1年目。

「もともとアイドルとかかわいい子が好きで、かわいい子がいっぱいいるから売り子の仕事を始めました」

 人一倍声を出すことを心がけている彼女は、元気いっぱい。サワーを担当することもあり、最高で400杯も売り上げたこともある。


売り子1年目、元気いっぱいのはるかさん

 はるかさんの持ち場は外野だが、ゆっくり観戦する客が多い内野に比べて、外野はコアなファンが多いため、「常連をつくるのが大変」なのだそう。

 また、応援しているチームの攻撃中はビールの売り上げがにぶるので、守備側のチームのエリアに売りにいくなどの工夫をしている。表・裏と攻撃が入れ替わるたびに、ライトスタンドとレフトスタンドを行き来するのもなかなか大変だ。

「ビジター席だと地方からいらっしゃっている方もいますし、ふだん接することができない、いろんなご職業の方のお話が聞けるのが楽しいですね」

 大変な仕事の中に楽しみを見出せるのも才能かもしれない。


それぞれのビール販売時の工夫を語ってくれた

 3人にはこの日の目標も尋ねた。

「今日は天候があまりよくないので売りづらい環境だと思うんですけど、200杯以上は売りたいなと思います」(ちひろさん)

「今日は、天候もあるのでヒャク......、大きく出て200杯!」(ももかさん)

「いつも最高記録を更新できるように頑張っています。今日は200杯以上目指して頑張ります」(はるかさん)

 奇しくも3人とも"200杯"という数字で並んだ。

 明治神宮野球場販売部の安留大貴さんによれば、1試合平均で1人当たりだいたい160杯、売り上げが伸びない日で120杯売れるという。多い人だと300杯も売り上げる日があり、ビール半額デーともなると最高で700杯にも上るそうだ。

 この日は、親子の観客が多い「キッズプロジェクト」の開催日でもあり、そのうえ、試合前ににわか雨があり、売り上げがそんなに伸びないことが予想されていた。彼女たちが掲げた200杯という数字は妥当な目標なのだろう。

【樽交換時が束の間の休憩】

 午後6時のプレーボールに合わせて、観客席が急に埋まり始める。

 試合開始の前後は"駆け付け1杯"を頼む人が多く、最も売れる時間帯だ。わずか10分ほどで樽を空にしてビール基地に戻ってくる売り子もいるほど。試合の中盤以降は売り上げが鈍くなるので、序盤が書き入れ時と言っていい。

 試合中は点が入ったタイミングが売れやすい。この日は2回にヤクルトの村上宗隆選手のソロホームランでヤクルトが先制し、その後も得点を重ねた。神宮球場のスタンドに傘の花が咲くたびにファンは祝杯をあげていた。


この日は総勢160人の売り子がビールやソフトドリンクなどを販売

 スタジアムの熱気と蒸し暑さで観客がビールを欲するのも当然だが、喉が渇くのは売り子も同じ。ビールの樽が空になるたびに、売り子は基地に戻り補充するが、そのタイミングで売り子も水分を補給していた。

 試合も終盤に差し掛かると、ビールの売り上げが鈍ってくる。それに合わせて、売り子の人数も減ってくる。

 試合終了までシフトに入れるかどうかは、これまでの実績で決められており、希望すれば最後まで残れるというわけではない。なんともシビアな世界なのだ。

 終盤にビールを購入するのは、一見よりも常連の観客が多いという。何人もの常連を抱える売り子が最後まで残るのは当然の販売戦略だと言えるだろう。終盤の追い込みが、その日の売り上げを大きく左右する。いよいよラストスパートだ。

 試合は、ヤクルトの快勝ムードが一転して、9回にDeNAの猛攻に遭い最後までもつれた。3時間を超える熱戦となったが、辛くも2点差でヤクルトが逃げきった。

 さてさて、話を聞いた3人の売り上げはいかに......。

「174杯。試合開始前後でなんとなくその日の杯数が分かるのですが、その時にあまり売れなかったんです。それを挽回できてよかった」(ちひろさん)

「目標には届かず150杯ぐらい。満席だったのでもうちょっと売れたかなと思うのですが......。でも最後、試合が長引いてそこで売れたので、ちょっとよかったです」(ももかさん)

「181杯。ちょっと届かず。惜しかった。目標にはいかなかったんですけど、頑張って売れたのでよかったです」(はるかさん)


試合終了後に売り上げを精算する売り子たち

 それぞれ目標には届かなかったが、悪条件のなか健闘したと言えるのではないだろうか。

「お腹ぺこぺこです。昨日はカップ麺に締めでご飯を入れて食べました。今日は何を食べるか、決めていないですけど、いっぱい食べます。お肉が食べたい!」とはるかさん。

 翌日にも試合があり、英気を養うのも仕事のうち? 心地よい疲労感とともに彼女たちは家路につくのであった。

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