「俺はヤクザだ! 取り返してこい!」激怒する"忘れ物の主"を撃退したコンビニオーナーの"気の利いた対応"
※本稿は、仁科充乃『コンビニオーナーぎりぎり日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
■深夜2時に訪れた“コワオモテ”のお客
店に行くと、レジの内側に黒い小ぶりのアタッシュケースが1つ置かれてあった。
「これ、何?」
「昨夜のお客さまのお忘れ物です」
「えーっ、こんな大きな物、忘れていかれたの?」
連絡先がわかるものがないかと中を開いてみた。
「??? これはちょっとヤバイかも……」
なかには名刺や住所録らしい書類が詰まっていて、名刺には誰もがその名を知る暴力団の名とマークが印刷されている。とりあえず、仲良しの「駐在さん」である姫野さんに電話するが、出ない。様子をみるしかないと事務所に保管したはいいが、その日も、翌日、翌々日も連絡がない。3日後、ようやく連絡のついた姫野さんの指示で、最寄りの警察署に届けた。
これで一安心と思ったその晩のことだった。深夜2時、バイトの加納君からの電話で叩き起こされた。
「アタッシュケースを取りに来た男性が怒っているのですが……」
加納君は電話口でオロオロと脅えている。
「警察に届けたと伝えたら、『俺はヤクザだ(*1)。すぐ取り返してこい』とおっしゃって……」
夫を起こすと、「う〜ん」と腕組みをして考え込んでいる。どうしようかと思ったが、このまま加納君たちを放置しておくわけにはいかない。上着だけ羽織って、慌てて店へ向かった。店では夜勤の男の子2人が、レジの中で顔面蒼白(そうはく)の状態で立ち尽くし、向かい合うように180センチを超える長身ででっぷりと太った男が立っている。
(*1)俺はヤクザだ このエピソードはもう十数年前のこと。暴力団対策法の規制が強化されたこともあってか、ここ10年ほどは「ヤクザ」を名乗ってのトラブルなどは起きていない。以前は某組の事務所が近くにあり、注文されたワインをなかなか取りに来ないので確認してみると、注文した本人が逮捕されていたことも。
■「ふざけるな! 俺はヤクザだ」
こんな夜中に若い子たちを脅かしてと腹が立ってきたが、まずは作り笑顔で責任者だと名乗る。
「あんたが責任者か。客の忘れ物なんだから、しばらく店に保管しておけよ。断りもなく、おまえらが勝手に警察に届けたんだから、すぐに取ってきてくれ」と落ち着いたトーンで迫ってくる。
勝手に忘れていって、そのうえ3日も連絡せずに放っておいて、何が取ってきてくれだ、と思ったものの、こちらも冷静に、3日連絡がなければ警察に届けるのは通常の業務であることを説明する。だが、男は「とにかく取り返してこい」の一点張り。声を荒らげることはないが、くぐもった低音ですごみがきいている。
「取り返したら連絡をくれ」と携帯電話の番号を書き置いて去っていった。翌朝、警察署(*2)に連絡すると、すでに署内の暴力団取締りの管轄へ回してしまっており、すべて調べたあとでないと誰であろうと渡せないと言う。そうこうしていると、午後5時すぎ、男から電話がかかってきた。
「荷物、取り返せたのか?」
警察の話をそのまま伝えるわけにもいかず、とりあえず「落とし主本人である証明がないと渡してもらえないようです」と言うと、それまでの抑えた口調が一変した。
「ふざけるな! 俺はヤクザだ。おまえのところのミスなんだから、責任取って必ずなんとかしろ!」
耳をつんざくような罵声だ。恐怖感はなかったが、理不尽なことで怒鳴られた怒りで体が震えた。
(*2)警察署 深夜営業をしている小売店を集めて講習する「深夜スーパー等協議会」という会が、年に一度、警察署で開かれていた。ある年、刺股(さすまた)の講習があった。「これなら、力の弱い女性でも、刃物を持った犯人を押さえつけることができます!」。講師の警察官が自信満々に言った。講師による実演が行なわれたあと、「では、実際にみなさんに使っていただきましょう」ということで、女性で一番小柄な私が指名された。犯人役の警察官を刺股で力いっぱい押さえつけようとしたが、押し返され、私は刺股ごとずるずると壁際まで後退した。犯人役の警察官の気まずそうな表情が印象に残っている。
■アタッシュケースの中身は…
「警察が恐いんだったら、私が一緒について行ってあげましょうか?」
精一杯の皮肉で返すと、さらに激怒した。
「てめえ、誰に向かって口きいてるんだ! 覚えておけよ!」
一方的にわめき散らして電話は切れた。すぐに警察署に連絡すると、「何かあれば駆けつけます」と言ってくれて、店へのパトロールの強化も約束してくれた。ところが、この顛末(てんまつ)を知ったバイトの子たちが震えあがってしまった。
「いつあの男が来るかわかりません。マネージャー、今日はこのままずっと店にいてください」
「……」
午後6時に上がるはずだった私は、そのまま翌朝6時まで店に居続けることになった。そのあと7時からは通常のシフトが待っているというのに……。その翌日、駐在の姫野さん(*3)が約束どおり、パトロールに来てくれた。
「あのアタッシュケースの中にはヤクザの名簿や住所録、建設会社とのやりとりの書類など、貴重な資料が盛りだくさんだったみたいですよ。マル暴がすべてコピーとったと言ってました」
姫野さんは笑顔だが、緊急時に頼りにならなかった彼に恨みがましい気持ちが湧いてくる。
「そんなことよりも、姫野さん、肝心なときに全然電話に出てくれなかったよね」
「じつは年休とって、久しぶりに家族で旅行に行ってまして。すみません」
駐在さんも24時間営業、そう思えば、これ以上責めるわけにはいかない。
(*3)駐在の姫野さん 店ではいろいろな問題が起こり、駐在さんを頼ることが多いため、歴代の駐在さんたちとはずっと仲良しだ。店の防犯カメラが役立つこともあるし、地域情報を共有したいのはお互いさまなので、持ちつ持たれつの関係ともいえる。とくに姫野さんはこの町に家を構えて住んでいるので家族ぐるみでつきあいがある。
「でもね、仁科さん、今度またああいうものが入手できたら、まずは僕に渡してくださいね。大手柄になりますから」
「今度また」なんてとんでもない。こんなこと二度と御免だ。さらに数週間後、警察署から1通のハガキが届いた。
「あなたがお届けになりました下記の拾得物は、遺失者が判明し、返還しましたから通知します。拾得物件/アタッシュケース1個」
それっきり、ヤクザからも警察からもなんの音沙汰もない。
■万引き犯の容疑者は小柄な女性
数カ月前から、ものが頻繁になくなりだした(*4)。板チョコが一度に5枚なくなったり、ドラ焼きが必ず毎日1個ずつ消えたり、目につくなくなり方をしだすと、「ああ、まただ」とため息が出る。バイトの子たちにも気をつけてもらい、どの時間になくなるかを見ていると、朝の8時から9時のあいだということが判明した。
私がその時間帯の防犯カメラをチェックしてみると、ある女の子が浮かびあがった。小柄な体格で、顔つきには幼さが残る。きっとまだ学生だろう。商品棚に近づき、商品を手に取り眺める。手慣れているのか、ビデオ画面では盗る瞬間は確認できない。だが、その不審な動きは犯人が彼女であることを示していた。
バイトの子たちにビデオを見せ、この子の行動に注意するよう伝えた。
「この子じゃないと思います」
バイトの女の子がそう言った。
「可哀想。捕まえないでおいてあげてください」
別の子が言う。彼女たちも、こんなに若い子が犯人だなんて思いたくないのだ。バイトの子たちのためにも、そして犯人自身のためにも、私ができるのは一刻も早く捕まえる(*5)ことだけだ。
(*4)ものが頻繁になくなりだした 私たちの店では、商品について、残りがいくつになったから、何をいくつ発注するなどと逐一把握している。だから在庫数が合わなくなると、何が盗られたのかがすぐにわかる。盗られた商品のコーナーを映す防犯カメラをチェックすると、犯人はすぐに突き止められる。
(*5)早く捕まえる コンビニオーナーを30年もやると、万引きはつねにあるというわけではなく、1人現れたのを捕まえないかぎり、その1人がずっとやり続け、どんどんエスカレートしていく、ということがわかってくる。防止策はとにかく早く捕まえることしかないのだ。
■何度捕まえても慣れることはない
この子に間違いないと確信して5日目、彼女が店から出たところで、夫が呼び止めた。万一、振り切って逃げられた場合、夫は若い女の子の腕をつかむことはできないため、私も反対方向からまわり込んだ。
「今、お金を払わないで持ち出そうとしたものがあるよね?」
夫がそう呼びかけると、あきらめたように肩を落として小さくうなずき、促されるままに事務所の中に入った。
「あなたが毎日盗っていくの、ずっと気づいていたんだよ」
話しかけながら、私は泣いてしまう。万引き犯ならもう何十回も捕まえてきた(*6)。でも慣れることはない。私は捕まった当人よりも動揺し、オロオロしながら話しかける。
「あなたがこんなことをすることで大勢の人が傷ついているんだよ。バイトの女の子たちもみんな『この子がそんなことをするはずがない』って言ってたの。食べられもしないほど大量に盗っていくのは本当に欲しいわけじゃないよね」
この春、親元を離れ、1人で生活を始めたストレスか何かでこんなことをしてしまったのかもしれない、などと考えていた。だが、うつむいたままポツリポツリと話す彼女の言葉からそうではないことがわかった。
(*6)何十回も捕まえてきた 小学生から80歳をすぎた老人まで、老いも若きも男も女も捕まえてきた。貧しい身なりの人も、ブランド物に身を包んだ人もいた。悲しいことだが、こういう人はしない、なんてことはないのだ。
■「自分だけ不幸だと思ったらいけないよ」
幼く見えた彼女はもう20歳を超えていて、運転免許証も持っていた。両親のことを尋ねると、父親とは別に住んでいて、「母は……」と言いかけて言葉を途切らせた。職場がこの近くにあり、仕事に行く前に訪れては万引きを繰り返した(*7)という。
高校生のころから万引きが止められず、もう何度も捕まっているのだとも話した。どうりで手慣れていたはずだ。
「職場の先輩たちがもうすぐこの店に買い物に来るはずなんです。そのときに私が警察に連れていかれる姿を見られたら困るんです……」
「あなたの職場の人たちに知られるようなことはしない。そのときは事務所で待ってもらうから大丈夫」
私がそう言うと心細げにうなずいた。警察に通報し、到着まで事務所で待つように伝えると、彼女は電話を取り出し、職場に急用で少し遅れる旨を連絡した。その手慣れた様子を見ながら、何をどう話せば、彼女の心に伝わるのか、ほかの店でももう二度とこんなことをしないで済むようになるか……ぐるぐるといろいろな思いが錯綜(さくそう)した。
警察がなかなか来てくれず、私は彼女に話し続けた。
「もしかしたら、あなたはご家族のことで人に言えない悲しみがあったのかもしれないね。でも、私たちもそうなの。私たち夫婦も幼くして親を亡くして、あなたの年には両親ともいなかった。だから自分だけ不幸だと思ったらいけないよ。みんなつらいこと、悲しいことを背負って生きてるものだって私は思ってるの」
彼女はうつむいたままだ。警察はまだ来ない。
(*7)万引きを繰り返した 万引きのほかに「内引き」(従業員による商品や金銭の着服)も何回か経験した。事務所内の事情に精通していなければできない所業なので、内引きは確実に見つかる。「この人なら」と決めて採用した人に裏切られるつらさと同時に、自分の「人を見る目のなさ」を思い知らされる。
■誠実さを感じた「お詫びの手紙」
「あなたは若くて体も健康そうだね。私は年をとってリウマチになったの。だからびっこを引いてるでしょ。おばさんが店でチョコを1個110円で売っていくらの儲けがあると思う? 商品をどんどん持っていかれたら、生活が苦しくなるの。わかるでしょ?」
びっくりしたように彼女は顔を上げて私の目を見た。そんなこと思いもよらなかったという表情だった。30分ほどして駐在さんが駆けつけ、その数分後に2人組の制服姿の警察官と、2人組の私服の刑事さんがやってきた。総勢5名の警察官で事務所内はものものしい雰囲気になった。
事件として訴えるか、と尋ねられた。私たちは2人とも首を横に振った。「ただ」と私は条件をつけた。
「二度とこんなことをしなくて済む(*8)ように、彼女には必ず病院へ行ってカウンセリングや治療を受けるという約束をしてほしいんです」
その10日後、彼女からお詫びの手紙が届いた。これまで彼女自身が盗ったかもしれないと思うだけの金額が同封されていた。住所と電話番号と本名が書かれていることに彼女の誠実さを感じることができた。
(*8)二度とこんなことをしなくて済む 欲しいものを盗って店を出たとしても、あとからビデオチェックでバレ、後ろ指をさされることになるかもしれないし、ネット社会ではその行為が拡散されることだってある。万引きは「割に合わない」犯罪だということを知っていただきたい。
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仁科 充乃(にしな・よしの)
コンビニオーナー
1960年代生まれ。1990年代に夫婦で大手コンビニのフランチャイズオーナーに。以来、約30年にわたり毎日店舗に立ち続け、もうまもなく3回目の契約更新を控える現役オーナー。2023年7月10日で、1057連勤。著書に『コンビニオーナーぎりぎり日記』(三五館シンシャ)がある。
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(コンビニオーナー 仁科 充乃)