「労基署には行かないように」上司のパワハラを訴えた非常勤職員に、埼玉大学がとった信じられない対応
■きっかけは個人情報の漏洩だった
「もともと私にハラスメントをした人物は1人だけだったのですが、その被害を相談したことで、最終的には大学から組織ぐるみでハラスメントを受けることになりました。ハラスメントと感じた13件の行為をハラスメント防止委員会に訴えましたが、約1年半が経って大学が認めたのは2件だけです。しかも、被害はいまも続いています」
埼玉大学に非常勤職員として勤務するAさんは、2020年4月からハラスメントに悩まされてきた。きっかけは、上司から自分の個人情報を漏らされたことだ。
Aさんは新年度に入ったタイミングで、諸手当の申請などのために個人情報を更新した。ところが、時間管理員として人事Webシステムにアクセスする権限を与えられていた上司が、Aさんの個人情報にアクセスし、興味を持った部分について少なくとも2名の職員に漏洩した。ここでは内容は伏せるが、上司はAさんの個人情報に対する感想まで述べていた。
上司からのハラスメントと感じる行為は、これだけではなかった。
■「労基署に行かないように」
2021年7月にはある職員から、連日の残業や土日の業務を上司に強いられて悩んでいることを打ち明けられ、Aさんはその事実や数々のハラスメント行為を、上司よりも上の所属長に相談した。学内のガイドラインには「まず、同僚や上司、先輩や教員(所属を問わず)等身近な信頼できる人に相談すること」と記されていたからだ。
ところが、所属長はAさんに対し「相談された行為はパワハラとは言えず、コミュニケーション不足が招いたもの」だとして相手にしなかった。しかも、学内で複数の人物に相談したこと自体が「コンプライアンス違反」だと言ったのだ。
所属長はさらにAさんに対して、今後同じ職場で働きにくいだろうから異動を考えてもいいけれども、その際は自分で希望して異動したことにするようにと求めた。その上で「労基署に行かないように」と発言した。
■労働局は「大学の自浄機能を信じましょう」
「労基署に行かないように」と言われたことに驚いたAさんは、大学のハラスメント相談の窓口である人事課に相談する。すると、当時の人事課長は、相談メール全文を発言の当事者である所属長に転送した上、「労基署に行かないように」という所属長の発言を容認し、「問題ないでしょう」と回答した。Aさんは大きなショックを受け、もはやどこに相談していいのかもわからなくなってしまった。
ハラスメントの相談を否定された上、異動を迫られたことで、Aさんは体調を崩した。眠れない日々が続いて体重は5キロも減少し、体中にじんましんが出ることもあった。しかし、このままではいけないと考えて、厚生労働省の電話相談で埼玉労働局を紹介してもらい、2021年8月に窓口を訪れた。
Aさんによると、労働局の担当者は話を聞いて、「ハラスメントに間違いない」とAさんの主張に理解を示した。その上で、埼玉大学の正式な相談窓口に訴えて、正当な判断をしてもらうようにアドバイスをした。「埼玉大学には必ず自浄機能がある。信じましょう」という担当者の言葉に、Aさんは少し落ち着きを取り戻した。
■「異動要望書」へのサインを迫る
しかし、大学のハラスメント防止委員会はその期待を裏切ることになる。8月末に上司と所属長のパワハラを訴えたところ、調査が開始されたのは11月末で、Aさんへの事情聴取は1回だけ。2022年2月にハラスメント防止委員長から「所属長と上司による一連の行為は業務上当然であり、ハラスメントには該当しない」という結果がAさんに伝えられたのだ。
さらに、この間にAさんにとって信じがたいことが職場で行われていた。Aさんがハラスメント防止委員会に訴えたことを知った所属長と上司が、「Aはモンスタークレーマーだから異動させるべきだ」と主張する会合を何度も開いていたのだ。
その場で上司は、Aさんに関する「異動要望書」を配布し、「課内の職員が多数同意すればAを異動させられる」として、他の職員にサインするよう迫った。当然のことながら埼玉大学には「多数の同意で非常勤職員を異動させる」という制度は存在しない。このような行為がハラスメント防止委員会の調査中に行われていた。
しかも、ハラスメント防止委員会が「ハラスメントには該当しない」と結論を出したあと、Aさんは上司と「意思疎通ができていない」ことを理由に勤務評定で評価を下げられた。そして、これまでの業務内容と全く関係のない部署への異動を命じられた。理由は「減員計画による」ということだったが、もともといた部署は慢性的な人員不足で増員も決まっていたことから、Aさんには詭弁(きべん)としか思えなかった。
■認められたのは被害に遭ってから3年後だった
この事態を受けて、Aさんは埼玉大学教職員組合に相談した。教職員組合も大学側との交渉に乗り出す。その結果、2022年6月に調査のやり直しが決まる。Aさんは「異動要望書」の件も含め、13件のハラスメント被害を訴えた。
ハラスメント防止委員会の審議結果が出たのは、2023年3月30日だった。Aさんを異動させようと画策したことと、「異動要望書」へのサインを職員に求めたことの2件については、「業務上の相当な範囲を超えており『人間関係の切り離し』に当たる」として、パワーハラスメントにあたると判断した。
被害に遭い始めてから約3年、ハラスメント防止委員会に訴えてから約1年半、調査のやり直しから9カ月と長い時間が経過して、ようやく出た結論だった。しかし、最初にAさんが個人情報を漏らされた件を含む他の11件については、ハラスメントとは認められなかった。
■「報復行為と言えるような根拠は確認できない」
Aさんは異動に対しても不服申し立てをしていた。その調査は大学の事務局長管轄で行われ、ハラスメント調査と同時に結果が出た。ところが、その内容にAさんは驚く。
Aさんの異動については、「ハラスメントを訴えたことに対しての報復行為と言えるような根拠は確認できませんでした」として、「妥当」と判断した。その上で、「職場で円滑なコミュニケーションが取れていないことについて、今後改善を要する」というAさんへの評価についても「妥当」と回答した。
ハラスメント防止委員会と、事務局長管轄による調査の結論に対して、当然ながらAさんは納得できていない。
「認められなかったハラスメントについても証拠があります。にもかかわらず、このような結論を出したのは、私が非常勤職員という弱い立場であり、訴訟もできないだろうと考えているからではないでしょうか。
『人間関係を切り離した』というハラスメントを認めながら、一方で『コミュニケーションが取れていない』ことを理由とした異動が、妥当であると結論づけたことにも、首を傾げざるをえません。私の人権が無視されている状態です」
■ハラスメント認定件数すら非公表
埼玉大学はAさんからのハラスメントの相談はごく一部を認めただけで、相談に対するAさんへの報復と受け止めざるを得ない人事異動や人事評価を容認した。国立大学法人として考えられない姿勢に、Aさんは失望している。
「一連の問題がもみ消されてしまっただけでなく、国立大学として、また教員を養成する教育機関としての倫理観、使命感が失われているのではと危惧しています」
埼玉大学のハラスメント防止委員会は、Aさんに対するハラスメントを認めた結果を公表していない。公表していない理由などについて大学に質問すると、「関係者のプライバシー保護等の観点から、個別の事案に係ることについては回答を差し控えさせています」と何も明らかにしなかった。
また、公表基準について質問したが「ございません」と回答があった。埼玉大学ではハラスメントの年間の認定件数なども一切公表していない。このような状態では、埼玉大学のハラスメント対策が適切に行われているのかどうか、何の検証もできないのではないだろうか。
■大学内ハラスメント「相談件数は増加傾向」
大学で起きているハラスメントは、労働問題に取り組んでいる弁護士によると「明らかに相談が増えている傾向にある」という。筆者にも大学関係者からハラスメントの被害に遭ったという情報が多数寄せられている。教職員が上司からハラスメントを受けたケースや、大学院生がハラスメントを受けたケースなどが多く、問題なのは大学内の窓口に相談しても取り合ってもらえないことだ。
さらに、埼玉大学のケースのように、職員や教員が上司によるハラスメントを訴えた場合に、逆に報復のような人事や雇い止めを受ける事案は、他の大学でも実際に起きている。理事からハラスメントを受けたとして窓口に申告しても、「理事のパワハラは一般の教員が申告しても調査しない」と主張する大学も存在する。
また、大学で起きているハラスメントの実態がわからないことも問題だ。国立大学協会では、国立大学のハラスメント相談窓口などの一覧をホームページで公開しているが、各大学の相談件数や認定件数、処分件数などは把握していない。
■第三者の目を届かせるべき
協会は「各大学において規則等を定め、適切に対応しているものと理解しております」と話すが、適切に対応しているのかどうかの検証はない。
このように大学内のハラスメントが横行し、「野放し」のような状態になっているのは、大学に限らず教育現場でのハラスメントを解決する機関や機能を、文部科学省が持っていないことも一因だと考えられる。
ハラスメントの防止や起きた事案について適切に対処できるかどうかは各大学の対応次第のため、ばらつきが出てくるのは当然だろう。しかも、調査を担当するのが学内の関係者という大学が多く、第三者の目線を入れずに実際に機能していると言えるのかどうかは疑問だ。
言うまでもなくハラスメントは人権侵害だ。とりわけ大学内のハラスメントは、絶対的な上下関係のもとで発生し、しかも研究室など閉ざされた空間で起きることが多いため、実際には泣き寝入りしている人も多いだろう。
ハラスメントを受けて大学を去るようなことにあれば、研究者や学生の場合はそれまでの努力も失われ、人生も大きく狂わされてしまう。歯止めをかける仕組みがなければ、教育・研究機関としての組織が崩壊することもあり得る。常に第三者が調査に入ることや、大学のハラスメント対策に取り組む機関を設けるなど、国を挙げた新たな対応策が必要ではないだろうか。
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田中 圭太郎(たなか・けいたろう)
ジャーナリスト
1973年生まれ。大分県出身1997年、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒。大分放送を経て2016年からフリーランスとして独立。雑誌やWebメディアで大学の雇用崩壊、ガバナンス問題、アカハラ・パワハラなどの原稿を多数執筆する。著書に『パラリンピックと日本 知られざる60年史』(集英社)、『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)がある。
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(ジャーナリスト 田中 圭太郎)