京都史上最年少キャプテンは「お前、誰だよ」からのスタート…21歳のMF川颯太は直感で「俺がやるしかない」
サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー07
川粼颯太(京都サンガF.C./MF)前編
2011年にJ1から降格して以降、長らくJ2から抜け出せずにいた京都サンガF.C.にとって、2021年は大きな転換点となるシーズンだった。
新たに者貴裁(チョウ・キジェ)監督を迎えた京都は、前年の8位から2位へと一気に順位を上げ、12年ぶりのJ1復帰。そんな重要なシーズンで際立つ働きを見せたのが、当時弱冠20歳のMF──川粼颯太である。
2020年に京都U-18からトップ昇格を果たした川粼は、プロ2年目となる2021年にアンカーとしてレギュラーに抜擢されるや、優れたボール奪取能力を発揮。チームに不可欠な存在となり、京都をJ1昇格へと導いた。
それから、およそ1年半──。川粼はチーム内における存在感を強めるばかりか、21歳にしてクラブ史上最年少のキャプテンとなり、2年目のJ1に挑んでいる。
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川粼颯太(京都サンガF.C.)2001年7月30日生まれ
── 山梨県甲府市出身の川粼選手は、小さいころからヴァンフォーレ甲府のファンだったそうですね。
「年パス(シーズンチケット)を買って、1年を通してホームゲームは小瀬(スタジアム)で見て、アウェーゲームは友だちの家のスカパーで見て......。ずっと応援していましたね」
── 憧れの選手はいましたか。
「今はサンフレッチェ広島にいる柏好文選手です。ドリブルで相手を切り裂く姿に憧れました。小学生の時には同じ(背番号の)18番を選んだり、ミズノ(のスパイク)を履き始めたのも、柏さんの影響があったかな」
── 川粼選手自身も甲府のアカデミーに所属していました。
「僕が小学3年生の時に甲府のジュニア(小学生チーム)ができて、僕が2期生でした。1個上の1期生の試合を見に行ったりして、親とも話して『ヴァンフォーレがいいんじゃないか』ってことでセレクションを受けました。そのままの流れでジュニアユースにも上がった、という感じです」
── それがなぜ、ユースへ上がるタイミングで京都サンガへ?
「ジュニアからジュニアユースは、当たり前のようにそのまま上がるもんだと思っていたんですけど、親と進路の話をするなかで、『ただ上がるだけでいいのか。もっと真剣に考えたほうがいいんじゃないか』ということを言われて。
ジュニアユースの先輩に、山梨学院(高校)や静岡の高校へ行く人がいた影響もあって、ほかの選択肢も考えてみようと思いました。親の希望として、サッカーだけではなく文武両道というのもあったので、その条件でいくつかピックアップしたなかから京都を選びましたね』
── 親もとを離れ、生活習慣も違う関西へ行くことへの不安はありませんでしたか。
「うーん、当時はどうだったんですかね(笑)。家を出ることに関しては大きな決断だったかもしれないけど、関西っていうのはあまり気にしてなかった。むしろ、自分のことをまったく知らない人のなかでやるほうが、自分には合ってるかなと思ってました」
── 実際に京都U-18に入ってみて、どうでしたか。
「もう本当に、メチャクチャ成長させてもらった3年間でした。2個上の財前淳選手とか、1個上の福岡慎平選手とか、毎日、毎日、(年代別日本)代表レベルの選手とバチバチやれたことは、本当に自分のなかでは大きくて。
(甲府から来て)『お前、誰だよ』っていうくらいのところからのスタートだったので、這い上がるのに必死でしたけど(笑)。だからこそ、たくさん成長させてもらえたなと思います」
── その成長がトップ昇格につながった。
「(昇格が決まったという)話を聞いたのは、(高校3年の)7月の後半だったと思いますけど、その時はうれしいというより、驚きのほうが強かったです。
(同期の)山田楓喜とかは高1の頃からトップの練習にも参加していましたけど、僕は高3になってから(トップに)上がれなかった同期と同じくらいの頻度で参加する程度だったので......。『たぶん注目してもらえてないんだろうな』と思っていましたから。大学とか、ほかの進路も考えていたところに突然言われたので、ビックリしました」
── トップ昇格1年目の2020年序盤は、なかなか試合に出られない時期がありました。トップの壁は感じましたか。
「まずは、認められてないな......っていうのが一番でした。僕がプロ1年目の時はコロナでロッカールームがほぼ使えず、練習もグラウンドに集まって、そのままグラウンドで解散。先輩と話す機会もなく、自分を理解してもらうのに時間がかかりましたし、けっこう苦しい時期でした」
── それでも夏にトップデビューを果たすと、徐々に出場機会が増えました。
「一番下からのスタートでしたが、いつかは絶対に出てやるっていう気持ちだけは、ずっと持っていました。
デビュー戦のアルビレックス新潟戦(2020年J2第13節)は、自分で思っていたよりもかなりいい出来で、そこから監督やチームメイトも自分のことを認めてくれたと思います。スタートダッシュがうまく切れたからこそ自信を持ってプレーできたし、U-19とかの年代別代表(選出)にもつながったのかなと思います」
── 者貴裁監督が就任した翌2021年になると、川粼選手はレギュラーポジションを獲得。チームもJ1昇格を果たしました。
「者さんには最初に出会った時から『お前がもっとチームを引っ張れ。ただ試合に出て満足しているだけの去年からは変わらなきゃいけない』って言われてきました。
けっこう悩み苦しんだ1年でしたけど、1年間通して試合に出られたのは非常に大きかったですし、それでJ1昇格も掴めた。今振り返っても、自分にとって大きなシーズンだったと思います」
── 充実に見えたシーズンで、どんなことに悩み苦しんだのですか。
「40試合以上出させてもらいましたけど、自分のなかでは、どこかに少し『本当に今の実力でポジションを掴んでるのかな。(将来性に)期待されているから出してもらえてるのかな』っていう気持ちがあって。
当時は庄司(悦大)さんとか、森脇(良太)さんもいましたし、そういうすばらしい先輩がいるなかで、『果たして今、自分が出るべきなのか』とか、『もしボランチが庄司さんだったら、今の攻撃はもっとうまくいってたんじゃないか』とか、ちょっと考えちゃう時期がありました」
── とはいえ、者監督の目指すサッカーとの相性のよさは感じていたのではないですか。
「それも徐々に、だと思います。プロ1年目は、取ったボールを(失わないことを優先して)バックパスすることも多かったんですけど、やっぱり取ったボールこそ自分で運んだり、前につけたりしなければいけない。2年目になって、そういうことが段々とできるようになってきました。
たとえば、ファジアーノ岡山戦で決めたゴール(2021年J2第20節。中盤で引っ掛けたボールを自らドリブルで運び、最後はピーター・ウタカとのパス交換でペナルティエリア内に入り、シュートを決めた)は、1年目だったら絶対になかったゴールでした」
── 昨季は自身初となるJ1でのシーズンでした。どんなことを感じましたか。
「僕が小さい頃、スタジアムやテレビで見ていた選手がゴロゴロいて、とてもレベルが高かったですけど、『自分も全然やれるな』とも思いました。
ただ、やれるなと思うなかでも、この試合はできたけど、この試合はダメだったっていうの(波のある試合)が多すぎて......。1年間パフォーマンス高くやり続けるのは、すごく難しいリーグだなって感じましたね」
── 昨季は終盤に苦しみながらもJ1残留。そして迎えた今季は、チームの新キャプテンに就任しました。いつ、誰から、どのように伝えられたのですか。
「昨年11月に(U-21)代表のヨーロッパ遠征から帰ってきた次の日がチーム(活動の年内)最終日だったんですけど、その時に者さんに呼ばれて、『来年、お前にキャプテンをやらせようと考えてる』って言われました。
それで年が明けて、シーズンが始まる何日か前に電話をもらって、『本当にキャプテンやるか』って聞かれた時に、『やらせてください』って言いました」
── まだ21歳で、周りには年上の選手も多い。難しい決断だったのではないですか。
「そんなに深く考えなかったですかね(笑)。直感で『俺がやるしかないな』って思いました」
── その分、重い荷物を背負うことにもなります。
「余計な荷物なのかもしれないですけど、それを背負っていてもチームで一番いいプレーをするくらいじゃないと、海外にも行けないし、日本を背負ってオリンピックも戦えない。
もしかしたらキャプテンをやらず、自由気ままにやっていたほうがいいプレーができるかもしれないけど、ここを乗り越えられるかどうかで、自分のサッカー人生が大きく変わってくる。今はその重圧を背負ってプレーできることが、自分にとってはポジティブなことだと思っています」
── 今季ここまでのチーム状況を、キャプテンとしてどう見ていますか。
「チームとしてはまったく問題ないと思っています。そこの軸はブレてない。(第3節からの3連勝後に)連敗した試合でも、自分たちのやりたいことはできていましたし。
戦い方うんぬんというよりは、細部のところや、自分たちがあと少しの勇気を持てるかどうか。今はそういうところが試されていると思います」
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【profile】
川粼颯太(かわさき・そうた)
2001年7月30日生まれ、山梨県甲府市出身。小学4年生からヴァンフォーレ甲府のアカデミーで育ち、高校から京都サンガF.C.U-18に加入。2020年にトップチームに昇格し、プロ2年目にレギュラーの座を獲得する。今季より背番号7に変更してキャプテンに就任した。日本代表ではU-18から各年代で呼ばれ、昨年はドバイカップU-23や欧州遠征を経験。ポジション=MF。身長172cm、体重70kg。