さしみちゃん(本人インスタグラムより)

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 もしあなたがエレベーターに乗ろうとした際、車椅子利用者がいたら。もしあなたが仕事上、車椅子利用者にサービスを提供する側であったら……。どのような対応を取るだろうか。

【写真】エレベーターでの割り込みされた動画をアップ、炎上後に削除したが再掲した

車椅子乗車でため息

《やってもらってあたりまえ的な人は少ないですが一定数います》

《何でもかんでも周りが最大限気を使い、喜んでお世話してくれるのが当然!みたいな感じの方もたまに居ます》

《ため息位勘弁してあげてくださいと言いたい》

 これらは先日配信され、多くの反響が集まった《車椅子で乗車したら「ため息をつかれたうえ、文句を言われました」 悲しむ女性の投稿に、運転手への非難の声が殺到》(クーリエ・ジャポン)という記事に寄せられたコメントだ。

 内容をかいつまんで説明すると、海外でUber(日本でメインとなっているフードデリバリーではなく、配車サービス)を利用した車椅子の外国人女性が、「車椅子をトランクに入れてもいいですか?」を聞いた際、運転手に意図的なため息及び文句を言われた。そのような対応をした“運転手”に、海外において批判の声が殺到している、というもの。

 “運転手への非難の声が殺到”という記事に、すべてがそうではないが、冒頭のように運転手に向けての非難ではなく、車椅子利用者に否定的な意見が多く集まるという、逆転が生まれている。

 SNSやYouTubeで車椅子利用者の生活、実態、問題などを発信している『車椅子ギャルさしみちゃん』に、この件についての印象を聞いた。

「日本では現状、障害者差別が根強く、基本的な移動の自由にまつわる人権の意識が低いと感じました。“電車を思うように使えないならタクシーを使え”とよく言われますが、実態は日本でもタクシーの乗車拒否や嫌味を言われるのは日常茶飯事です」

 さしみちゃんの発信には冒頭の記事と同様に否定的な声が寄せられることが少なくないという。

エレベーターで割り込まれて

 特に今年2月の投稿には否定的な声が集まった。駅でエレベーターを利用しようとした際、後ろから割り込みされた様子の動画をアップすると、批判の声が上がり、炎上してしまう事態に。理由は《乗ろうとしてるのかわからない》《急いでいる人もいる》などなど……。ちなみに公共交通機関におけるエレベーターは、車椅子利用者が優先となっている。

「私のエレベーターの件もそうですが、実態をシェアしても、この記事のコメントのような批判が寄せられると思います。どうしても“障害者はやってもらってるんだから、文句言うなんてわがまま”、“やってもらって当然だと思っている”などの声が、記事の内容にかかわらず必ず巻き起こるのは、どうしてなのか……。どういう意識や認知バイアスが根底にあるのかは、まだ私も分析できていないのが現状です」(さしみちゃん、以下同)

 彼女の本業はグラフィックデザイナーである。車椅子を利用するようになった経緯は――。

「先天性の障害を持っていたので、生まれた時から自力で長距離を歩くのが難しかった。『点状石灰化骨異形成症』という日本に1人しかいない障害で、杖をついて歩行していたのですが、進学や障害の進行に伴い、電動車椅子を常時使用するようになりました」

 エレベーターで割り込まれたという投稿で炎上する事態となったが、その声は誹謗中傷のレベルにも及んだ。容姿に対してのもの、彼女のパーソナルな部分へのもの……。

《見た目が醜いから譲られなくて当然》

《低姿勢で小綺麗なら助けてあげる》

《そんな体に産んだ親を恨めば》

「障害者がどうとかではなく、本当に困っていた時に“困ってます”と声を上げたら、批判が起こってすごくショックでしたし驚きました。私は運良くそれまではそれほど障害者ヘイト、差別のようなものに直面してきませんでした。しかし、根底として障害者に対する差別や偏見はものすごくあるんだなと感じました。

 “助けてもらって当然と思うな”というような声が上がりますが、そんなことはひと言も言っていないのに、問題提起として投稿するとそう受け取られてしまう。一方で、“気づかせてくれてありがとう”であったり、“声を上げてくれてありがとう”などの声をいただくこともあります」

 障害者を“弱者”と見ている人は少なくないだろう。批判や誹謗中傷に対し、さしみちゃんはリプライ(返信)を送り、応戦することもある。その意味で彼女は、“強い”といえるのかもしれない。時にその言葉は丁寧なものではないかもしれない。しかし、それには理由もある。

SNSやYouTubeを始めたきっかけ

「障害者の方で社会を変えたいと発信、活動してきた方はこれまでもいらっしゃいました。そういった方々は教育的な側面が強かったりとか、平たい言い方ですが“堅いもの”が多かったと思います。障害者の方に“思いやりを持って接しましょう”みたいなことは、いろいろなところでもう何十年も言われ続けてきたと思いますが、社会は変わっていませんし、むしろちょっとひどくなっているのではないかと思います。 “心のバリアフリー※”というようなボカしたような言い方を続けていてもやっぱり耳目は引き付けられない。

 そういったものではなく、周りの友達と遊んでいるなかで気づいたことであったり、若い人たちが好んでエンタメの枠として見るようなものにしたいと思ってSNSやYouTubeを始めました」

(※『心のバリアフリー』とは、内閣官房が東京五輪を契機に“様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深める”ために推進している施策、及びそのキャッチコピー)

 しかし、それによって敵対視されてしまうことも……。他ならぬ障害者の方からの声だ。

「多くは私の外見に対して“もっと地味な格好をしろや”とか、収入に対する声であったり、“自分は自由に病院から出ることやヘルパーさんなしで生活することができない。それができるだけマシだ”などの声が多い印象です。今はSNSやYouTubeは誰でもできるものです。“あなたみたいな人が障害者の代表だと思われたら困る”とか“車椅子の人はみんなこうだと思わないでくれ”とか、“私は譲ってほしいなんて思わないですけどね”とか言ってくる人がいるんですが、だったらそれを私に言うんじゃなくて、あなたも発信しすればって思います。

 障害者にもいろいろな人がいるんだという認知が浅いのだと思います。そういった人は自分の意見を自分のメディアで発信すれば、“いろんな人がいるんだ”ということの認知が深まると思います。もちろん障害の度合い、それによる金銭的事情などもありますが」

 障害者の“態度”への批判的な意見に対し、さしみちゃんは当事者ながら「言ってることもわかる」とも話す。

「必要」とする人と「必須」でない人の棲み分け

「電車で駅員さんの介助を受けて乗るとき、車椅子の人が2人いたら1つのスロープを使って、一緒に同じ電車に乗ることが多いです。

 制度としては当然かも知れないけど、所作を見ていると“やってもらって当然”という感じだったり、お礼も言わない、駅員さんが“大丈夫ですか?”と声をかけてくれたのに、“うるせぇ”と言った人を見たことがあるので……。“当然と思うな”という声がたくさん上がるということは、そう思わせてしまう障害者も多いのではないかと思います」

 今後、車椅子をめぐる環境、そして社会をどうしていきたい、どうなってほしいと考えるのか。

「国土交通省にエレベーターしか手段のない人や必要な人のために適切な優先利用のためのシンボルマークの拡大を求めています。それによって今よりたくさんの人がこの現状を把握し、自然な譲り合いが行われ、“本来必要とする人”と“必須ではない人”との合理的な住み分けを定着させたいです。

 交通弱者からの声かけが必須かつ、声をかけても無視される・嫌がらせに合う世の中ではなく、他の手段が使える人は極力エレベーターを使わない、居合わせた場合は自然に譲るというような世の中に変わっていってほしいです。

 こういった話題は障害者だけが声を上げているとどうしても角が立ってしまうというか、ヘイトも集まりやすいので、社会全体の大きな動きになってほしいと思います。それによって、いろんな人が将来、身体が不自由になったときとか、お年寄りが増えていく社会の中で、もっと暮らしやすい世の中になると思っています」

 健常者でも障害者でも、“明日の命”に保証がある人間は誰もいない。事故や病気、老いによる症状……。車椅子での生活や何らかの障害が生じることは誰にでも可能性がある。

 ゆえに、この問題は社会生活を送るすべての者に“関係”があるはずだ。