男子バレー盒桐が「複雑な気持ち」だったイタリアでの起用法。それでも「身につけられることがある」と思考を変えた
男子バレー日本代表
郄橋藍 インタビュー前編
郄橋藍は日体大2年時に東京五輪で男子バレー日本代表の主力として活躍し、9年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献。同年の12月の全日本インカレ後、イタリア・セリエAのパドヴァに加入した。
かつては石川祐希も所属したチームだが、シーズン途中での合流ということもあって、本来のポジションではないリベロでプレーするなど厳しい日々が続いた。あらためて郄橋にその1年を振り返ってもらうと共に、そこで得た収穫、日本人対決で感じたものなどを聞いた。
イタリアでのプレーについて語った郄橋
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――現在セリエAでの2年目のシーズン真っ只中ですが、前回のインタビューは東京五輪が終わった直後だったので、あらためて海外のリーグでプレーしようと思った理由から聞かせていただけますか?
郄橋 海外に行きたいと思ったのは、2019年に東山高校のコーチに就任した松永理生さん(石川祐希が在籍していた当時の中央大監督)に石川選手の話を聞いたことがきっかけです。「セリエAの会場での雰囲気は経験したほうがいいよ」といったことも聞き、「海外でプレーしてみたい」という気持ちが芽生えました。
その思いは、東京五輪でメダルに届かなかったことによってより強くなりました。予選ラウンドは突破してもトーナメントで勝ち切れず、世界との高さ、パワーの差を痛感しましたからね。自分のスキルアップのために「チャンスがあれば必ず行こう」と思っていました。
――世界最高峰のリーグ、セリエAでそれが実現した時はどんな気持ちでしたか?
郄橋 まずは「海外でのプレーを経験したい」という感じだったので、リーグのシステムなどすべてがわからない状態でした。ただ、「自分がどこまでできるのか」という楽しみは大きかったですね。
――2021−22シーズンは12月の全日本インカレ終了後、シーズン途中からチームに合流しました。
郄橋 1年目でいきなり途中合流でしたから、チームから信頼を得ることは難しかったです。"お客さん扱い"というか、練習生のような扱いでした。海外での経験を積むことが第一目標だったので割り切っていたつもりですが、途中合流でプレーすることの難しさを知り、日体大のサポートもあって、今シーズンは開幕前に合流することにしました。【石川、西田との対決で感じたこと】
――シーズンを通して控えが多く、シーズン最終盤にはリベロも経験しました。郄橋選手は中学生のときにリベロの経験もあるとはいえ、その起用に思ったことは?
郄橋 確かにリベロで起用されることは、複雑な気持ちにもなりました。でも、僕は12月からスタートしていたので、少しでも試合に出るということがまず必要だとも思っていました。リベロとして、レシーブ力はもちろんですが、リーダーシップなども身につけられるのではないかと思考を変えました。
ただ、アウトサイドヒッターとしてプレーしていくためには、リベロでプレーしてもアウトサイドヒッターとしての能力を落としてはいけない。だから、普段はアウトサイドヒッターの練習をしていました。しかも現状維持じゃなく、少しでも能力を上げていかないといけない。それがイタリアでやっていくために必要だと感じました。
――石川祐希選手、西田有志選手との日本人対決もリベロでの出場でしたね。
郄橋 そうですね。石川選手や西田選手のスパイクを少しでも上げること、サービスエースを取られないことに集中していた。「守備力で負けない」という気持ちでプレーしました。
――次回は自分もアウトサイドヒッターとして対決したい、という思いはありましたか?
郄橋 もちろんありました。その日本人対決があるまでは、翌シーズンも海外でプレーするかどうか、あまり深くは考えていなかったんです。でも、「次のシーズンは早くチームに合流して、アウトサイドヒッターとして出られるようになって戦えることがベストだな」と考えるようになりました。
――チーム合流の時期は先ほども話に出ましたが、中央大時代の石川選手もイタリア1年目は全日本インカレが終わってからの合流でほぼ控えとして過ごし、やはりリベロでも出場しました。それ以降は開幕前にチームに合流し、徐々に主力として使われるようになっていきます。
郄橋 それは石川選手とも、「シーズンの最初からプレーすると全然違う」という話をしました。今シーズンはその大切さを感じています。開幕戦もすごくいい形で入れて、2試合連続で試合全体のMVPにも選ばれた。監督やチームメイトの信頼を得て、自分の最高のパフォーマンスを出すことができました。
――1年目のセリエAのシーズンで経験したことは、今年度の日本代表でのプレーにどのように生かされましたか?
郄橋 代表メンバーの中でも信頼度が高まったような気がします。現在のフィリップ・ブラン監督も、しっかりアウトサイドヒッターとして使ってくれます。世界中からいい選手が集まるセリエAでの練習や試合を経験したことで、高さやパワーに慣れ、気持ちの余裕も出てきました。調子が悪い日でも、徐々にいいプレーを増やしていくことができるようになりましたし、能力は上がっている。それを証明できたからこそ築けた信頼関係だと思います。
――1年目は控えが多くても、日々の練習が力になったんですね。
郄橋 もちろん試合でいいパフォーマンスを発揮するのもすごく大事ですが、チームには海外の代表選手が多く所属していますから、高さやパワーだけでなく、各国の特徴的なプレーも間近で感じながら練習できる。そこで学ぶことがたくさんありましたね。
――昨シーズンにセリエAでプレーした西田選手は、現地到着後に「寂しくて1週間くらい泣いていた」とも話していました。高橋選手はどうでしたか?
郄橋 もちろん寂しさはありました。かなり日本と離れていますし、コロナ禍なので簡単に日本人に会うのも難しく、日本にも帰れなかった。でも、そんな状況の中でセリエAでのシーズンを過ごすことができた達成感は、間違いなく自分の人生にとってすごくいい経験になる、と思って耐えました。海外リーグでプレーする厳しさを知るだけでも世界が広がり、大きな財産になるだろうと。
――ちなみに、石川選手や西田選手とはシーズン中にやり取りをしていたんですか?
郄橋 していましたよ。日本を発つ前にも「現地では何が必要か」といったことも話しましたね。他にもアドバイスをたくさんもらいましたが、意外と自分はどこでも生きていけるというか、順応能力が高いんだなということにも気づきました。先ほど話した寂しさもありましたが、イタリアでの生活にも1カ月くらいで慣れた。言語の壁もありましたけど、心折れずにやっていくことができました。
――普段、オフはどう過ごしているんですか?
郄橋 自転車で中心街に行ったり、散歩したり、カフェに行ったりという感じです。特別に何かするということはなく、オフはリラックスするために時間を使っています。
――食事はどうしているんですか?
郄橋 自炊ですね。レストランにもチームメイトと行くことはありますが、体のことも考えて栄養バランスも気をつけながら料理をしています。
――ちなみに石川選手は、すでに流暢にイタリア語を話していますね。
郄橋 ペラペラですね。
――あんな感じを目指している?
郄橋 そうですね。監督やチームメイトの指示は基本イタリア語ですから。ただ、イタリア以外の国の選手も多いので英語もけっこう飛び交いますし、僕に対しては指示を英語で伝え直してくれることもあります。英語を話せればなんとか生活することもできますが......それでも、ちょっとした会話くらいはできるようになりたい。だから今はどちらも勉強しています。
――2シーズン目を過ごすパドヴァの印象は?
郄橋 けっこう若い選手が多くて、このチームで育って飛躍するというイメージがすごくあります。
――仲がいいチームメイトはいますか?
郄橋 ミドルブロッカーのフェデリコ・クロサト選手です。イタリアの選手で、年齢はクロサト選手のほうが1個下かな。今、彼と一緒に過ごしていることもあって仲がよくなりました。
――パドヴァは二部時代の2009年に越川優選手が加入し、一部昇格の原動力となりました。その後、石川選手も在籍した日本人に縁があるチームですね。
郄橋 本当にチームの関係者やファンもすごく"日本人好き"ですね。日本人選手ならではの守備力の高さ、僕もレシーブの部分で評価されていますし、愛を感じますね。
――郄橋選手は日本だけでなく世界にもファンが多く、SNSのフォロワーもかなり増えていますね(Instagramは116.8万人、Twitterは12.8万人。12月22日時点)。すでに積極的に発信されていますが、SNSの活用についてどう考えていますか?
郄橋 SNSは世界中のファンと交流ができる大事なツールのひとつで、同時にバ
レーボールを広めていくのに必要なツールだと考えています。頻繁に発信することで、少しでも郄橋藍とバレーボールを身近に感じてもらえればと思っています。
(後編:石川祐希とバチバチ状態に。「僕が最初にサーブで狙い始めて、狙われるようになった」>>)
【プロフィール】
郄橋藍(たかはし・らん)
2001年9月2日、京都府生まれ。兄の郄橋塁(サントリーサンバーズ)の影響で小学校2年生よりバレーボールをはじめる。東山高校3年生時にはエースとして国体、春の高校バレーで優勝し、2020に日本代表初選出。2021年の東京五輪では全試合にスタメン出場し、男子バレー29年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献した。現在は、日本体育大学に在学しながら、イタリア・セリエAのパッラヴォーロ・パドヴァで活躍中。