9月は防災月間です。大雨など近年、人や住宅などに甚大な被害を及ぼす水害が相次いでいます。3年前の東日本台風で被害にあった地域の教訓を聞き、改めて防災について考えます。

3年前の2019年10月、栃木県内を襲った東日本台風。大雨によって溢れ出した川の水や土砂崩れで死者4人、住宅被害は1万4千棟を超える甚大な被害をもたらしました。

こちらは浸水被害を受けた地域の1つ宇都宮市の東地区です。南北に流れる田川は普段は遊歩道で散歩もできる穏やかな川ですが、上流で雨が降り続けたこの日は姿が一変しました。

東地区で特に被害が大きかった千波町では午後7時過ぎに上流の大泉橋や下流の東橋の付近から溢れだした田川の水が住宅地に流れ込みました。

当時の自治会長を務めていた北村正さんと自宅が浸水した田中彬文さんです。

北村さん:「午後7時くらいじゃないですか。大泉橋の付近から溢れ出したのは。溢れてきたらここは来られないような状況で」

田中さん:「もう夢にも思わなかったですよ。想定外ってやつで」

自分がいる場所の天気だけでなく、上流で大雨が降った場合の増水についても考えなくてはなりません。

北村さん:「曲がって向こうにぶつかっていったのと、こっちにぶつかってあふれた水は向こうに流れていったコミセン、東小の脇の道路までいって、それが千波町に流れていった。東橋の下流が溢れて千波町に流れていったのが床上浸水になった原因。シダレザクラの下から溢れたみたい」

この周辺の田川はカーブが数カ所あり、大雨で増水し勢いが増した水が曲がり切れずに溢れ出たとみられます。そして、土地が低い千波町に集まり多くの住宅が浸水しました。一方でこれ以上、被害が広がらなかった理由もあります。

田中さん:「助かったのは川が決壊したわけではないから川の流れで、ただ溢れ、水が引いたらさっと引いたという。土手が決壊して水が流れたというとどうしても水が溜まってますよね。1日、2日、そういうものがここはなかったですよね。水が引くのがものすごく早かった」

田中さんの自宅は田川から直線で100メートルほどです。水が溢れてきたときは1階にいたという田中さん、その後、水は床上およそ80センチから85センチまで上がったといいます。

田中さん:「コタツの中から水が出てきて水が溢れたと思ったら今度はイスが倒れる。テレビがドンと倒れてきて洗濯機も浮いてきた状況。何をしていいか分からない」

考える余裕も無いままあっという間に1階部分が浸水、停電で室内は暗くなり田中さんは2階に垂直避難しました。翌朝には水が引き命は助かりましたが失ったものもあります。

田中さん:「思い出の物がなくなってしまった。流されたというよりグチャグチャになってそれが一番つらい。思い出だけは買うことができないから」

さらに、高齢者が多いこの地域では被災直後、復旧に向けてボランティアの力が不可欠でした。

田中さん:「庭わね全部泥だらけ。ボランティアの方が来てくれて全部、中の泥をかいてくれたり炊き出しもそうですし、家の中の壁なんかも壊して、私ら何もできなかったんだけどボランティアの人が全部やってくれた。本当に助かりました。ありがたいと思います」

東日本台風で被害を受けたその教訓は・・・。

田中さん:「宇都宮は災害がない街だと思っていたが災害が起きた。今年は東北や北陸で水害が発生した。いつどこで災害が来るか分からない。肝に銘じて常に自分の身は自分で守ると。何かあったらすぐ避難するか、その状況で家の2階に上がるか」