ツッコミの甘さで論点がボケた?小室哲哉の不倫騒動は一体何だったのか… - 渡邉裕二
※この記事は2018年01月29日にBLOGOSで公開されたものです
BLOGOS編集部
それでも不倫を続ける「アホ」な芸能人たち
「マスコミのツッコミって甘かったよね。全然、ダメじゃない」。音楽プロデューサーの小室哲哉の「不倫疑惑騒動」は、記者会見以降は完全に小室のペースで収束してしまった感じだ。と言うより、この騒動、いつの間にか「不倫疑惑」を報じた週刊文春に対しての批判へと変わってしまった。
しかし、記者会見を見た業界関係者の間からはマスコミの突っ込みの甘さを指摘する声もあった。もちろん、これには一般ユーザーやネットユーザーの見方とは温度差がある。ま、それはそれで当然だろう。
「いい加減に不倫ネタはやめろ」
確かに、ベッキーの〝ゲス不倫〟以来、毎週毎週、これでもかこれでもかと不倫のネタが続く。それこそ挙げたらキリがない。と言うより、これだけ狙われ、記事にされ続けてきているのに、平然と不倫を続けている政治家や芸能人、さらには女子アナ…がいること自体に「何だかなぁ」と思ってしまう。普通…、常識だったら行動を慎むとか警戒するだろう。結局は、そうは言いつつも「自分は大丈夫」だと思っているのだろうが、だとしたら世の中を舐めている、言い方は悪いがアホである。
落語家で上方落語協会会長まで務めている桂文枝などは、もはや論外に近いかもしれない。「芸の肥やし」と言うより「節操がない」。文枝も「昭和の生き残り」とは言っても、次の「平成」も過ぎ去ろうとしている、この時代に、もはや若気の至りではいかなくなっていることを分からないと。
いずれにしても、文春が記事にするのが悪いのか、それでも不倫をしているの悪いのか?
「そんなネタはどうでもいいこと」と言ってしまえば、それまでだが、それはそれで受け手の判断は十人十色だろう。ただ、「不倫」という事実がある以上は記事にされるのは当然だろうと私は思う。しかも、これだけ世の中が記事に対して反応を示しているという言うことは、逆に言ったら「関心が高いネタ」だったとも言える。
もちろん芸能人にもプライバシーはあるだろう。けど「公人」である。それが分かっての行動だろうから書かれたら諦めるしかない。
だいたい、CMなどの契約をしていたら、もっと厳しく日常での生活も制約されているはず。それこそ〝おめでたい話〟であっても、契約先に対しては報告しておかなければ「契約違反」となる。プロである以上は自分に責任を持たなければならないのである。
小室に先手を打たれたマスコミの甘さ
そこで、今回の小室哲哉の「不倫疑惑」は…。確かに、記者会見が始まるや、一方的に「この騒動の責任をとって引退します」と切り出され、さらに妻であるKEIKOの病状や介護までも語られたら、さすがに返す言葉が見つからない。「それ言っちゃオシマイだよ」って言うのが本音だろう。
冒頭で記したように、業界内には「マスコミのツッコミが甘い」と言う意見もあったけど、まさに先手打たれて四十数分も語られてしまったら、正直言って質問もし難い。
だが、冷静に考えたら、今回の論点というのは単に「男と女」の話である。それが、小室マジックというべきか「KEIKOの介護問題」にすり替えられてしまった感じだ。
確かに、看護師との関係で「男と女の関係はなかった」と言われたら、いくら疑おうとも確認も証明もしようもないが、小室自身は「寝たことがある」と吐露しているわけだから、そこは、いくら「男性機能はない…」としても「関係がなかった」とは言い切れないだろう。ところが、いつの間にか、その部分もウヤムヤ。
他にもある。「C型肝炎」とか「突発性難聴」とかで精神的に参っていたことはわかるが、だったら、専門医に行くか入院するのか、早く治さないと、だろう。それが「訪問診療」なのか「往診」なのか分からないが、看護師に来てもらって…じゃないだろう。全く理由になっていない。
そう考えると、マスコミのツッコミは確かに甘かったというしかない。
それに、KEIKOの病状についても、以前は「大丈夫」と言っていたのに、今回の騒動になったら「大変」と言うのもどうか?もっとも、小室とKEIKOの生活や介護している様子を見てきたわけではないので。その部分で無責任なことは言えない。が、いかにも情に訴える会見だったことは言うまでもない。
いわばポイントであろう「引退」にしても、「自発的な音楽活動」と言っているだけで、よくよく考えてみると「全てやめる」とは一言も言っていない。で、さしあたって「自発的な」ものとして考えられるものは、TMネットワークの35周年イベントだろうが、本当に活動する予定があったのか?一部からはボーカルの宇都宮隆に「その気がない」という情報もあっただけに疑問も残る。 そう考えたら、「自発的な活動」というのは、今のところ小室にはほとんどなかったのではないか…。どっちにしても、あれもこれも肝心なことは曖昧に終わってしまったことは否めない。
すべて小室の「作戦通り」か
文春の記事に対してネット上でのコメントは5000件にも及び、そのほとんどが批判だったという。「不愉快」
「不買運動だ」
「何様のつもり」
そこで、記者会見を含め、敢えて今回の騒動を振り返ってみると「やっぱり小室は出たがりだった」と言うことだ。本来なら、こんな騒動で記者会見をする必要はない。無視するか、百歩譲ってコメントを出して済む話だったはずである。それを文春の取材にも応え、さらに自分から記者会見をして長時間の独演会…。
古くから小室を知る音楽関係者は言う。
「小室にとっては作戦通りだったのかもしれない。おそらく精神的に参っているように見せて、実は全く参っていないと思いますね。何かあると社会問題に触れるのも実は小室が使う手なんですよ」とした上で「最近はネタもなかったので、今回の不倫騒動はタイミングがよかったのかも。それに小室というのは、昔から話題がなくなると何かをしでかすところがあるんです。今の気持ち?記者会見をして、これだけメディアで扱われて、内心は喜んでいるはずです」。
いずれにしても、小室にとって音楽活動はライフワークに近かったはずで「引退」というのは説得力に乏しい。何だかんだ音楽活動を続けているはずである。
それに、それほど才能を惜しむ声があるというのなら、小室の作品に対してもっと需要があっただろう。そう考えると、今回のことというのは、所詮は一過性の話題に過ぎない。だいたい小室というのは、常に恋愛していないと曲が出来ないタイプである。そう言った意味では「引退」とか「介護で疲れた」なんて言って煙に巻くのではなく、それこそ「還暦を迎えても、いい曲を作り続けて行きたいんです」と開き直った方が得策だったような気がしてならない。
それにしても、いろいろな意見があるだろうけど、そう言った数々のツッコミの甘さが、あるいはこの騒動の後味の悪さになったのかもしれない。