暴行事件、ベランダ締め出しなどがあっても学校側は「いじめという認識はない」- 千葉・我孫子市いじめ後遺症訴訟 - 渋井哲也
※この記事は2018年01月09日にBLOGOSで公開されたものです
千葉県我孫子市の鈴木多佳子さん(18、仮名)が、小学校4年生のときに起きた暴行事件で被害を受け、頭にけがを負い、それによる不安から、学校に登校できなくなった。保護者は学校に配慮を求めたが、十分な対応がされず、精神的な不安にさいなまれた。多佳子さんは中学生になってからも精神状態が改善されず、症状が悪化、母親の援助がなければ日常生活が困難になったーーとして、事件の加害側となった児童複数とその保護者、十分な対応ができなかった学校(市)を相手に、損害賠償請求を求めている。
12月には関係者の尋問が行われた。児童への指導、学校対応が不十分だとしても、話し合いで解決できなかったのだろうか、という印象を持つ裁判だ。なぜ、訴訟という手段にならざるを得なかったのかーー。
原告は、当時小学生の多佳子さんと、多佳子さんの両親の3人。被告は、事件の加害児童2人とその両親、我孫子市だ。提訴したのは6年前の12年4月。
同級生2人にる暴行事件。目撃証言を集めず.....
訴状によると、多佳子さんは小学校一年のころから、加害女児の一人、田中道子さん(被告、仮名)らに蹴られたり、押されていた。学校側も把握していたが、放置していた。そんな中で、多佳子さんが4年生となった2010年1月14日午後2時40分ごろ、多佳子さんは下校するために小学校の昇降口の階段付近に向かっていた。そこで道子さんは、そばにいた藤原克哉さん(被告、仮名)に、多佳子さんを押さえつけるように指示した。
克哉さんは道子さんの指示に従って、多佳子さんのランドセルを押さえつけた。それに乗じて、道子さんは拳で多佳子さんの額あたりを殴った。その場から逃げようとした多佳子さんを道子さんは追いかけ、階段の踊り場付近で、多佳子さんの頭を複数回ぶつけた。しゃがんだ多佳子さんの頭をさらに壁にぶつけ、頭部打撲と頭部外傷性後遺症等を与えた。このことに関連し、学校側の責任と加害男児の注意義務違反がある、としている。
多佳子さんの母親・優さん(43、仮名)は「多佳子の証言では、以前から、階段の上から多佳子が突き飛ばされていたことがありました。このときは、道子さんに背中を押された後、多佳子が“やめて”と言いながら、道子さんを追いかけた。すると、やり返されて、叩かれていたんです。そして多佳子が逃げ回っていたんです。すると、捕まり、揺さぶられ、頭をぶつけられ、泣き崩れたんです。被告の二人の児童は笑いながら離れていったんです」と話す。
通常、この学校では、昇降口までは担任が、集団下校をさせるために児童たちを見守ることになっている。しかし、このときの4年生の担任は委員会活動があった。そのため、昇降口まで担任が児童たちを見守っていない。通りかかった児童が泣いている多佳子さんを見つけて、教員を呼びにいった。男児もその様子を見ていた。目撃者はこの2人だけと、事故後に作成された資料には書かれている。しかし、道子さんや克哉さんのクラスメイトからは目撃証言を集めていないことがわかった。証人尋問でも当時の担任が明らかにした。
事件は偶発的ではない。1年生からの嫌がらせの延長か?
その後に作成された「事故報告書」がある。担任が手書きで書いたものだ(6月に書かれた「災害報告書」と内容がほぼ同じ)。それによると、道子さんが意図的に多佳子さんにぶつかってきたことが発端であることが記されている。「翌日、額にも打ち身があることに気がついた」ともある。「保護者の反応、態度」欄には「当該児童が頭痛を訴える事を案じている。加害側の児童が更生するかどうかに不安を抱いている」とも指摘されている。
また、市教委にあてた「事故報告書」(4月23日付)では、「事故の原因」には「児童間の悪ふざけから暴力的行為に発展したことが原因と思われる」とある。「校長としての意見」では「その後も頭痛が続いている」として、日本スポーツ振興センターに保険の手続きを継続される旨が記されている。
ただし、4年生のときの事件は、そのときだけの偶発的な出来事ではないと原告側は主張する。多佳子さんは道子さんから1年生の1学期から叩かれているという。突き飛ばされたり、追いかけられて叩かれたり、スカートめくりをされたりした。1年生から続く嫌がらせの延長上に起きている、ということなのだ。
「女の子が女の子のスカートをめくるのは考えられませんでしたが、最初は、『学校の先生に相談してごらん』と言いました。3学期になっても叩かれているというので、面談のときに担任に相談したんです。すると、先生は『道子さんは言葉よりも先に手が出てしまうんです。遊ぼうとするときについ.... 』というので、私から『それは挨拶じゃない。困ります』といったんです。その後、担任が変わりました」(母・優さん)
しかも4年生の担任は、一年生のときの担任と同じ先生だった。
「学校はきちんと対応して、子どもにも説明すべき。一緒に問題を考えていかなければならないと思います。多佳子の証言では、他の子どもも“もっとやれ!”と言っていました。どこまですべきかはわからないですが、きちんと明らかにすることで、家庭でも話をするよう課題にすべきではないでしょうか」(同)
元担任教諭「いじめではない」と証言
証人として証言をした高遠詩織教諭(仮名)は、多佳子さんが1年生と4年生当時の担任だった。多佳子さんの母・優さんから、道子さんとの関係で困っていると相談を受けたことはあったという。
高遠:いじめを受けている、ということではない。
市代理人:どう対応した?
高遠:話し合いをさせます。別の日に私も立ち会っています。道子さんのお母さんに、話し合いの結果は伝えています。
市代理人:どういう指導をした?
高遠:「仲良くなりたい」という気持ちだったので、言葉で「一緒に遊ぼう」と言うようにと。
市代理人:事故の当日は?
高遠:児童会の担当だったために、「気をつけて帰るように」と言いました。
市代理人:調査は?
高遠:本人同士で話を聞いた。具体的に事故の場所で聞き取った。
市代理人:結果は?
高遠:直接、保護者には話してない。校長が報告したはず。
学校側は多佳子さんが受けたものはいじめとの認識はない。そのことについて、多佳子さんは4年前にこう綴っている。訴訟後に、書面でのやりとりをしていたなかで書かれたものだ。
「最近は、いじめがなんだかわからなくなる。いじめの区別はむずかしい。私が受けた皆からのいじめは、いじめじゃないのかな?だっていじめじゃないって主張する人がいるんだもん。あれはいじめはなかたんだ。私の妄想かなんか?そうなの?ごめんなさい。ごめんなさい」
ベランダ締め出し、元担任は鍵を開けたかは確認せず
また、5年生のとき、多佳子さんがベランダに出ていた際に、中から鍵をかけられていたというエピソードがある。5年の担任(2、3学期のみ)は山田由美教諭(仮名)だ。この当時、多佳子さんは学校内の相談室に行くことが多くなっていた。校長からは学校全体で多佳子さんの対応をするように指示されていた。そんなある日、多佳子さんがベランダで「開けて!」と言いながら、戸を叩いていた。それに山田教諭は気がついた。鍵を閉めた男児に「そんなことしないで」と言ったという。しかし、その後はどうだったのか。
山田:少数ではないか
原告代理人:閉じ込められているという認識?
山田:閉めた児童に「開けなさい」と注意した。その後は開けたと思う。
原告代理人:開けたのを見たのか?
山田:確認したかは覚えていない。
原告代理人:覚えてないということは確認してない?
山田:そうかもしれません。
裁判官もそこに関心を寄せた。
山田:その後のことは覚えていません。
ベランダの鍵が閉まっている状態で放置したのであれば、その行為がいじめだとすれば、いじめを放置したことになる。偶発的だったとしても、その状態は危険性がある。多佳子はこのことについて、
<先生に助けを求めました。でも『開けてあげて』と指示するだけで、誰もあけてくれないし、目をそらす人も、笑うだけの人も。今、私がこの場でベランダからとびおりたら、反省し、後かいするかと思うほどでした>(2012年9月30日記入)
と振り返っていた。
そうした行為は、いじめを受けていると思っている多佳子の被害感情を助長させかねない。相談室に行くことが多かった時期であるため、ますます教室を遠ざけかねない。
「こうしたことがあれば、保護者に言うべきではないでしょうか。校長は“指導したので十分。保護者に連絡はしない”と言っていたが、これではいじめは止まらない。誰が閉めたのかもわかってないし、誰に“開けて”と言ったのかも曖昧。そんな中で先生はどこかに言ってしまった」(同)
いじめとは何か?教員たちは旧定義を答える
ちなみに、高遠教諭は「あなたにとって、いじめとは何か?」と聞かれて、「一方的に力のある者が継続的に与えるもので、本人が苦痛を感じるもの」と答えた。5年生の時の担任(1学期のみ)、渡辺麻里教諭(仮名)も同じ質問をされたが、「特定の人物から、一定期間、暴力を受け続けること」と話した。これらは、2006年度のいじめの定義変更前のものだ。
その後、定義から「一方的に」や「継続的に」は削除する通知が出された。事件当時は、まだいじめ防止対策基本法ができる前ではあるが、文科省が定めた定義はすでに新しくなっていた。いじめについて認識不足だとは言える。
この他にも配慮に欠いた学校対応が問題になっている。ただ、そうだとしてもなぜ裁判という手法を取らなければならないのか。話し合いで解決できなかったのだろうか。
「私たちも最初は話し合いで解決することを考えていました。市教委とも話し合っていました。ただ、4年生当時の事件から3年が経とうとしていても、学校側は事件に向き合ってくれないままでした。当初、市教委にはいじめとして認識して対応をしていると言っていました。しかし、県教委に“和解が成立”と伝えていたことがわかります」(同)
一方、渡辺教諭に関しては、配慮に欠けた事案があったと、原告側は主張する。不登校気味だった多佳子さんが運動会の組体操に参加するかどうか、医師の判断が出てから決めることになっていた。しかし、渡辺教諭はそれ以前に、多佳子さんを組体操から外す判断をした。
この点について、保護者側がいじめかどうかを確認したが、市教委は当初は「いじめと認識して対応する」としていたが、「渡辺先生のことはいじめではない」と言い出した。このように、これらを含む事後対応が、被害者側(原告側)に寄り添ったものではないことから、多佳子さんは自傷行為をしたり、パニック発作が症状として現れた。結果、保護入院にもつながっている。
当初は話し合いで解決したかったが、裁判へ
「話が進まないまま、時効を迎えてしまったのです。時効を過ぎてしまうと、事実を明らかにしてほしいとこちら側が言っても、市教委が対応しないことが考えられます。多佳子としては、先生の件も含めて、いじめと認めてほしいのです。本人が辛いと言わなかったわけでもないのです。これだけいじめとして認めるのに時間がかかるのはなぜなんでしょうか」(同)
また、こうした裁判では、行政側だけを訴えることもできたが、この訴訟では、加害児童とその保護者も含めている。
「多佳子の気持ちとしては、4年生の1月14日の事件がなければ、今のような状態になっていないという気持ちがあります。もちろん、責任を問うとなると、年齢が幼いですが、加害児童を含めたのは、多佳子の願望です。どこまで認められるのかはわかりませんが、いじめはいじめと認めてくれないと、問題が解決せず、多佳子が生きていけないのではないか」(同)
多佳子さんは「なんで私が苦しいということが、認めてもらえないのか。時間がかかりすぎだ」と言っているとういう。裁判までしないと、いじめと認めてもらえないのか。そうした苛立ちがあるのだという。
「いじめである事実を申し立てる」「前例を作りたい。私と同じ思いをする人がへる為に前例を作りたい」「市教委の対応は『セカンドいじめ』と思っている」(原文ママ)ーー多佳子さんは提訴前。こうメモに書いた。また、どんなことがいじめに該当するのかを書き出したものがある。
それにはこう書かれている。
・のど元を蹴られる
けんかをしていた思いがある。→覚えがある。
・こっちくんなって言われた。
なにもしていない(二重線で削除)
横を通りすぎようとしたら言われた。
・死ねばいいのにと言われた。
なにもしていないのに。
・いなくなればいいのにと言われた。
おなじく
・ランドセルをゴミ箱に捨てられた。
帰りの会で帰りの仕たくをしようと思い、とりに行ったらなくなっていてゴミ箱をみたら捨てられていた。周りには強がって「大丈夫」などと言ったがとてもつらかった。
こうしたことが積み重なったためか、不登校だけでなく、5年生ときに自傷行為を始めた。6年生の頃には「死にたい」と言い始めていた。中学1年になってからは「死ななきゃならない」とも言いだした。この裁判は、多佳子さん自身が、自分にされてきたことを「いじめ」として認めてもらい、自分を取り戻すための裁判なのだ。