千葉市は権力者としての自覚を持て - 赤木智弘

写真拡大

※この記事は2017年11月28日にBLOGOSで公開されたものです

コンビニ大手「ミニストップ」が、来年1月から全国の店舗で成人向け雑誌の販売を中止すると発表した。(*1)

きっかけとなったのは、千葉市側が、コンビニで取り扱われる成人向け雑誌のゾーニングが十分でないとして、市側でフィルム分の予算を計上した上で、そのフィルムをかけるなどの提案をコンビニ各社に行ったことである。

この提案に対して、コンビニ各社はフィルムをかける現場の作業負担を考え、対応は無理であると返したが、その後にミニストップ側が「全国店舗での成人誌の扱いを中止する」という連絡が千葉市にあったという。(*2)

しかし、これが発表されると「行政による表現規制ではないか」という疑念が起こることとなった。その理由としては、会見場が千葉市役所であり、千葉市長である熊谷俊人氏が同席していたことから、さも千葉市の取り組みにミニストップが応じた結果の取扱中止であるかのような権力関係が垣間見えたからである。

とはいえ、それは一方的な誤解であるとはいえないだろう。

確かに千葉市側が求めたのは、フィルムをかけるなどの、これまでよりもより踏み込んだゾーニングの要請である。今でもコンビニでの成人向け雑誌の扱いは、青いシールで中身が見えないように封がされ、成人向け雑誌であることを示す表示版をつけての販売がされている。

しかし一方で、中身が見えないからこそ、より表紙の表現をいかにも成人向けらしくする必要もあり、表紙が見えているだけでも扇情的であるという批判は常にあった。

そうした中で大阪の堺市(*3)では、コンビニ大手のファミリーマートと協定の上で、成人向け雑誌にフィルムをかける措置(う~ん、ビニール本!(*4))をしており、千葉市はこれに習った形である。

さて、今回の件で考えさせられるのは、表現規制に対する千葉市の脇の甘さである。

千葉市はあくまでも「フィルムを被せて貰おうとしただけ、全国での取扱中止はあくまでもミニストップ側の判断」と主張している。

しかし、成人向け雑誌を取り扱うことそのものへの可否は判別してなくても、取扱いに際して細かく注文を入れること事態が政治的な圧力であるとも言える。

またゾーニングについても、現状でも青シールによる封と、成人向け雑誌であることの表示という、それなりに合意の取れたラインでのゾーニングはされているのだから、それが本当にゾーニングとして不十分であったかどうかの議論はしっかり重ねなければならない。

今回はそのあたりの部分があまり見えてこず、千葉市側の独りよがりの部分が大きかったと僕は考える。

だが、その一方で、ミニストップが成人向け雑誌の扱いを中止したことも、理解はできる。そもそも、もしコンビニで成人向け雑誌が十分に売れているのであれば、取扱いのためにフィルムをかけることも受け入れる余地はあったのだろう。しかし、実際にはどこのコンビニでも成人向け雑誌は売れていないというのが実情だ。というか雑誌の売上自体が下がり、コンビニの足を引っ張っている。

今年3月頃に、セブンイレブンが新しいレイアウトとして、窓際にあった雑誌類を店内棚に移動させたことで話題となった(*5)が、これもコンビニにとって雑誌が「売り」の1つではなくなったことの現れでもある。

そうした中で、行政からの要請が「どうせ売れないし、辞めてしまおう」という判断の引き金になったことは、決して唐突ではないと言えよう。

では、売れていない成人向け雑誌がコンビニから撤去されることで、誰が被害を受けるのか。

売れてないということは、需要がないのだから撤去はかまわないと思うかもしれないが、全く需要がないわけでもない。

しかし、いまやエロは、インターネットで格安で手に入る。歯に衣着せぬ言い方をしてもいいなら、多くのユーザーがエロを非合法な手段で、ほとんど無料で手に入れているだろう。

また都市部であれば、18禁DVDなどを取り扱うお店も繁華街に数件はある。そうしたところではコンビニ流通に乗らないような、もっと過激な雑誌も手に入る。

これらを踏まえるに、コンビニで成人向け雑誌を手に入れている人達というのは、地方都市に暮らす、インターネットに明るくない人達、つまり老人であるということが想像できる。エロは決して生活に必須のものではない。しかし、それを必要としている人は確実に存在するのである。彼らが成人向け雑誌を手にすることを、単に「売れてないから排除」としてしまっていいのだろうか?

今やコンビニはインフラの一部である。

過疎地帯では、コンビニの誘致を積極的に行う地域もある。(*6)

しかしそうした地域に事業者が出店しても、結局は補助金だよりで、商売としては十分な売上げが期待できないから出店されない。

それを単に「商業的判断だから仕方ない」と切り捨ててしまえるものだろうか?

千葉市長は今回の件をあくまでもミニストップ側の商業的判断であると強調している。

もちろんそれには、行政からの表現規制ではないかという批判に答えた部分もあるのだが、一方でそのような商業的判断と行政のさまざまな働きかけが無縁だとでも言いたいような、なにかご都合主義的見解も垣間見える。

商売上の選択と、行政からの各種の要請は決して無縁ではない。

この件に対してはいろんな見地があるだろうが、僕としてはまず最初に、千葉市に対して「行政の権力に対する自覚」を求めたい。

要請をしておいて「行政は無関係です」で通るほど、世の中は単純にはできていないのだから。

*1:ミニストップ 成人誌の取り扱い中止へ 来年1月からは全国の店舗で中止の方針(チバテレ)
*2:ミニストップの成人誌の取扱い中止について(Facebook 千葉市長 熊谷俊人)
*3:堺市:成人向け雑誌に目隠し ファミマと協定(毎日新聞)
*4:先日亡くなった遠藤賢司が作曲した、ビートたけしの歌「俺は絶対テクニシャン」の出だしのセリフ。後に電気グルーヴが「Cafe de 鬼(顔と科学)」のなかでオマージュしている。
*5:セブンイレブンの新フォーマット店舗(店内レイアウトの大幅変更)(コンビニウォーカー)
*6:大阪:コンビニがない! 村誘致も助成効果なく 千早赤阪(毎日新聞)