※この記事は2017年06月18日にBLOGOSで公開されたものです

昨年の1月に埼玉県草加市で「放射能を調べる調査をしたいから入っていいですか」と民家に侵入し、当時中学生だった女子生徒に対して、体を触るなどして、35歳の男が逮捕される事件があった。

そしてその取り調べの過程で、容疑者の男が東京都内の男性漫画家が描いた同人誌をヒントに犯行に及んだことが明らかになり、今月になって埼玉県警がその漫画を書いた漫画家の自宅を訪問、漫画家に対して注意喚起を促すことなどを頼み、漫画家もそれを了承したという。(*1)

また、毎日新聞では、県警の話として「作品内容が模倣されないような配慮と、作中の行為が犯罪に当たると注意喚起を促すことなどを要請した。漫画家は「少女が性的被害に遭うような漫画は今後描かない」と了承した」(*2)と踏み込んだ形で伝えた。

さて、この件で僕が問題であると感じているのは、容疑者が同人誌のマネをしたと言っていることではなく、その容疑者と何の関係もない、単にそうした漫画を描いただけの漫画家に対して、警察が直接訪問して「頼み」をしたということだ。

一体この行動の法的根拠はなんだろうか?

例えば、警官が「同人誌を模した犯罪が起きました。もしレイプ系の同人誌ご家族がいたら、作中に「絶対に真似をしないでください」と注意書きを書くようにお伝え下さい」と言って、各家庭を回って注意喚起しているなら一般的なことと言えなくはないが、作家の家を直接訪れるというのは、それとは全く異なる。

そこには作品を「事件の原因の1つ」とみなす考え方があるし、また作家に対する「そういう作品をお前が描いているということは、警察が把握しているぞ」という抑圧がある。

漫画家はTwitterであくまでも警察側が低姿勢であったと話し、「「表現の自由が脅かされた」とか「警察の圧力に屈した」とか「前例ができた」という話ではないと思っている」(*3)と述べているが、今回の件は決して警察が訪問した漫画家がどう考えるかではなく、そうしたことがあったという事実を受けて、その他多くの漫画家を含む、すべてのインモラル的な表現を行う可能性のある表現者が、これをどう受け止めるかと言うことである。

そして少なくとも埼玉新聞に対して捜査関係者は「今後、ほかの作者の作品が模倣されて犯罪が発生した場合も、同様の申し入れを行うことを検討したい」と話しているという。

この件に関して、僕は表現者の一人として、単純に恐ろしいことだと考える。

自分の全くあずかり知らないところで発生した事件に対して、それに近いことを表現したからと言って、何らかの責任を負わされる謂れはない。

そもそも犯罪というのは「成したこと」が罪にあたるか否かであり、その漫画を描くことが罪でない限り、なんら罪を負わされたり、厄介に巻き込まれる必要はないはずだ。

その前提が覆され、インモラルな表現をし、それを見た誰かが犯罪を犯したら警察が「こんにちわー」とやってくる社会など決して表現の自由が守られた社会ではないと言える。

しかし、この件に対してネットの反応は冷ややかである。

特に自民党の参議院議員、小野田紀美による報告(*4)以降、ネットでは「警察が表現の自由を抑圧したという事実はない」という話に落ち着きつつある。

小野田議員は、該当の漫画家や、埼玉県警には話を聞けなかったと断った上で、警察庁刑事局の担当と話をしたと報告。

「結論から申しますと、新聞の記事にあるように「少女が性的被害に遭うような漫画は今後描かない」というような了承を作者にとったという事実は確認できず、そういった圧力も加えていないとのことです。訪問の理由も、何かを指導するためということではなく、捜査の中での調査報告であり、そういったお話をするなかで、今後「作品を模倣して犯罪を行った」と容疑者に言われる等の供述に巻き込まれないように、例えば「この作品はフィクションです、作中の行為を真似すると犯罪になります。一切の責任を負いません」というような作家さんへの自衛の試みをご提案したような形である...という認識だったというご説明を頂きました。」(*4)

と、毎日新聞の記事内容を念頭に置いて述べている。

こうした話を信用したい人は多いのだろうが、今回の事例に対して警察庁がこうした返答をするのは当然のことであるといえる。圧力を加えたり、但し書きを要請したような事があれば、それは当然、いかなる法的根拠によるのかという話になるからだ。だからもちろん、表層的にはあくまでも「そうしたお話をしただけ」になるし、そう答えるしかない。

また小野田議員は「本件の作家さんのSNSを拝見すると警察の方は低姿勢で円満にお話をされていったというようにお見受けしましたので、上記の警察庁のご説明が本当であるとも思うのです。」と述べているが、これは全く理由になっていない。

たとえ警察が低姿勢で円満にお話をしていても、警察がその権力をもって、漫画家の家に直接やってきたという事実は何も変わらないからだ。やってきたからには、確実に上からの命令があるのだ。小野田議員が本当に聞くべきだったのは、その命令がどういう根拠をもって行われたかということであったはずだ。

僕は今回の件において、少なくとも警察は、その同人誌から漫画家を割り出したということ。それはどういう法的権限によって行われたのかをハッキリさせる必要がある。

まだ牧歌的な頃には、同人誌の奥付に住所や氏名を載せるようなこともあったけれども、今、そのようなことをしている人はいないであろう。であれば当然、その漫画家が執筆したメディアなどを対象に、住所の調査が行われたと考えるほかはない。

当たり前だが、容疑者がその作品を見てマネをしたからといって、その漫画家が犯罪に加担した可能性があるなどとは、とても考えられないし、社会通念的にもそう考えることは認められないだろう。では、警察はどのような権限でもって、調査を行い、訪問をするということになったのか。そうした疑問にはまだ埼玉県警は答えていないのである。

ふと、先日起きた「pixiv内のBL小説が、学術論文に引用された問題」を思い出した。

詳細についてはBuzzFeedの記事(*5)を見てもらうとして、この件で同人作家たちが、その公開を取り消すなどの反応をみせたことが重要である。

論文に記されたのはペンネームと、その文章が記載されたpixiv内のURLであったが、作者たちはそれを「公衆に晒された」とみなし、活動などを辞めてしまったのである。当然、ネットでは論文の著者たちに対する非難が集まった。

この時の非難と比べれば、今回の「漫画家が同人誌から住所と氏名を割り出され、警察がやってきた」件に対するネットの反応は、恐ろしいほどに静かである。

ログインが必要なpixivの中とは言え、誰でも無料で登録できるサイトに公開されていたペンネームと作品URLが晒されたことに対する反応と、住所氏名が暴かれ、警察がやってきたことに対する反応。前者に憤りを感じる人が多く、後者は比較的静かというのは、とても変である。

もし、今回の件が鬼畜BLの作品を元にした犯罪で、警察官が女性BL作家の家に訪ねてきたらどうだろうか? 女性は屈辱を受けたと感じ、もうBLは描かないと考えるのではないか。ならばそれは当然、抑圧なのである。

今回は、漫画家が大人の対応を見せたために、大きな批判は発生していないが、それにしても警察の訪問が表現に対する抑圧として働くことは明らかであろう。それにしては反応が静かすぎて奇妙である。

この奇妙さが表すのは、最近のネットに慣れた人たちの「権力に対する一方的な信頼」ということなのだろう。

先の小野田議員の報告に「警察の人が低姿勢だったので、説明も本当であろう」という意味合いの一文があった。僕はこれをすごく奇妙な文章だと思うし、言ってしまえば権力へのおもねりでしかないと思うのだけれども、最近の人たちは、これをごく自然に書けてしまうし、それをごく自然に受け入れてしまうのだ。

僕は別に警察を敵視したいわけではない。ただ、警察は敵でもなければ味方でもないのだ。彼らは目的に従って、持てる権力を最大限に使う存在だ。

「こんにちわー」と、ある日にこやかに家を訪ねて去っていった警察官は、次の日には家の中を徹底的に探る警察官になるかもしれないし、いつかは自分に手錠をかける警察官になるかもしれない。

それは警察官の仕事が上からの命令や令状などによって動く仕事だからであり、警察官は職務の上ではあくまでも任務を遂行する存在であり、決して個人ではない。

だから、少なくとも警察官個人のにこやかさや、へりくだった様子を理由に「本当に自衛を提案しただけ」などと理解するのは、受け手側の一方的な思い込みであるとは確実に言える。

住所や名前を調査し、直接訪れるという権力の行使を、個人的な話やすさや物腰の柔らかさで中和するような考え方は誤りである。

今回の件で警察は明らかに表現者たちに対して「お前たちの作品、そして住所氏名はすべて把握できるぞ」というメッセージを見せている。この事態に対して適切に対応しなければ、警察は更に深くまで、表現の自由に踏み込んでくるだろう。

警察を一方的に敵視するのではなく、また警察を一方的に信頼するのではなく、注意深く考えていきたい。

*1:強制わいせつ容疑の男「漫画を真似」 県警、作者に異例の申し入れ (埼玉新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170613-00010004-saitama-l11
*2:埼玉県警:成人漫画作者に「配慮を」 わいせつ事件受け - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20170614/k00/00e/040/260000c
*3:上記はあくまで僕個人の思ったことなので、「表現の自由が脅かされた」とか「警察の圧力に屈した」とか「前例ができた」とかいう類の話だとは思ってほしくないと思っています。(クジラックス Twitter)
https://twitter.com/quzilaxxx/status/875276410708836352
*4:「埼玉県警 成人漫画作者に「配慮を」」上記の記事案件につきまして、表現の自由を憂慮するお声を多数頂きましたので、個人的に行っていた事実確認結果等を下記不完全ですがご報告させて戴きます。(小野田きみ Facebook)
https://www.facebook.com/OnodaKimi.Okayama/posts/875116832627866
*5:【追記あり】「モラルを疑う」pixiv上のR-18小説を“晒し上げ” 立命館大学の論文が炎上 今後の対応は
https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/jsai2017-r18?utm_term=.dngMlONnD#.dkmPQg4Zm