「9条改正はそれほど国民に受け入れられないものなのか」石破茂氏、憲法改正を語る - BLOGOS編集部

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※この記事は2017年06月09日にBLOGOSで公開されたものです

自民党の石破茂氏が6日、都内ホテルで行われた内外ニュースの講演で憲法改正について語った。

日本国憲法の主語は「日本国民」全員

日本国憲法というのは前文からしてかなりユニークなものです。「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの平和と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。

「俺は決意した覚えがない」という人もいるかもしれませんが、主語は「日本国民は」ですから、ここにいる方全員です。「平和を愛する諸国民」含む金正恩、「平和を愛する諸国民の公正と信義」含むサダムフセイン」を信頼して、われらの平和と生存を保持しようと決意したわけです。

それを受ける形で憲法9条第1項というのはあり、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇また武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する、この目的を達するために陸海空軍その他の戦力はこれを有しない、国の交戦権はこれを認めない」ということになっています。

通説的見解は憲法学で習いましたが、第1項において法的に武力の行使を禁じ、第2項において実力的にもその行使を禁じている。これが憲法9条なのだという風に習いました。今でもそのはずです。

面倒くさいことを申し上げると、1項とは一体何なのでしょう。「国権の発動たる戦争」とは何か。「国権の発動たる戦争」というのは最後通牒(つうちょう)を発し、宣戦布告を伴う正規の戦争のことであります。

日中戦争というのがありましたが、あれを日華事変とか日支事変とか、戦争といわないで事変といっています。それは、最後通牒も出さず、宣戦布告もせず、国際法上にいう正規の戦争ではありませんので、「武力の行使」という言葉を使っているわけです。「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」というはそういう違いがあります。

「武力による威嚇」はまあそんなもんでしょうね。「国際紛争を解決する手段としては」というのはどういうことかというと、国際紛争とは何か。領土などをめぐる国家同士の争いのことです。この島は僕たちのものだ。この大地は僕たちのものだ。ということで、領土等をめぐる争いがあります。それを武力で解決すること。

そして「国」とは何かといえば、一定の領土を有し、アイデンティティーを共有する国民を持ち、そして統治の仕組みがあることであります。

アルカイダ国という国はありません。イスラム国国民という、そういうようなアイデンティティーを共有する人たちもありません。イスラム国の領地というものもありません。ですから、これは国際紛争の主体たりえないということになります。

国際紛争を解決する手段としてはだめよ、ということでありまして、この目的を達成するために「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」というのは、自衛戦争はいいけど侵略戦争はだめなんだよ、だから侵略戦争をする、という目的のためには陸海空軍その他の戦力はこれを持ちませんということ。これが芦田修正の立場でありますが、政府はその立場を採っていません。芦田修正の立場を採らないということは、何度かにわたって政府が明言をしておるところでございます。

自衛隊を認めない憲法9条ではおかしい

芦田修正の立場を採ればそれなりに論理的には通ります。1項は自衛戦争を禁じたものではない、と考え、2項でそうはいっても陸海空軍その他の戦力はこれを持たないと考えています。

「その他の戦力」とは何かというと、海兵隊のことではありません。「その他の戦力」というのは"ヒットラーユーゲント"のようなものを指すのだそうです。正式の軍隊ではないが、それに類するもの、これを「その他の戦力」というのだそうです。

「国の交戦権はこれを認めない」。交戦権というのは戦争をする権利ではありません。戦争する国家に与えられた権利のことであります。

ものを壊しても器物損壊にならない。人を傷つけても傷害罪にならない。そして軍服を着て戦闘に従事した場合は捕虜になったらば、きちんと捕虜としての待遇を受ける。交戦権という中身はそういうものであります。

「国の交戦権はこれを認めない」そして「陸海空軍その他の戦力はこれを認めない」と書いてあるわけで、そうすると独立を脅かされた場合は、皆さま方が義勇軍になって竹やりをもち、石ころをもち、侵略国家と戦うということであります。

軍服を着ていませんから、当然捕虜になったら虐殺されても文句の言いようがありません。
国の交戦権はこれを認めない、というのはそういうものであります。

それはいくらなんでもひどいではないか、ということになるわけですね。
誰がどう考えてもおかしい。

自衛隊は10式戦車を持ち、F15を持ち、イージス艦も持ち、あれらは一体何なのか。
「いやいや軍隊じゃございません」
「軍隊じゃなきゃ一体何なのよ」
「いや、自衛隊でございます」
「だから、どこが違うのよ」
というと、そこから先に議論が進まないわけですね。

だから国の独立を守る、国際社会の平和と安全に寄与するために陸海空軍その他の組織を有する、というような書き方はきわめて穏当なものだと思っています。しかしそれでは2項との関係はどうなるのか。

「陸海空軍その他の戦力はこれを有しない」と2項に書いてあって、3項に「国の独立ならびに国際の平和を維持するため陸海空の自衛隊を保持する」と書いたとすれば、2項と3項って論理的にどうつながるのですか。私には分かりません。

無理やりつなげようとすると「前項の規定とかかわらず」という言葉を入れることになるでしょう。それって法律の立て方として正しいのか、と私は思っております。

9条2項改正はそんなに国民に受け入れられない話なのか

9条1項は「国際紛争を解決する手段としては」という言葉を使っています。国際紛争というのは、国または国に準ずる組織が主体ですよね。

ですが、9.11以降テロ組織などが従来であれば国家でしかなしえなかった破壊行為ができるようになったのが21世紀の課題なのであります。

「正義を秩序とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇また武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」これを煎じ詰めていえば、日本国民は侵略の手段としての一切の武力の行使、一切の武力による威嚇、これを厳に行わないことをここに宣言する、ということなんでしょう。

何度も聞いてみて初めて分かるっておかしくないですか。と言ったんですが、「お前ね、2項を変えるだけでも大変なのに、1項を変えるなんて絶対できないよ」そんな議論があったのでございます。

でも、自由民主党のそのときの議論で、2項は変えようということに異を唱えたものはひとりもいなかったと記憶をしています。

この話は、そんなに国民に受け入れられないものなのでしょうか?本当に理を尽くして、ひとりひとり説得して、分かってもらえないものなのでしょうか?少なくともそのチャレンジはしていくべきだと私は思っているところであります。

これから先、憲法改正の議論が自民党の中で行われます。今の解釈をそのままにして、圧倒的多数の国民が自衛隊は合憲だと思っているのだから、自衛隊をキチンと憲法上に位置づける。そのことに反対する人なんかひとりもいません。私だって反対をしません。

だけども、2項との整合性をどうやって取るの?ということに答えを出さないまま憲法を改正することに私は少なくとも今納得をしていません。

自衛隊のルーツは「警察予備隊」

警察の組織というのは、法律の書き方に特徴がありまして、やっていいことがずらりと書いてあるのが警察の法律の立て方です。これをやっていい、あれをやっていい、あれをやっていい、やっていいことがずらりと書いてあります。

自衛隊のルーツは警察予備隊であります。ただ、あのときは朝鮮戦争が起こって、日本を占領した連合国軍の多くは朝鮮半島にわたってしまったので、日本の赤化、ソ連によるいろんな共産化を防いでいかねばならない。その目的を達するために警察予備隊というものを作りました。

この警察予備隊は国家の独立を守る、ということを目的としてあるものではありません。
似て非なる組織なんですが、警察予備隊はあくまでポリスリザーブの組織であります。それが国の独立を守るという保安隊というものに姿を変えたときに自衛隊に移っていくわけです。

しかし、「独立を守るものだ」というのであれば法律の立て方はやっていいことを列挙するのではなくて、やってはいけないことはこれとこれとこれそれ以外は国際法ならびに、確立した国際慣習に従う、というのが普通の国のやり方であります。

そこの議論をしていかねばならないのだと私は思います。