※この記事は2014年03月07日にBLOGOSで公開されたものです

耳が聴こえないハンディを持ちながら作曲活動を行っているとしてきた佐村河内守氏。佐村河内は、2月初旬に弁護士を通じ、代表作である交響曲第1番『HIROSHIMA』などが別人によって、作曲されたものであることを公表した。また同氏のゴーストライターを務めた新垣隆氏が会見を行い、これまでの経緯や2人の関係を明らかにした。

佐村河内氏は2月12日、マスコミ各社に直筆の「お詫び」を発表、「3年前から耳が聞こえるようになってきた」とし改めて検査を受け、結果によっては障害者手帳の返納も行うことを表明したほか、「近いうちに必ず公の場で説明を」としていた。3月7日、その佐村河内氏が会見を開き、報道陣の前に姿を現した。

冒頭発言

誤りがあってはいけないので、紙に書いてまいりました。

まずご迷惑をお掛けした皆様、一つ一つ名前を読み上げながら謝罪をしたいと思います。CDを買ってくださった皆様、音楽をきいてくださった方々、演奏会に来てくださった方々。私の嘘によることで非常にご迷惑をお掛けしたことを謝罪いたします。本当に申し訳ございませんでした。

次に本を出版してくださった講談社の方および幻冬舎の方々、CDを発売してくださった日本コロンビアの皆様、全国ツアーを開催してくださったサモンプロモーションの方々、楽譜のレンタルをしてくださった○○様(聞き取れず)、本当に、申し訳ございませんでした。

NHKをはじめとした民放各局の皆様、新聞、雑誌等の皆様、この度は大変申し訳ございませんでした。高橋大輔選手にも深くお詫び申し上げます。また、被災地の皆様、○○家の皆様深くお詫び申し上げます。

いったん、着席させていただきますが、もう少しだけお話させてください。聴力の検査の結果ほかにつきまして、お話させていただきます。

障害者手帳につきましては、検査の結果返納いたしました。私はこれまで障がい者年金は一度も受け取っておりません。近いうちに横浜市からも公表される予定です。私が謝罪文で、昨年ぐらい前から言葉が聞き取れることがあるまで回復しましたと書いたため、結果的に健常者の方と同じように聞こえると多くの方が理解されており、手話通訳者が必要もないのに依頼していたという誤解につながりました。

聞き取れることもあるという状態は非常に説明しにくいのですが、音声はひずんでしまうので、会話が聞き取れないことがほとんどで、取材や撮影などでは手話通訳を必要としていることに嘘偽りはありません。世間では、耳が悪いことを示すために手話通訳は同席させているとか、手話通訳はグルであるとか、儲けを山分けしているとか、悪い噂が流れております。ですが、その噂は完全に間違っています。聴力が回復したことやゴーストライターがいたことは誰にも話していませんでした。ですので、手話通訳も知っていながら通訳していたという人は誰もいません。これまで全国各地に手話通訳をされた方々、疑われてしまったすべての関係者にも改めて深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。

今回の記者会見でも質疑応答のときに手話通訳が必要になりますので、今までのように依頼いたしました。今お伝えしたことをご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。なお、手話通訳に関しての質問は一切お控えくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

値段を吊り上げると、新垣氏は笑顔で「いいですよ」と言った

改めてお詫び申し上げます。この度は、たくさんの方々に多大なご迷惑をお掛けしました。そのことを心より深くお詫び申し上げます。今の私には、信用というものがまったくないと思います。しかし、本日の会見では天地神明に誓って嘘偽りのない真実をお話いたします。なお、私のTV出演については本日が最後といたしますのでなにとぞお願いいたします。

2002年の手帳の交付について、2月12日の午後2時から横浜市役所内での会見で発表されたことですが、当時の会見に疑わしいことはなく、適切な診断書であったと話があがってきております

あとはお話したいことを一応箇条書きで書いたのですが、一つ一つやると長くなりますので、質問はあると思いますが、一応お話します。どうしてもお伝えしなければならないことをお話します。

私はまるで映画のコスモスのときから、まったく音楽をやっていなかったにも関わらず、新垣さんに初めて音楽というものを依頼して、やらせていたというような報道になっていると思いますが、私はそれ以前にもプロとしてしっかりと音楽をやっておりました。

何年前か覚えておりませんが、NHKでハイビジョンが導入された当初だったのですが、『山河憧憬』という番組で音楽を担当しております。それを受けてのコスモスの依頼でした。そのときは打ち込み音楽というもので曲を完成しております。

次に何故交響曲を身銭を払ってまでつくらなければならなかったのか、という疑問が多いかと思いますが、これは非常に語弊がありまして申し上げにくいのですが、私自身は子どもの頃から音楽が大好きでクラシック音楽を好んで聴いておりました。その中で、日本で言えば70年間にわたる現代音楽というものに対して、私自身は肯定的ではありませんで、昔の調性音楽というものの復権というものが一番として、そういう尖兵が現れて時代が変わればいいなという希望をもっておりましたけれど。それをやり方は間違っていましたが、新垣さんというゴーストライターを使って、当然この70年間続いたアカデミズムの伝統ですから、絶対生きている内には、この長大な音楽、交響曲は演奏されないと思っていました。でも、そのこととそれを世に残しておく、いつか尖兵が表れて、時代が変わったときに今の時代に見合うような音楽ここにもあると、誰かが拾ってくれればいいということで何百万も掛けて新垣氏にお金を支払って、私が事細かに全体の設計図、内部の事細かな設計図を作って新垣氏に曲を書いてもらい、完成したのが交響曲第一番であります。

次に新垣氏と私の関わりですけれども、これは2人だけの秘密で行われてきた18年間のことです。私が詳細な設計図をかき、それを新垣氏が音にしていくというものでした。私が疑問に思うのは、何故あれほど新垣さんが師匠である三善晃先生にばれることをおそれていたにも関わらず、なぜこのタイミングで暴露するに至ったのかいう。私が言える立場ではありませんが、私個人にとってはそれはとても大きな疑念でした。

例えば、一つのことではありますが、ギャラについてもですね、「もうこんなことはやめにしましょう」と新垣さんは何度も言ったとある記事に書いてありました。まったく嘘です。彼はこれまで一度も私に「もうこんなことはやめましょう」と言ったことはありません。

私に言ったのは、ただの一度つい最近『新潮45』という雑誌で野口様という方が、私にたいする批判の記事を書かれたときに、何かがバレることを恐れたのか、うちにきて「もうこういうことはやめましょう」その時ははっきり言われた。18年間の中で、ただ一度、そのことを言っただけです。それがつい最近のことです。

それから、皆さん心の中で、「もうこういうことはやめようと。いままで18年間言い続けてきた」とおっしゃっていましたけれど私はいまここで正直なことを言っています。

とても言いにくいことですけれども、いつも私が新しいコンセプトを思い付き、楽曲を作ろうとするときに、新垣氏は喫茶店で、次の曲を作りたいので、「いついつに待ち合わせしよう」というようなことがありまして、彼は何の問題もなく、そこにやってきて、私が曲の内容、調整など説明して、ギャラを提示するんですね。このぐらいで、と。すると、彼は必ず間違いなく最初はクビを横に振ります。次に私が値段ですね、値段を吊り上げると、彼はおそらく渋い顔して、「うーん」ってやります。その後に、もう少し値段を吊り上げると、彼は笑顔で「いいですよ」。これがこの18年の真実です。本当に心から「こんなことをもうやめたい」と思っている人の発言でしょうか。私は雑誌を見て、目を疑いました。

最後に、報道では聴覚障害者や病気を持っている方々をまるで自分のブランド作りのために利用したというように報じられておりますが、これは真実ではありません。ゴーストライターを使うなどという、やり方は本当に間違っていたと思いますが、闇に沈む人たち、その方たちに光を当てたいような気持ちは現在に至るまで、天地神明に誓って本物です。

というのが、本当はここに文春さんの記事があって、(雑誌を見せながら)これはまだ1ページですけれども、蛍光のペンで事実無根であることをいったものです。この線を書いているところは真実ではありません。これを見ながら、一つ一つ「これは間違ってます」というと、時間がなくなってしまいますので、素直にお怒りとかお叱りとか質問がございましたら、質疑応答によろしくお願いいたします。

「新垣さんを名誉毀損で訴えます。」

作曲の仕方をめぐる質問において、「新垣さんが嘘をついていると、断言していいですか」と問われると、「はい。新垣さんを名誉毀損で訴えます」と述べた。

また「今までの人生で一番、どん底だと思うのはいつですか」という質問には、「今です」と答えた。

質疑応答

「ずっと『いつかばれるんじゃないか』と恐怖心を持っていた」佐村河内守会見全文・質疑応答編1
・「全国の皆さんにさらして謝罪しようという気持ちがあった」佐村河内守会見全文・質疑応答編2
・「一番どん底だと思うのは『今』」佐村河内守会見全文・質疑応答編3