平成バブルの教訓…日本人が知らない「失われた30年」の真実

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株価や不動産価格が適度に上がっているのに、バブルだからといって押さえつけるのは、経済をおかしくする可能性があります。平成バブルの対処で問題だったのは、ある種の見込み違いを政府や日銀がやってしまったといいます。日本経済の分岐点に幾度も立ち会った経済記者が著書『「経済成長」とは何か?日本人の給料が25年上がらない理由』(ワニブックスPLUS新書)で解説します。

「地価税」導入しない選択肢はなかった

■平成バブル対処の失敗

バブルはやはり経済にとっては良くありません。「バブルは崩壊するからバブル」という定義のバブルには、確かになってはいけません。崩壊でもたらされるマイナスは大きいですから。

ただ、株価や不動産価格が適度に上がっているのに、バブルだからといって押さえつけるのは、むしろ経済をおかしくする可能性があります。

不動産価格が上がるということは、持つ者と持たない者の格差問題は出ますが、それだけ不動産所有者の信用力が上がって、購買力が上がるかもしれません。既存のマイホームの保有者にとっても、家の値段が上がるのはいいことです。個人や階層によってばらつきはあるにしても、一般論として考えた場合、不動産価格が適度に上がるということは目くじら立てる話ではありません。むしろ下がるほうが恐ろしい。資産デフレのほうが怖い。

平成バブルの対処で問題だったのは、ある種の見込み違いを政府や日銀がやってしまったことです。あのとき日銀と政治家は株価と同時に不動産価格が高騰して、一般の人たちがマイホームを手に入れられなくなるのではないかと、危惧したわけです。当時、結構な社会問題にもなりました。

日銀が金融の引き締めを始めたのは1989年でしたが、株価はそれでも響かずにどんどん上がりました。日銀の利上げにも反応して、やっと株価が下がりはじめたのが1990年です。そうしたら今度は不動産価格高止まりが問題だということで、当時の大蔵省が土地融資の総量規制をやりました。銀行は不動産関係の融資を絞りなさいと、窓口指導したのです。

ところが不動産価格は下がらない。下がるどころかまだまだ上がるので、もっと強力な手を打たないといけないと地価税(土地保有コストを上げて土地の投機を抑え、有効利用を図るための国税)を導入しました。1991年の税制改正で創設し、1992年からの施行です。

しかしながら、その頃には株価はどんどん下がっていて、日銀の金融引き締めも効いていました。その影響で不動産価格も下がりはじめていたのです。それなのに地価税導入で、さらに上から叩くことになってしまいました。それで不動産価格が暴落してしまったということです。地価税は余計だったと思います。

いまから考えると、「地価税導入はやっぱりやめよう」という選択肢はなかったのかと思われるかもしれません。でもそれは恐らくなかった。大蔵省に影響力を持つ当時の指導者宮澤喜一さんにしても、橋本龍太郎さんにしても、「やる、やる」と言っていましたから。与党も地価税導入に賛成しましたし。大蔵省としたら増税になること、税の財源ができることは大いに賛成ですから、止める者は事実上いませんでした。

不動産価格がどんどん下がることがいかに信用メカニズムを委縮させるかについての考察が足りなかった。政治家は勿論、行政や日銀はこのような見込み違いを大いにやるわけです。

もともと日本は不動産価格が高い国と言われていますが、適正な地価がいくらなのかと言われても、非常に主観的な判断しかできないから難しい。土地の上に工場やオフィスビルを建てて賃貸した場合、どれだけの収入があるかということから逆算して、適正な不動産価格が算出できるという話はあります。とはいえ、それで不動産価格が抑制されるようになるのかと言われても、非常に難しい。理論的には可能かもしれませんが、なんらかの理由で需要が増えれば価格が上がるのは必然です。

日本の資本は動かずに滞留している

経済で、とくにミクロの現象に関しての分析はほとんどが後講釈です。一方で経済ほど戦略的に対峙していかないといけないものはそうそうありません。経済という現象は、消費したり投資したり、すべて先行きを見越してやっているわけです。そういう意味で後講釈が多いのは、経済学そのものに無理があるからだと思います。

経済学が分析するのは過去どうだったのかということと、そこから類推してこうなるだろうということです。だから経済分析には限界があるということです。

だから平成バブルを招いたこと自体は強く非難できないと思います。それよりも、崩壊しだすと、これでもかこれでもかというばかりに、徹底的にバブル潰しに政府と日銀が奔走したことが、「先の大戦後の第二の敗戦」と言われるほどの、四半世紀にもなってなお終わらないデフレ不況を誘引した主因です。その大失敗を糧にしないことに問題があると思います。

■資本が動かないということ

資本主義でいちばん大事なのは、その名の通りキャピタル、資本です。

資本とは価値を生むお金の塊といっていいでしょう。利子や配当、利益や需要を生むわけです。そして国民経済的に言うと、資本はやはり実体経済において価値を生まねばなりません。国民が潤って国力を上げるからです。

GDPは新しく作り出される価値の合計額で、国民が経済的に潤うにはGDPが増えることが必須です。GDPが増えるためには資本が投下されて、新しい価値を生んでいかないといけません。つまり新しい需要をつくり出さないといけないのです。その肝心の資本が世の中で全然動かないとなると、その国は衰退するしかありません。

資本が動かないとなると、どこかに滞留されていることになりますが、一体どこにあるのでしょう。簡単に言うと溜まっているだけです。現金のままで溜まっているのはほんの一部で、あとは預金―銀行に積み上がっているお金、あるいは企業が内部留保でいつでも資金に換えられるカタチで運用しているとか、いろいろな形で滞留しているのです。

企業が内部留保を運用すれば、金融経済ではある程度利子を生むでしょう。しかし運用先は短期の国債や譲渡性預金など、売れば比較的簡単にキャッシュにできる金融商品です。

いわゆるリスクの低い資産です。いつまでもこれを続けては守銭奴みたいなことになります。実体経済にはまったく還元されませんから。お金が動いてこそ資本になります。資本にならないと意味がないのです。

少子高齢化で経済成長していく方法は

■少子高齢化と経済成長

少子高齢化は経済にとって、やはり百害あって一利なしなのでしょうか。

15歳から65歳未満までは生産年齢人口と称されます。この層の全人口に対する比率が低くなると、生産に寄与していない層(15歳未満の子供と65歳以上の高齢者)を養う割合が増え、新しい生産を担う割合が減ってしまいます。経済の成長は新しい生産によって成り立ちますから、この流れはまずいと言われています。現役世代の負担ばかりが大きくなるので、理論的には確かにそのとおりです。

それはどうやって解決すればいいのか。

ひとつには生産年齢人口を増やせばいいのだから、移民を入れようという手っ取り早い話があります。しかし、これは社会的コストがあるし、伝統的な日本社会は簡単に変わるものではないだろうから、軋轢も生じるだろうとか、いろいろな問題が発生します。

もっと現実的な解決はないでしょうか。例えば生産年齢人口はなぜ65歳未満でないといけないのでしょうか。70歳未満に上げてはいけないのか。65歳を過ぎてもまったく問題なく働けるという人は現実にたくさんいます。

生産年齢人口でいう生産は、モノを作るという意味に限定しません。直接的、間接的にいろいろな意味で価値をつくるということです。どういうことかというと、生産性向上とよく言いますが、全体としてより多くの価値のあるものをつくれる……そういうことを考えていけばいいのです。例えば高齢者が若い人を教育する、ノウハウや知識を伝授する。

これは立派に付加価値を上げる機会になるわけです。やり方はいろいろあります。ただし、戦後のベビーブームの時代のような活気は確かに望めないということでしょう。

さらにテクノロジーが日進月歩で進化しているわけですから、それにうまく乗っかって、例えば肉体的な負荷を減じてしまえば、若者と同様に働ける高齢者も出てくるでしょう。

ただ、確実に生産性は向上するでしょうが、生産に携わる人がそのテクノロジーについていけないなど、障害が生じることがあるので、手放しで推進するのは要注意です。

田村 秀男
産経新聞特別記者、編集委員兼論説委員