●バラエティでもMC経験少ない時代の抜てき

フジテレビ系情報番組『ノンストップ!』(毎週月〜金曜9:50〜 ※一部地域除く)が、この4月で10周年を迎えた。番組開始からMCを務めるお笑いコンビ・バナナマンの設楽統は、オファーを受けた当時は「僕でいいの!?」と不安を抱えて走り出したというが、バラエティにラジオ、ライブなど多忙を極める中でも、平日帯の生番組を軸にした活動を「バナナマンのためになる」と捉えているのだという。

この10年を振り返っての思い出や、生放送の経験が他のバラエティ番組で生きていることなど、話を聞いた――。

『ノンストップ!』MCのバナナマン・設楽統 (C)フジテレビ

○■初回生放送直前に発案した「ノンストップ!ポーズ」

――番組がスタートする10年前を思い出していただきまして、当時午前中の情報番組MCというオファーを受けたときの心境はどのようなものだったのですか?

「僕でいいの!?」っていう感じでしたね。あの当時はまだそんなにバラエティでもMCをやってなかった頃なんで。

――周囲の反応はいかがでしたか?

最初は日村さんくらいにしか言ってなかったと思うんですけど、なんて言ったのか覚えてないですね(笑)。その後、ラジオで日村さんが「設楽さんが1人でやっちゃうのは不安だ」みたいなことを言ってたんですけど、「これは広い意味でバナナマンのためになるから」という話をしたのは覚えてます。

――この前、オークラさん(※バナナマンの番組を数多く担当する放送作家)に取材したとき、バナナマンさんを「一番サブカル的なポジションにいたのに、一番テレビ的な芸人になった」と表現されていたのですが、その変化を象徴するような出来事にも感じます。

このお話を頂いたときはびっくりしたんですけど、たぶん中村百合子さん(※初代チーフプロデューサー、現・編成部長)が、設楽でどうかって言ってくれたんですよ。その前に1回深夜でやった中村百合子さんの特番に行かせてもらって、そこで「いいじゃん」となってもらったと思ったので、確かに午前中の情報番組をやらせてもらうという意識はしてたんですけど、僕の中ではバナナマンとして深夜でやってたノリの延長という感覚なのかなと思ってたんです。でも、全然違いました(笑)

だから最初の頃は、それこそオークラに本番前に話し相手みたいな感じで来てもらってましたね。今考えると、「どうすればいいのかなあ」って戸惑いがあったんだと思います。今も塩谷(泰孝)さんとか椎葉(宏治)さんとか、普段からバラエティで一緒にやってるスタッフにも何人か入ってもらって、助けてもらってますからね。

――そうすると、順調なスタートというよりも、手探りでの船出だったんですね。

もう不安いっぱいで。『ノンストップ!』という番組は続くだろうけど、僕は何年かやったら代えられるんだろうなと思ってました。それは今も変わらず、いつか僕は交代するんだろうなと思ってますから(笑)

――いやいや(笑)。スタート当時は、タッグを組む山崎夕貴アナもまだ入社3年目になったばかりでした。

でも、すごいベテランな感じというかしっかりしてたので、もう信頼してましたね。バラエティでも共演させてもらってたんで安心してたし、全然噛んだりしないし、すごいなあと思いながら一緒にやらせてもらってました。

――あのカメラに向かって指をさす「ノンストップ!ポーズ」は、最初から決まっていたのですか?

ポーズっていうほどのもんじゃないですけど、初回からやってるんじゃないかな?

スタッフ:初回のオープニング前に、設楽さんが決めたんです!

俺が? ウソ!? なんか俺が決めたみたいです。覚えてなかったけど(笑)。やっぱり朝の番組って、何か手を出す感じありますもんね。

――「ズームイン!」的な(笑)

絶対そこからだと思います(笑)

三上真奈アナ(右)と「ノンストップ!ポーズ」 (C)フジテレビ

○■軌道に乗ったのを実感した瞬間

――そんなスタートから、軌道に乗ってきたと感じるターニングポイントなどは、あったのですか?

ターニングポイントというのは特になくて、こういう番組ってある程度やらないとお客さんもつかないし、番組の色とかが出るのに多少時間はかかるだろうと思ってたんですけど、北海道で『ノンストップ!』をネットしてくれることになったんですよ。午前のこの時間帯でフジの番組が入るというのは何十年ぶりだと言われて、そうやってネット局がだんだん増えていったのが、2年くらい経ってからかなあ。そうすると、山崎さんと地方ロケに行ったときに声をかけられるようになったんですよ。あの辺りが、番組の色が出てきたところなのかなと思いますけど、気づいたら10年経ってるという感じなんで、「あの時こうだったから、そうなって、今はこうなってる」みたいな感覚ではないんですよね。

――そうすると、10年というのはあっという間という感覚ですね。

そうです。もう10年なんだっていう感じですよ。だって、2代目(女性MC)の三上(真奈アナ)さんなんて、『ノンストップ!』を学生の頃に見てたって言うんですよ。それ聞いてびっくりしちゃって、やっぱり10年ってすごいなあって思いました。

●『笑っていいとも!』に毎週遅刻出演

――この10年で、特に印象深い出来事は何でしょうか?

今はなかなか行けないですけど、やっぱり海外ロケですかね。お正月の特別企画な感じで行ってたんですけど、ああいうのは思い出深いです。北海道とか日本国内も行ってましたしね。

あと生放送なのでハプニングもあって、急にいろんなことが起こるんですよね。猿まわしのお猿さんが来てくれたときは、山崎さんがドロップキックされるとか(笑)。いろんな人が来てくれて、それも思い出がありますね。

――コメンテーターの皆さんもバラエティに富んだ面々ですよね。

スピードワゴンの井戸田(潤)とか、千秋さんとか、本当に初期から支えてもらってます。これまで多くの方が曜日レギュラーになってくれて、最初の頃はFUJIWARAの藤本(敏史)さんとか、アンジャッシュの児嶋(一哉)とか、ハリセンボンの(近藤)春菜とか、わりとお笑いの人もたくさんいて。でもその後、違う局の裏でMCになったりして、みんな売れていってすごいなあって思います。

――LiLiCoさんはこの番組がきっかけで、純烈の小田井涼平さんとご結婚されました。

そうですよね。LiLiCoさんも初期から出てくれました。扱うネタによってはレギュラー陣も感情が入り込んで泣いちゃうことがよくあって、僕なんてあんまりすぐ泣いたりすることないんで、どうしようと思っちゃうこともありますが、感情が出せるのはすごいとも思います。

ハリー(杉山)も最初から出てるんですけど、初々しさとか頑張る感じが常にあるんですよ。何かあると「申し訳ないです」って何かあると直接連絡してくれて、僕よりすごい真面目に取り組んでくれてるなあと思いますね(笑)

――設楽さんが『笑っていいとも!』レギュラーのときは、『ノンストップ!』終わりで、毎週遅れて参加するという異例の形でしたよね。

そうそう! 11時半に『ノンストップ!』終わってお台場からアルタ(新宿)に行くのに時間かかって12時に間に合わないから、ちょっと心苦しかったですね。それでもいいよと言ってくれたんですけど、『いいとも』の金曜レギュラーだったときは、僕ら金曜の夜中にラジオもやってるので、『ノンストップ!』やって『いいとも』やってラジオやって、毎週生放送3本立てみたいな感じで、「なんか売れてるなあ」って思ってました(笑)

星野源

――今の番組テーマソングは、親交のある星野源さんが手がけてくれた楽曲です。

昔からお付き合いがあるので、そんな源くんにテーマソングをやってもらうのはうれしいですね。ラジオの企画で、毎年日村さんにバースデーソングを作ってくれて、その中で使ったフレーズから『ノンストップ!』の曲になったんですよ。そうやって形になるのはうれしいですし、朝で爽やかな感じの曲をちゃんと提供してくれた源くんは、やっぱりすごいなって思いました。

○■ちょっとでも生活が楽しくなるような情報を

――10年という長い期間にわたって『ノンストップ!』が支持を受け続ける理由は、どのように考えてらっしゃいますか?

この時間に見てくれる方って、やっぱり主婦の方が圧倒的に多いと思うんです。朝の仕事が終わってひと段落ついて、そこで息抜きになるというか、ちょっとでも生活が楽しくなるような情報をお届けできればというのが僕の中では最初から根底にあるので、「肩肘張らなくてもいい」という感じで見てくれている方に、付き合ってもらってるのかなというふうに思いますね。

――街で声をかけてくれる層も変わってきたのではないでしょうか。

ああ、変わったかもしれないですね。やっぱり幅広い層の方が「見てるよ」って言ってくれるようになりました。『ノンストップ!』始めて何年か経って沖縄ロケに行ったら、「見てます」って行く先々で言われてびっくりしたんですよ。そうやって肌で感じるのはありますよね。

●朝の帯番組につらいと思った時期も

――生放送の魅力というのはどのように感じていますか?

やっぱりライブ感そのままに伝わるっていうのが、一番いいところですよね。視聴者の方にアンケートとって答えてもらうというやり取りもコールアンドレスポンスというか、番組と視聴者の距離感が近い感じもして、そこはメリットだと思います。

――そうして帯の生放送のMCを10年やられて、他の収録バラエティで生きることはありますか?

やっぱり初めは緊張するし、変な力が入っちゃってるところがあったかもしれないですけど、『ノンストップ!』をやらせてもらってから、他の番組でわりとフラットな感じで進行とかできるようになったというのは、おそらくあると思いますね。生放送ってコーナーがどんどん矢継ぎ早に変わっていくんで、あんまり力を込めすぎたり、一生懸命やりすぎたりすると、どこか見てる人も疲れちゃうかなと思って。

だから、普段からふわっとした感じでやってるんですけど(笑)、「何が起きてもしょうがないな」とか「その時はその時でどうにかすればいっか」みたいな感覚でいるんです。生放送なんて、みんな何を言うか分からないじゃないですか。「こういうことを言う人もいるし、ああいうことを言う人もいるし、でもいろんな意見があるから面白いんだな」と思うようになったので、その考えは他の番組でも役立ってるのかなと思います。

――『ノンストップ!』以外でも、バラエティやラジオなどご多忙にされる中で、平日午前の生放送はしんどいなと思ったこともありますか?

最近はコロナでやってないんですけど、夏に定期的に『bananaman live』をやっていて、その稽古中やネタ作りは、他の仕事もあるので深夜になるんですよ。そこから朝の番組はちょっとつらいなと思ったこともありますけど、それも何年かやってきてそういうもんだって慣れちゃったというか。もちろん、いまだに「今日は眠いな」とかいう日もありますけど(笑)、『ノンストップ!』が基本の軸になって考えているので。

日村さんに最初に言った「『ノンストップ!』をやることは、これは広い意味でバナナマンのためになる」というのも、バナナマン的に厚みが出たり、幅広い層の人に認知してもらえるということもあってだったので、結果今の『ノンストップ!』ありきの生活になって、良かったと思いますね。

バナナマン

○■僕自身はいつか代えられちゃうんじゃないか(笑)

――いろいろお話を聞かせていただきありがとうございました。では、最後に今後15周年、20周年に向けての意気込みをお願いします。

10年って本当にすごいですよね。いろんな番組やらせてもらってますけど、今の時代は5年続くのもすごいですから。ただ、僕自身は本当にいつか代えられちゃうんじゃないかって今でも思ってますから(笑)

――かつてこの枠で『どうーなってるの?!』をやっていた小倉智昭さんは、そこから『とくダネ!』に行きましたが…。

フジテレビはそういう流れがあるみたいですけど、僕はニュースとか全然やれないですから(笑)。だから、この先いろいろあるかもしれないですけど、『ノンストップ!』で15年、20年、30年とやれたらいいなと思いますね。

●設楽統1973年生まれ、埼玉県出身。西武鉄道の駅員、渡辺正行の付き人を経て、93年に日村勇紀とお笑いコンビ・バナナマンを結成。現在のレギュラー番組は『ノンストップ!』(フジテレビ)のほか、『奇跡体験!アンビリバボー』(同)、『沸騰ワード10』(日本テレビ)、『ジョブチューン』『バナナマンのせっかくグルメ!!』『バナナマンの早起きせっかくグルメ!!』『バナナサンド』(TBS)、『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京)、『乃木坂工事中』(テレビ愛知)、『バナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)。