住まい選びで「資産価値」よりも重要なこととは何でしょうか(写真:freeangle/PIXTA)

マンションマーケットに異変が起きている。都心部ではバブル超えの異常な高値圏にある一方、郊外では売るに売れない負動産も増加しているなど、いびつな市場が形成されつつある。不動産コンサルタントの牧野知弘氏は、日本の住宅市場は変革期にあると指摘。経済成長が限界な今、業界にでっちあげられた「資産価値」よりも、都市や地域コミュニティの「創造性」を重視して住まいを選ぶことが重要だと言う。
牧野氏の著書『不動産の未来 マイホーム大転換時代に備えよ』より一部抜粋してお送りする。

「実は儲かっていない」ことに気づかない人たち

アベノミクスによってマンションを買った人たちのうちの一部が儲かった。誰かがうまいことやって儲かったとなると、自分も参加してみたいと思うのが世の常、人の常だ。だが不動産を投資という観点からみると、そんなに簡単なものではない。ましてや自分が住む家で、大きな儲けを出そうというのは至難の業であることを、いまだ多くの人たちが理解していない。

まず、資産価値が上がった、上がったと喧伝する人たちには二種類ある。実際に儲けを享受した人と、含み益を見て喜んでいる人の二種類だ。

儲けを享受した人にも二種類ある。儲けを出して手仕舞った人と、儲けたカネで次の家を買って住んでいる人だ。

家という自分が住むための不動産では、買い替え続ける限り、たとえ儲けが出ても、そのおカネで、高くなった家を買うことになるので、こうした投資行動ではマーケットが永遠に右肩上がりを続けていくことを前提としない限り、この投資が最終的に成功だったとの結論にはならない。

いったん利益を確保して手仕舞い、他の投資に振り向ける、あるいはしばらく賃貸住宅を借りて、不動産価格が下がった段階で買いなおすのであれば、投資スタンスとしては正解ということになる。こうした行動を家という自分が住む不動産で繰り返し、成功している人は実はそれほど多くはない。

では含み益をみて、ほくそ笑んでいる人はどうか。それは現時点におけるただの妄想でしかない。含み益は実現しない限りはなんの利益ももたらさないからだ。ところがこうした「夢を追いかける」ことが好きな人は世の中には多い。

不動産マーケットについてさして知見もないのに、みんなが買っているから値上がりするかもしれない、あるいはこんなに人気があるのなら大丈夫、早く買わないとなくなるかもしれない、これらの考え方は投資の世界では極めて危険な思考回路だ。

こうした考えのもとで住宅を買った人たちが、コロナ禍を契機に転落を始めている。多くの人は家を買う時に、自己資金は数百万円から1000万円程度。年収の7、8倍から十数倍もするような住宅を、夫婦ダブルローンなどで買っている。

今のローン延滞はコロナ禍で給料が減った、勤務先を解雇された、パート仕事がなくなったなどの理由によるものが多い。住宅ローンを目一杯借りて、家を買うことのリスクを事前に想定していないからだ。あまりに不動産と金融についてのリテラシーがなさすぎるとしか私には思えない。

住宅ローンはあっという間に債務超過になる

家を買うという行動を不動産投資の観点からもう一度考えてみよう。私は不動産投資信託(J-REIT)の代表をはじめ、不動産投資ファンド事業にも数多くかかわってきた。こうしたプロの目線からみて、不動産投資におけるローンの比率は、おおむね物件価格の40%、高くとも50%以内に収めることを信条としてきた。なぜなら投資には必ずリスクがつきまとうからだ。

不動産投資ファンドにおけるローンの返済原資はオフィスビルや賃貸マンションなどから得られる賃料だ。この賃料はマーケットの変化によって変動する。つまり収益が変化するからこの部分のリスクは投資を行うにあたって当然見込んでおく必要がある。住宅ローンでいえば、借入人がもらう給料が返済原資であるから、収入の増減を見込んでおくことを意味している。

さらに資産である不動産価値がどれだけ変化するか、リスクを勘案しておくことが必要だ。これはバランスシートで考えるとわかりやすい。


(画像:『不動産の未来 マイホーム大転換時代に備えよ』)

自己資本比率をある程度保っておかないと、シートの左側である資産が目減りしてしまった場合に自己資本を痛める、つまり債務超過に陥ることになる。そのことを避ける意味である程度自己資本を分厚くしておくことが求められるのだ。

住宅ローンでは自己資本にあたる自己資金はせいぜい10%程度だ。これはつまり資産価値が10%以上低下してしまうと、あっというまに債務超過状態に陥ることを会計学上は意味している。物件価格の低下とともに借入金の元本も減ってくれるのならよいのだが、そうは問屋が卸さないのが投資の世界だ。

企業や不動産投資ファンドであれば、これはもう金融機関から危険信号が発せられ、ケースによっては融資金の全額返済を求められる事態になるのである。

この投資の常識が住宅ローンの世界では見事に無視されている。いや、これまではそんなリスクを考えなくてもよかったのである。日本社会において、企業は終身雇用制度を設け、年功序列が守られて、歳を取るにしたがって収入が上がっていくのが常識だったからだ。投資の世界でいえば、賃料収入は安定しているどころか、年数を経るにつれ順調に上がっていくことが約束されていたことになるのだ。

またバランスシートで考えても、都心部の不動産は値上がりを続けているのだから、資産の部はどんどん膨らんでいくのだったら、自己資金(自己資本)が薄くても債務超過になったりはしない、と考えられてきたのだ。

「安いニッポン」は「弱いニッポン」を意味する

ではこれからの日本もこの昭和平成脳の思考回路で生き続けていくことができるのだろうか。日本だけが世界の成長から取り残されつつある。安いニッポンは弱いニッポンを意味している。

そうした状況下で、今後日本人の賃金は伸びていくのだろうか。年功序列はすでに形骸化しているのが実態だ。それどころか雇用さえ保障されていないのではないだろうか。通貨安では、輸入に頼っている、生活に必要な食料品やモノの値段が今後大幅に上昇することを覚悟せざるをえない。

デベロッパーがなんとなく吹聴する「マンションが年収の10倍、11倍でも、金利は低いし、税金のペイバックがあるから大丈夫」は今後も保証された話なのだろうか。税金などの特典がどんなにあったとしてもローンの元金が減るわけでは決してないのである。


ローン元金が気にならなくなるためには、今後も不動産価格が上昇を続けていくことが必須条件になる。安いニッポンを目指して海外投資マネーが日本の不動産を買い漁ることを続けるかもしれないが、彼らが買うエリアは日本のごく一部にすぎない。移民政策を採用しない日本で、人口減少が今後激しくなることは確定している。

東京一極集中がそろそろ薄れ始める中で、どんな期待をもって不動産価格が上昇し続けるとすればよいか、専門家である私から見ても、相当高度な投資判断が要求される問題だ。

流れや流行に乗っかって「私もひょっとしたら儲かるかも」などといった邪念で、思い切り背伸びをして家を買った人たちを迎えるのは、日本の今後の厳しい社会状況だ。

おそらく多くの人たちがこの日本が置かれた厳しい環境を認識するまでには、少し時間がかかるかもしれない。小さな穴が大きくなり、全員が認識するまでに時間がかかるからだ。そしてそれまでの間に多くの住宅ローン破綻が現実の問題として社会を賑わすことになるであろう。

昭和平成脳が完全に否定されるまで、この悲劇は続くことになる。

(牧野 知弘 : 不動産プロデューサー)