「ビニール傘、ハンガー、試供品…」片付けられない人が必ず溜め込む不用品ワースト10
※本稿は、やましたひでこ『1日5分からの断捨離 モノが減ると時間が増える』(大和書房)の一部を再編集したものです。
■一番重症な人は「ヘドロ沼」に浸かっている人
あなたの住まいの状態はどうなっていますか。
「断捨離できない」という悩みを持つお宅の状態は、3つのレベルに分けることができます。
「ヘドロ沼」に浸かって身動きがとれない人
「どぶ池」に浸かっている人
「ため池」に浸かっている人
一番重症な人は「ヘドロ沼」に浸かっている人です。
「モノであふれている」「散らかっている」というレベルではありません。ヘドロのようにモノがじっとそこにあり、その上にまたモノが重なり、動かしようのない状態のこと。あきらめの度合いが一番高いといえるかもしれません。
「どうして断捨離できないんだろう」と自分を責める
住まいがヘドロ沼になっていると、人生もヘドロに沈んだまま、もがく力さえ失ってしまっている場合があります。断捨離すると、少しもがきだす。そのもがきの最中が一番苦しいのです。
本人はヘドロに浸かっているという意識がないため、「どうして私は断捨離できないんだろう」と自分を責めます。この段階の人は、もはや「病」と見なければいけない重篤(じゅうとく)なレベルにあるといえます。
次の段階は「どぶ池」のような住まいです。モノであふれ、散らかり、動きに不自由を感じる状態です。そこに住みながら、生きづらさと自己否定にどっぷりはまっている人もいます。
住まいが「ため池」になると、だいぶモノは減ってきます。レベルとしては比較的軽症ですが、クリアな視界が得られないまま、漠とした不全感を抱えています。スッキリとした開放感とはほど遠い状態です。
この3つの空間の状態は、これにとどまっている期間、時間も無視できません。
「ヘドロ沼」であっても、その期間が短い人は足首まで浸かっているくらいだといえます。一方、「ため池」であっても、そこに何十年と浸かっている住人はやはり弱っています。
このように一人ひとりレベルも状態もちがうのです。それを本人が正しく認識することは容易ではありません。
■不用品に埋もれていると感覚が鈍化する
ある取材で訪れたお宅は、まさに「ヘドロ沼」の状態といえました。
夫婦ふたり暮らし、築20年の住宅です。外観こそキレイですが、室内に入ると不穏な空気が漂います。リビングとそこに接する和室を仕切るふすまは、ぴしゃりと閉められたまま。開けてもらうと、畳はモノで埋まって見えず、雨戸が閉まったままで真っ暗です。
「いつから閉まっているんですか?」とたずねると、なんと10年前。2階の寝室も夫の私物であふれ、寝るスペースはありません。ふたりがどこで寝ているかといえば、リビングです。
10年前に何かがあったのでしょう。何があったかはわかりませんが、自分たちにとって都合のよくないことがあり、それを見ないようにしている。感覚がすっかり鈍化し、いや麻痺し、いや不感症といってもいいでしょう。
ここから抜け出すためには、「この空間をよく見て!」としっかりお声がけする必要がありました。
そんな「ヘドロ」に足をとられながら、「どぶ池」に腰まで浸かりながら、平然と生活している人は多くいます。平然としているように見えて、その実、「いじめ空間」に身を置いているようなもの。
そんな中で夢を思い描き、夢を叶えようとしても、それはムリな話。その中で見ている夢など、現実から逃げるための幻想、つまり現実逃避でしかないのです。
■「要・適・快」を意識してモノを選抜
現状認識していくことで解決策は見えてきます。それが行動につながっていきます。現状認識とは、よく見ること。よく見て、自分がどう感じているかを認識すること。
そのうえで断捨離では「要・適・快」を意識して、モノを捨て、モノを選び抜いていきます。「要・適・快」とは、
要 要るのか、要らないのか
適 ふさわしいのか、ふさわしくないか
快 心地よいのか、心地よくないのか
を自分の心に問いかけること。
私はあきらめていません。空間の有様を変えれば、人は必ず変わるということを知っているからです。捨てればすべて解決するのに……ともどかしい思いをすることもありますが、断捨離で人生が変わっていく人たちを今日も目の当たりにしているからです。
そこで、多くの人が必要だと思っているけど、実は捨てられるモノを紹介していきます。ただし、これはあくまで私の基準、提案なので、読んでみて、皆さんがご自身で考えてみてください。
さあ、一緒に断捨離で変わりましょう。
■不用品1「ビニール傘」
傘は「用心」の象徴です。
誰でも雨に濡れたくはないですよね。でも、雨は毎日降るわけではない。たいていの人はそのとき、その場の雨が防げたらいいと思っています。
「用心」のために折り畳み傘を常に持ち歩いている人もいますが、ふだんは傘を家に置いている人も少なくないでしょう。
そんなとき、ざあっと雨が降り出したら、飛び込んだコンビニでビニール傘を買うかもしれません。ビニール傘はあくまでそのとき、その場だけのモノ。帰り道に雨をしのいでくれたあとは「お役御免」となってしまいます。
買って使って捨てる。そんな使い捨ての意識はあっても、傘という物体があるかぎり、捨てることなく傘立てに突っ込んでおきます。こうしてビニール傘がどんどんたまっていくのです。
雨に遭遇するかもしれない頻度に対しての「用心」が基準になっているため、無限に持っておきたい、置いておきたい。必要以上にあることに対して無自覚になりやすいのです。
傘は本来、一人1本あれば十分です。
少々高価でも大事に使いたい傘、お気に入りの傘が1本あれば、雨の日が待ち遠しくなります。今、傘立てにはビニール傘が入っていますか? もし、家族の人数分以上のビール傘が突っ込まれていたら、それを間引いていきましょう。
■不用品2「スリッパ」
「お客さまにスリッパを出さないと失礼なのでは」という思い込みはありませんか。
ひとまず玄関にスリッパを常備しているものの、使う機会のないまま放置しているお宅もあるでしょう。
つまり、玄関スリッパは「いるものだという思い込み」の象徴といえます。
もしかしたら、スリッパを履くような大きな邸宅、上質社会への憧れが残っているのかもしれません。
玄関スリッパはあってもよし、なくてもよし。家の中で素足かスリッパを履くかは、それぞれの生活スタイルです。
わが家は、玄関スリッパを置いていません。素足で歩きまわるのが気持ちいいからです。コロナ禍に始めた「断捨離ヨガ」のオンラインレッスンでも、もちろん素足。いつも素足で冷え知らずです。
床をピカピカに磨き、きゅきゅっとした感覚を足の裏で味わう。お客さまにも「素足でおあがりください」とお伝えしています。
■不用品3「ソファ」
ソファは「憧れ」の象徴。リビングにソファがあることで、団欒があり、くつろぎがあり、もてなしの時間があると、私たちは「勘違い」しています。
はっきり申し上げて、ソファはまったくの無用です。
モノはそれぞれ「お役目」を持っています。日本の小さな住空間で、ソファのお役目を生かすことは簡単ではありません。本来、ソファは食後、ゆっくり会話しながらお茶を飲むためのもの。
ところが、私たちときたら……。ソファの前に腰を下ろし背もたれにするか、脱ぎ捨てた服と読みかけの雑誌の仮置き場にするか、ではないでしょうか。
ソファは大空間に堂々と置かれなければなりません。ソファのまわりはぐるりと一周歩けるスペースがほしい。ペタッと壁にくっつけて収めるものではないのです。
また、住空間とソファの雰囲気がマッチしないこともしばしば。ケーキとおまんじゅうのように、そもそもテイストがちがうのです。たしかにソファでごろんとするのは気持ちいいですよね。私も何度か「失敗」をしてきたので、つい手を出したくなるのはわかります。
すでに持っているソファを取り除くのは、断捨離のなかでも上級編。ソファの断捨離までたどりつける人はごくわずかです。
そこで第一歩として、ソファの上にあるモノを取り除きましょう。モノ置き場でなく、身を置く場としてのお役目を復活させる。
そのうえで、ソファの本来のお役目をもう一度、自分自身に問いかけてみたいものです。
■不用品4「飾り」
お気に入りの小物、家族の写真、季節の花……。インテリアとして、自分の思いの表現として、いろいろ飾るのは愉しいですよね。それらのモノ、ケアは行き届いていますか? モノは増えれば増えるほどその存在を消し、忘れ去られていく運命にあります。
「モノを飾る」ことにおいて、私がお手本にしているのが「お茶」の世界です。空間を、掛け軸と一輪のお茶花でしつらえ、一服のお茶を点てて季節を味わう。
お茶花の凛としたたたずまいが引き立つのは、その周囲に空間があるからです。余分なモノがごてごて飾られることなく、余計な計らい、過剰な演出もないからです。
あるのはさしずめ余白――。
いうまでもなく断捨離とは、余計なもの、余分なものを引き算していき、余白の美しさを愉しめるようになること。何もないからこそ、1つの置き物、一輪の花さえも、その存在を際立たせる力を持っているのです。
■不用品5「台ふき」
台ふきほど繰り返し使って不潔なものはありません。台ふきほど干して見苦しいものはありません。
食卓や作業台を拭くという後始末のあと、布ふきんを洗って干す。もうひとつの後始末が生まれます。いわば、後始末の後始末。
汚れた台ふきは、洋服と一緒に洗濯機に投げ込むのもためらわれるし、漂白剤につけるのもなかなかの手間。家事を億劫(おっくう)にさせるやっかいな存在といえます。ならば、断捨離。
そこで、私は拭き掃除の一切をペーパータオルに頼っています。
最近はオンラインショップで見つけた優秀なペーパータオルを愛用。通常のペーパーよりも厚みがあって丈夫、繰り返し洗って使えるタイプです。
食器を拭いたあと、調理台、シンク、ガス台を拭いて、めいっぱい働いたら、ゴミ箱へ。
拭きたいときすぐに手にとれるように、キッチンの棚や引き出しの数か所にぽんぽんとセット。ストックは廊下の収納で「一元管理」しています。
いかがですか?
今までのわずらわしい習慣を断捨離することも「1日5分から」できますよ。
■不用品6「粗品・プラスチック製品」
食器棚には「いつ買ったっけ?」「なんで持っているんだっけ?」というモノが眠っています。商品のおまけでついてきた粗品、間に合わせで買ったプラスチックのお皿……心当たりがあるかもしれませんね。
ある若い男性の受講生さんも、ちょうどドーナツを買うとたまるポイントで粗品をもらう段取りの最中でした。
「断捨離とは自分をもてなすこと」「断捨離とはなりたい自分に近づいていくこと」と学ぶや、速攻で「断します!」とおっしゃいました。
そうですよね。その粗品で自分の「男前度」が上がるのか、否、下がるのか、ご自身で判断なさったようです。あぶなくオマケの品に自分のセルフイメージを合わせるところだった……。
ポイントをためて商品をゲットするのは、たしかにお得感があり愉しいものです。だけど、その行為と商品とは別物、別次元です。
本当にその商品が今の自分にとって「要・適・快」なのか吟味する必要があります。
「男前な自分」に与える品々は、選んで選んで選び抜いたモノでなくてはなりません。迂闊に粗品とおぼしきモノたちで自分をもてなしてはなりませんね。
■不用品7「保存容器」
保存容器の代表格といえばタッパー。これまで何度もタッパーに空間を占領されたタッパー御殿にお邪魔してきました。
今捨てる。今度捨てる。いつか捨てる。
そう言いながら、お皿に食べ残した少しばかりのお料理をタッパー容器に移す。それを冷蔵庫に収めておしまい。
いつ食べるのでしょうか。
3日間ほど冷やしてから捨てるのか。1週間ほど保存したつもりになってそこから捨てるのか。2カ月くらい凍らしてから捨てるのか。何カ月も冷凍したままにして忘れてしまうのか。結局、食べることはないのです。
今捨てるのも、今度捨てるのも、いつか捨てるのも、捨てることに変わりはありません。とはいえ、今捨てることのなんと難しいことでしょう。でもこれは、捨てることの後ろめたさの先送りなのです。
かくいう私も人のことは責められません。コロナ籠城生活で、保存容器がどんどん増えていったのです。空っぽの保存容器の保管場所は冷蔵庫、と決めたはずが、棚にも保存容器が積まれていました。なんだか必要な気になっていましたが、すっぱり断捨離。もう家にこもってなどいません。食べたいものはすぐに買えますからね。
そして保存容器は中サイズを4つ、小サイズを4つに絞り込みを。足りなければ保存袋でも問題なし。容器はカタチのあるものですから、捨てる心の痛みはどうしてもあります。もちろん私にもあります。痛みを覚えつつも、思いきって捨てるだけ。一緒にがんばりましょう。
■不用品8「試供品」
洗面所の引き出しを開けると、いつもらったかも定かではない試供品が出てくる、出てくる。購入した化粧品についてきただろうモノ。なんとなくなだれ込んできてしまったモノ。
「断捨離の基本」をおさらいすると、断捨離の「断」は、なだれ込むモノを「断」つ、でしたね。モノが勝手に家の中に歩いて入ってくることはないはずですが、最近はネットで買うとセットでサンプルがついてくることもあり、「断」の難しい場面もあります。
ならば、「捨」を。それをすることなく、「とりあえずとっておこう」とするため、引き出しが保留グッズでいっぱいになるのです。
「とりあえずとっておく」ことは、そこに意図・意思が働いていないということ。思考・感覚・感性が鈍っているということです。
こうした「とりあえず」を続けていると、「とりあえず」=妥協のモノ、コト、ヒト(人間関係)に囲まれていくことになります。つまり妥協の人生が待っているのです。
ちょっと大げさ? いいえ、そんなことはありません。
断捨離では、日常の小さなモノで、思考・感覚・感性を働かせるトレーニングをしているのです。そうすれば、いざ大きなモノ、コト、ヒトに対しても、いい選択・決断ができるのです。ちゃんとつながっているんですよ。
■不用品9「ハンガー」
クローゼットがぎゅうぎゅうになってしまうのは、空間に対する洋服の総量がオーバーしているからに他なりません。では、「適量」とはどのくらい?
私はハンガーで洋服の総量規制をしています。
クローゼットの中に新しい洋服を入れるためには、まず古い洋服を捨てなければなりません。
断捨離の原則は「捨」が優先。1イン、1アウトでは甘い。1アウト、1インが鉄則です。空間に対する総量規制。時間に対する総量規制。
その「総量」「適量」を目に見える形で教えてくれるのがハンガーです。適度な「間」をとってクローゼットの中で洋服が気持ちよさそうにある、そんな状態を目指します。
朝、クローゼットから洋服をとりだしたら、空いたハンガーは1か所にまとめておきます。そうすると、空間にあと何枚分の余裕があるかがクリアになります。ハンガーは洋服と洋服の間に埋もれがちですが、救いだしてくださいね。
さらにハンガーは、それじたいのデザインにもこだわりたいもの。数を揃えればいいわけではありません。色とりどり、形もまちまち、統一感なしでは、美しいクローゼットにはなりえません。今まで私は洗濯屋さんの黒いハンガーで統一していましたが、最近ようやく心躍るハンガーとの出会いがありました。
■不用品10「トリセツ」
トリセツ=取扱説明書。家電やデジタル機器を買えばついてくる、「とりあえずとっておく」の代表格です。
トリセツは超・他人軸。トリセツは思考を奪います。
現場で私が遭遇するのは、家電などの本体がすでにないケース。本体は役目が終わっているのにトリセツだけ残っている。要するにトリセツは必要ない、活用しないという事実があります。
でも義務的にとっておくのです。「これはとっておかなくてはならないモノ」という完全なトリセツ軸に陥ってしまうのです。
実際、家電が動かなくなったとき、トリセツを引っ張りだしてきて直した経験はあるでしょうか。トリセツを「活用できる・できない」と言うことがありますが、それは自分の能力の問題だと思っていませんか。
そうではありません。肝心なのは、自分がトリセツを「活用するか・しないか」です。能力の問題ではなく、行動するしかないです。
「片づけられない」「捨てられない」という言葉も同じです。片づけていないだけ、捨てていないだけなのです。
トリセツ軸から自分軸へ。主導権を取り戻しましょう。
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やました ひでこ一般財団法人「断捨離」代表
東京都出身。早稲田大学文学部卒。学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片付け」に落としこみ、誰もが実践可能な自己探訪のメソッドを構築。断捨離は、思考の新陳代謝をうながす発想の転換法でもある。処女作『断捨離』に続く『俯瞰力』『自在力』(いずれもマガジンハウス)の三部作をはじめ、著作・監修含めた関連書籍は国内累計500万部を超えるミリオンセラーになる。『モノが減ると心は潤う 簡単「断捨離」生活』『モノが減ると家事も減る 家事の断捨離』『モノを減らして愉快に生きる 定年後の断捨離』(いずれも大和書房)の「モノが減る」三部作はロングセラーに。新著に『1日5分からの断捨離 モノが減ると時間が増える』(大和書房)がある。
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(一般財団法人「断捨離」代表 やました ひでこ)