指定廃棄物問題 詳細調査の候補地は今 栃木と震災10年の歩み
シリーズでお伝えする栃木と震災10年の歩みです。
地震による原発事故によって県内にも降り注ぎ、現在もその影響が続く放射性物質を伴う指定廃棄物をめぐる問題について、1回目は改めて、この問題の経緯を振り返るとともに現在の処分場候補地の様子、そして戦い続けてきた地元の声をお伝えします。
2011年3月11日。東日本大震災による津波で被害を受けた東京電力福島第1原子力発電所。
その事故により放出された放射性物質が栃木県にも降り注ぎました。
県北地域を中心に土壌や稲わら、それらを焼却した灰などは国の基準値を超える放射性物質が付着し、1キログラムあたり8000ベクレルを超える高い濃度のものが「指定廃棄物」と呼ばれています。
放射線量の高い数値が観測された県内では、農畜産物の出荷の一時停止や学校の表土除去、さらに住民の放射線量の測定など不安を取り除くための長い戦いが始まりました。
その結果、現在でも栃木県内に一時的に保管されている指定廃棄物は1万3千トンを超え、福島県に次ぐ量となっています。
国は、それぞれの県で発生した指定廃棄物は、その県内で処理するという基本方針を定め、その後、県内各地に分散している指定廃棄物を1カ所に集約する長期管理施設の設置の検討を進めました。
その調査の候補地として2012年9月に矢板市内の国有林が提示されました。
しかし、選定方法の不透明さや白紙撤回を求める地元の反対運動などにより候補地選定を一旦取り下げ選定プロセスを見直すことに。
そして2014年7月30日。
国は改めて塩谷町寺島入にある国有林を長期管理施設の設置に向けた詳細調査候補地として選定しました。
見形和久 塩谷町長:「町政施行50年を迎えるがお祝いをするのではなくて戦いの場に足を踏み入れなくてはならないことが予想されるそういう意味では全く私は残念でならない」
詳細調査候補地の周辺は高原山から湧き出る水が流れていることもあり、自然を守りたいという町民を中心とした組織が激しい反対運動を繰り広げました。
見形和久 塩谷町長:「塩谷町から参りまして寺島入の候補地の詳細調査を返上します。塩谷町民の願いであるので、我々としては一区切りを付けたいと思っているので、そういう方向で進ませて頂きたい」
この影響もあり、現在も国による詳細調査は行われていません。
選定されてから6年半。反対同盟会の君島 勝美会長に詳細調査の候補地を案内してもらいました。
塩谷町民指定廃棄物最終処分場反対同盟会 君島勝美会長:「これが行く途中の現状なんです。このように危ないところです。あちこちの沢からの水が山からみんな流れてきて崩れたところに集中したからああいうふうに路肩が崩れたんだと思いますね」
塩谷町役場から北におよそ15キロ、ほうずき橋を超えると国有林に囲まれた3ヘクタールに及ぶ詳細調査候補地が目に入ってきます。
君島勝美会長:「気を付けて足場が悪いからこの辺が候補地の中に入っています。関東・東北豪雨や台風19号によって冠水した場所で上から流れてきてこのように枝がひっかっているのが現状。木も根っこがとられてあのような状態になっています」
反対同盟会によりますと、この場所はこれまでに3度冠水していて、詳細調査候補地の選定要件には洪水や土石流など自然災害のおそれがある地域を除外することが示されています。
君島勝美会長:「上の方から地積を調査してもらったら、ここは間違いなく土石流の可能性は大きいという結果が出ているので、そういう基準を私たちは国にお願いしないで、自分たちの町の人たちが一丸となってここは適地ではないという証明をとったので返上しました」
塩谷町から詳細調査候補地の返上を受けた環境省は重く受け止めるとした一方で、一部の冠水があったことのみをもって直ちに「詳細調査候補地から除外すべきものではない」と回答し引き続き詳細調査の実施に向けた働きかけを継続していくとしています。
選定された6年半前のあの日以来多くの町民の生活が大きく変わりました。
君島勝美会長:「塩谷町から白紙撤回されてどこかに行けばいいんだではなく、次はどこどこの町といったらまた同じような結果になると思う。町も町民もみんな大変な思いをするわけですからそれは望んでいないので、全般的なものを環境省が国が示して頂かないと、良かったというようにはならない。終わるまで私たちは見守っていきたい」