インテル、「奇妙な背番号」を背負った8人のスター
イタリアが誇る世界的クラブ、インテル。ここでは、奇妙な背番号を背負った選手を振り返ってみる。
3番:モハメド・カロン
アタッカーにもかかわらず小さな背番号を背負ったシエラレオネ代表FW。
代表では10番を好んだが、レッジーナやヴィチェンツァでは2番、インテルでは3番を着けた。
モハメド・カロン
「僕が加入した当時のインテルにはセードルフ、ロナウド、ヴィエリたちがいて、自分が欲しい背番号を選ぶことは不可能だった。
だから、空いてる番号を探した。3番を目にして、それをとったんだ。
レッジーナで2番だったのは、アンドレア・ピルロが10番だったからさ。
インテルでは背番号100だろうと喜んでプレーしたよ」
5番:デヤン・スタンコヴィッチ
“デキ”のあだ名で呼ばれたセルビア代表MF。
もとはファンタジスタ的な天才タイプだったが、イタリアの地で万能型MFとして大成した。「王様から裏方への栄転」を果たすと、セリエAでも屈指の選手として活躍。
インテルでは11番、25番を経て、5番に定着した。ラツィオでも10番を背負う前に5番を着けている。
8番:ズラタン・イブラヒモヴィッチ
39歳になった現在もセリエAの舞台で活躍する怪物。フリオ・クルスが9番を着けていたインテルではまさかの8番を背負った。
バルセロナに移籍することになる2009年のプレシーズンには幻の10番姿も。
11番:アレクサンダル・コラロフ
“セルビアのロベルト・カルロス”との異名で知られる攻撃的な左サイドバック。
DFながら11番を好んでおり、ラツィオ、マンチェスター・シティ、ローマでもこの番号を着けた。
その理由は「俺はもともとウィングだった。サイドバックとしてプレーし始めたのはU-19からだ。だから、(ウィング時代の)11番を着けているんだ」。
45番:マリオ・バロテッリ
インテルでデビューした元怪童ストライカー。45番を愛用する理由についてはこう語っている。
マリオ・バロテッリ
「インテルで出始めた頃に45番を着けていた。若手の番号は36〜50番だったからね。
4と5を足せば9になると冗談を言って、45番を選んだ。そして、最初の4試合で全てゴールを決めた。
この番号が幸運をもたらしてくれたんだ。だから、常に45番を着け続けているのさ」
現在所属するセリエBのモンツァでも選んだのは45番だ。
55番:長友 佑都
FC東京やチェゼーナ、日本代表では5番を着けていた長友。
インテルではスタンコヴィッチが5番だったために、ゾロ目の55番にしたとか。インテルで55番を着けたのは今のところ長友が最後だ。
マルセイユに所属する現在の背番号は25番(リーグアンでは基本的に50番以上の背番号はない)。
77番:マルセロ・ブロゾヴィッチ
卓越したサッカーIQと攻守両面でチームのために働く献身さを兼ね備えた近代的なミッドフィルダー。
クロアチア代表では11番を背負っているが、クラブではディナモ・ザグレブ時代から77番を着用。
「77番にした理由をよく聞かれる。シンプルさ。11番が空いてなかった。だから、似ている77番にしたんだ」というのが理由だそう。
ちなみに、インテルの77番はリカルド・クアレズマ、サリー・ムンタリらも着けたことがある。
95番:アレッサンドロ・バストーニ
イタリア各世代代表を経験してきたエリート、190cmの大型センターバックだ。
アタランタ時代から95番を愛用している理由を本人はこう述べている。
アレッサンドロ・バストーニ(インテルDF)
「アタランタのトップチームに初めて招集された時から始まった簡単な話さ。
兄と約束したんだ。僕ら5人家族はとても仲良しで、僕は彼の誕生年である95番を背負うと。
だから、パルマでもインテルでも同じことをした。
自分と一緒に彼をピッチに連れていく方法さ。家族全員もね」
【写真】サッカー史上最も奇妙な「背番号1〜11番」を背負った男たち
1995年生まれの兄のことを思ってこの番号を着けているそう。なんとも家族思いな選手だ。