「“将来の夢”なんて言っていないで、今叶えればいいじゃん」

起業家・堀江貴文さんは、よく「将来ではなく今やれ」と言います。

しかし、なかなか行動に移せない人は多いはず。

それは無意識のうちに世間の常識に染まりきって、自分に見えない枷をはめてしまっているのが原因なのかもしれません。

堀江さんは、今年9月に上梓した『将来の夢なんか、いま叶えろ。』(実務教育出版)のなかで、多くの人が陥っている固定概念を捨てるよう語りかけます。

私たちが陥っている固定概念とは? そして克服するためにはどうすればいいのか?

同書から一部を抜粋、再構成してお届けします。


学歴は究極のオワコン

僕は、ずっと前から「大学にはブランドとしての価値しかない。だから、東大以外に行く必要はない」と公言している。

炎上しようが批判されようが、撤回するつもりはない。大学にブランドとしての価値しかないのは、明白な事実だからだ。

大学に行って学ぶ「教養」は、インターネットですべて学べる。その気になれば誰だって、受験勉強なしで東大生と同じレベルの学問を修められる。

だから、本来は東大にも行く価値はないのだが、社会的な信用度とかブランドの価値はいまも昔もこれからも一番であり続けるので、行っておいても損はしないという意味だ。

僕は東大に現役合格したが、入学して数か月で通うのをやめた。学歴としては、中退だ。

でも東大のブランド価値は得ているので、必死にやった受験勉強の収穫としては、悪くない。卒業すれば良かったのに、と言われたこともある。

たしかに、入学時から中退しようと決めていたわけではないので、卒業の選択もないわけではなかった。しかし、東大に通うこと自体が、バカバカしくなったのだ。

九州のド田舎から上京して、東大なら面白い人たちとたくさん出会える! と期待していた。

けれど周りの学生は、真面目な勉強家タイプばかり。自分から何かを発信していこうとか、勉強以外の挑戦をしようという好奇心旺盛な人が、まったくいない。

東大にも面白いヤツはいないのか…と、つまらなくなってしまった。

たまに学内で話してみると、同期の学生はみんな、コツコツ単位を獲得して、名の通った一流企業へ就職する道を望んでいた。

僕は、あきれ果てた。せっかく苦労して日本で一番の大学に入ったのに、就職試験で再びランクの低い学生たちと同じスタートラインに立つなんて、どう考えてもバカげている。「お前ら、本当にそれで人生楽しいの?」と言いたくなった。

東大生も、残念ながらほとんどが悪い意味でバカ、つまり「より知的で面白い人生を送るための思考を放棄してしまった人」たちなのだ。

もちろん、これは僕の印象だ。なかには優秀な人もいただろうし、行動力が高くルールにとらわれない、個性的な東大生もいたかもしれない。

ただ、そういう人は勝手に行動して、他の学生の視界から、とっくに外れていたのだろう。

僕もすぐ東大に通わなくなり、自分の好きなことで勝手に動き出した。正解だったと思う。

もし本書を読んでいる人の中に東大を目指す人がいたら、「ブランド価値だけ取りにいくつもりなら別にいいけれど、『最高峰の賢い人たちと出会える』という期待が叶う確率はとても低い。確実に賢くて優秀な人と出会いたいなら、むしろ偏差値や学歴の外に出るべきだ」と伝えたい。

キャンパスライフを楽しみたいという理由で、大学を目指す高校生もいるだろう。

でも、僕は声を大にして伝えたい。

キャンパスライフよりも楽しい環境は社会に出ればたくさんあるし、実利の学びを得られる場所もいくらでも見つけられる。

僕は一般の人より科学系の知識が豊富だと思うが、大学で学んだものは一切ない。すべて独学だ。

たとえば、コンピューターサイエンス(情報と計算の理論的基礎)を学びたい人なら、大学の科学系の学部を受験するよりも、まず専門書を読了することを勧める。

オンラインの講座や、専門家の主催しているサロンに通うのもいい。いずれにしろ、大学に通うよりはるかに安く、ほしい教養を培える。

東大レベルだろうと、流れの速いグローバル社会に対応できるほどの即戦力的な教育がなされているとは、僕には思えない。

根本的な話として、コンピューターサイエンスを大学から学びたい、もしくは大学でしか学べないと考えているような思考停止した若者は、シビアなビジネスの世界で振り落とされてしまうだろう。


大学なんて行きたいときに行けばいい

2019年、ネット番組の企画で、僕は人生二度目の東大受験に臨んだ。結果は、不合格だった。受験で受からなかったのは人生で初めての経験だったので、少しがっかりした。

しかし負け惜しみではなく、一定の結果は出せたと思う。

ビジネスで国内外を駆け回りながら、わずかな時間をぬって受験勉強を重ね、何とかセンター試験を突破した。現役時代とあまり変わらない、合格圏内ギリギリまで学力を取り戻せたのだ。

そのチャレンジに勇気づけられたという受験生は、思いのほか多かったようだ。

20余年ぶりの受験勉強は、意外と楽しかった。40代半ばの大人になってから東大合格なんて不可能と思われるかもしれないが、そんなことはない。

僕でいえば、海外での事業をたくさん手がけてきて、英語のヒアリング力は現役時代より上がっている。

2019年のセンター入試では、ウズベキスタンとウクライナの比較問題など、学生では手こずりそうな出題も見られたが、大人になってから身につけた地理の知識で対応できた。

YouTubeチャンネルの数学指導で有名なヨビノリたくみ先生の優れた指導を受け、これからはコーチング専門の塾にビジネスの需要があると思った。

つまり、勉強から何年も離れていようと、真面目に社会で過ごしていれば、大学受験は無理な挑戦ではないのだ。むしろ学生時代にはなかった新しい気づきを得られる。

大学に行く必要なんて、そもそもない。むやみに偏差値を上げることを目的にする意味は、もっとない。

けれど、アカデミックの専門機関で、自分の好きな学問を深めたいという気持ちを否定するつもりはない。高校中退組はもちろん、今後は社会人の再受験の希望者が増えていくといいと思っている。

「大学は大人になってからでも行ける」ということを、もっと社会はアナウンスしていくべきだ。


必要なのは学歴ではなく「学び歴」

大学生は、どこの大学を出ようと企業の即戦力にはなりえない。学校は実務的な教育など、行っていないからだ。

有名な企業の入社試験を受けるためには、そこそこの学歴を経由していないといけないかもしれないが、企業名にこだわらない、本質の伴った仕事をしたいなら、大学になんか行かなくていい。

学歴よりも大事なのは、やりたいこととやるべきことを自分で見きわめ、探究の実践を積み重ねた「学び歴」。

すなわち行動実績だ。

「学び歴」を得るのは早い方がいいけれど、年齢は関係ない。成人してからでもいいし、40代以降から学び直すのも結構だ。

だいたい「学生でなければ学ばなくてもいい」「大人は勉強よりも仕事」という考え方がおかしい。

それも学歴を重視しすぎた、学校教育の弊害の一つだ。いまどき律儀に新卒一括採用を守っている企業になど見切りをつけ、自分なりの学習方法に臨もう。

夢なんていますぐ叶う

堀江さんは同書のなかで、次のようにつづっています。

頭と体がヘトヘトになるまで、没頭しろ。

没頭の力があれば、夢なんていますぐ叶う。

将来の夢なんか、いま叶えろ。

動いた人から夢を叶えていく。これはどんな時世にあっても、変わらぬ真理。

「将来」ではなく、「今」この瞬間の行動から変えていきましょう。