日本人の知らない旧満州「9.18」反日施設の実態
「偽満州国皇宮」と書かれてある愛新覚羅溥儀の皇宮前の石碑(写真:筆者撮影)
米中関係が悪化の一途をたどる中で、日本は複雑な立ち位置を迫られる。
いうまでもなく、アメリカは日本の同盟国だ。隣国の中国は、日本の最大の貿易相手国だ。
アメリカはあらゆる制裁を打ち出して、中国の覇権主義を切り崩しにかかる。9月15日から、中国の華為技術(ファーウェイ)への半導体輸出規制が発効されたのもその1つで、日本の半導体メーカーもファーウェイ向け出荷を停止している。
中国にしてみれば、本来ならば今年4月に予定されていた習近平国家主席の国賓としての来日にみられるように、昨今の日本との友好的な関係を維持して、強硬的な姿勢を貫くアメリカとの橋渡し役にしたい。そう考えていてもおかしくはない。
その日本では、安倍晋三内閣の長期政権が幕を下ろし、16日に菅義偉内閣が誕生したばかりだ。安倍前首相のように両国首脳と友好的な関係を演出できるか、定かではない。
そうした中で迎える9月18日。この日は、中国にとって忘れてはならない日だ。89年前に、満州事変の勃発した日だからだ。それを「反日」と結びつけて象徴する場所が中国にある。
「忘れる勿(なか)れ“九・一八”」
「偽満州国皇宮」はこの門の奥にある(写真:筆者撮影)
1931年9月18日、奉天(現在の瀋陽)郊外にある柳条湖付近の南満州鉄道の線路上で爆発があり、これを中国軍の犯行として関東軍が軍事行動に出る。いわゆる柳条湖事件だ。これをきっかけに、翌年には満州国が建国される。
満州国の首都「新京」は、現在の中国・吉林省長春にあたる。今、長春を訪れると、満州国の皇帝だった愛新覚羅溥儀の皇宮も残っていて、見学することができる。ただし中国では、これを「偽満州国皇宮」と呼んでいる。偽りの国ということだ。
しかも、そこは「偽満皇宮博物院」「長春溥儀研究会」と記された門と鉄条網に囲まれた中に管理されてある。
溥儀の皇宮は、三角屋根を載せた西洋風の2階建ての四角い建物が敷地の中にいくつも並んでいる。それぞれが、溥儀の居室であったり、執務や会見のためのものであったり、あるいは夫人の生活空間であったものだ。内装や家具は当時のものをそのまま保存している。溥儀専用の散髪室もある。
そこで中心になるのは、「緝熙楼(しょうきろう)」と呼ばれる溥儀の暮らした居住空間としての建物だった。ところが、その正面玄関前のスペースには、そこをすべて覆い尽くしてしまいそうなほど、巨大な黒色の石盤が増設されてあった。
「勿忘“九・一八”」と書かれた石盤(写真:筆者撮影)
「勿忘“九・一八” 江澤民」
そういう文字が金色で彫り抜かれている。署名のとおり、江沢民・元国家主席の揮毫だ。
「忘れる勿(なか)れ“九・一八”」
9月18日を中国人ならば忘れてはならない――。
もう1つの半日博物館の存在
歴史的保存物に、あえてこのようなものを置き、反日教育を推し進めた江沢民は、溥儀の皇宮の脇にもう1つ「東北淪陥史陳列館」という巨大な博物館を建てている。エントランスホールには、やはり「勿忘9・18」の文字を掲げ、その下に「日本侵略中国東北史実展覧」とあった。つまり、日本の中国侵略の歴史を伝えるものだ。
順路に従って最初の展示スペースに入ろうとすると、間口の脇の壁に中国語と英語とそれに日本語で文章が書かれていた。中国語で「前言」、日本語では「始めに」とあるそこには、こんな記載があった。あえてその全文を示してみる。
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展示スペース前に掲出されている「前言」(写真:筆者撮影)
<炎帝と黄帝の子孫である中国人は、1931年9月18日、日本が凶暴にも内外を驚愕させる“九・一八事変”を引き起こし、武力で中国東北を侵略・占領して偽満州国をつくり、ファッショ的植民地支配を行って東北人民を奴隷化し、ほしいままに資源を収奪すること14年の長きにわたったことを、誰ひとりとして忘れるはずはない。
しかし、日本国内の一部の人々はこの時期の歴史を正視することが出来ず、甚だしくそれを歪曲・否認さえしている。そして、現在、中国(国内)の青少年の中には、日本が中国侵略で行ったファッショ的植民地支配の蛮行が分からず、日本軍国主義、偽満州国とは何ものであるかが分からず、銃剣による支配下でかつて中国人民が受けた屈辱と苦難が分からず、抗日戦争の困難さと比類のなさが分からない者がすでに少なくない。
それゆえ、私たちは大量の歴史的図面、文物、また、歴史証人の証言などの音声・画像資料をもって展示を作り、当時の歴史を再現したが、これは歴史とはいかなる人も書き替えることが出来ないものであることを証明するためである。すなわち、広範な人民にこの悲惨で苦痛な屈辱の歴史をしっかりと記憶させ、国の強化を図って中華民族の偉大な復興を実現し、歴史の悲劇の再演を許さないためである。>
反日の意図が見て取れる。
そこから順路に沿って進むと、いかに日本が中国東北部の人々を虐げ、略奪し、植民地支配を進めてきたか、教えられる。
例えば「教育」について資料を陳列した場所には、説明に日本語でこうある。
<植民地支配を一層強化するために、日「満」は“日満一徳一心”“五族協和”などのいわゆる建国精神を大宣伝し、日本語を国語と定め、奴隷化教育を強制的に推進して、東北人民、特に青少年の民族意識を滅ぼし、彼らを日本植民地支配の忠実な従僕に育てあげようとした。>
ほかにも「宗教」の解説。
<偽満皇帝溥儀はさらに、自ら日本に赴き、日本を象徴する“肇国の祖”である“天照大神”を偽満皇宮に招きいれ、それを“建国元神”として祭り、また東北人民に信奉・礼拝するよう強制した。東北人民は民族と祖先を失うという辱めを被った。>
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「白色恐怖」について説明しているコーナー(写真:筆者撮影)
それに見合った資料や写真が並べてある。
また、「白色恐怖」というコーナーでは、こう説明している。
<東北の人民には人身の自由と言論の自由は全くなく、少しのことにも嫌疑をかけられ、逮捕監禁されることになり、いわゆる“思想矯正”を受けたり、さらには殺害さえされた。銃剣が支配する東北の大地は極度の白色テロにさらされた。>
これをすべて日本がやったことだと強調して、敵視するように「忘れる勿れ」としている。その象徴が「9・18」なのだ。
現代中国の"映し鏡"という皮肉
しかしながら、ここに書かれていることは、まさに今、中国共産党が新疆ウイグル自治区で行っていることに当てはまる。そう思えるのは私だけだろうか。
一国二制度を約束していた香港も、国家安全維持法が6月末の成立施行と同時に、瞬く間にのみ込んでしまった。今の香港に言論の自由はあるだろうか。
日本侵略博物館の入り口ロビー(写真:筆者撮影)
4月には、かねて埋め立て、軍事拠点化してきた南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島、西沙(パラセル)諸島を、新たな行政区「南沙区」「西沙区」としたことにも、「侵略・占領」という言葉が当てはまる。
それでも、この展示を私が1人で観て歩いたときのことだ。日本人に気づいた閲覧客の視線がだんだんと冷ややかになっていくのがわかった。私の姿を見た子どもは、親に寄り添って何事かをささやく。まるでこちらを蔑視するように、視線は逸らさない。
「日本人がいる……」
そうささやいていたのだろう。
そういう国を日本は相手にしているのだ。そんな国が今、アメリカと世界の覇権を争っている。そのことを忘れてはならない。(一部敬称略)