■成立早々に逮捕者が続出

中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)の常務委員会は6月30日、「香港国家安全維持法案」を全会一致で可決した。各国の間で上がっていた批判も無視し、新法の即時施行を同日夜、発表した。

写真=AFP/時事通信フォト
2020年7月1日、香港国家安全維持法に反対する集会の参加者を拘束する機動隊員 - 写真=AFP/時事通信フォト

新法成立の翌日、7月1日は香港が中国に返還されてから23年目の節目の日だった。今年の返還記念日は、2014年に起きた「雨傘革命」以来、内外に広く知られたジョシュア・ウォン(黄之鋒)氏やアグネス・チョウ(周庭)氏など民主化運動の主要な活動家たちが団体「香港衆志(デモシスト)」からの脱退を表明。さらには組織そのものの解散を決めていたこともあり、中国の政府要人らは「これで今年の記念日は安泰」と考えていたかもしれない。

ところが民衆の怒りは少しも収まっていなかった。

デモ活動参加が新法により違法とみなされる可能性が高い中、数千人が香港島の繁華街、コーズウェイベイ(銅鑼湾)などに集結。香港の自由を求めるスローガンなどを訴えた。現地の英字紙、サウスチャイナ・モーニングポスト(SCMP)によると、一部は暴徒化し、道路に面した商店の破壊や、路上での焼き討ちなども発生した、という。これに対し、警察は催涙スプレーやコショウ弾、放水銃でデモ隊の排除に乗り出し、成立早々に10人が逮捕、370人もの市民が拘束される事態となった。逮捕者の中には、香港独立と書かれた旗を振っていた15歳の少女もいた。

■抵抗手段がことごとく失われている

返還記念日は中国の人々にとって、「植民地主義により、列強に取られた領土を取り返した日」という位置付けから、毎年盛大な祝賀行事が行われる。一方では、民主化を訴える活動家らが大きなデモ行進を行う日でもある。

1年前のこの日は、過激なデモ隊が香港特別行政区の立法会(議会)議場へと乱入。建物内のガラス扉や鉄柵を次々と破壊し、ついには議場に掲げられた「行政区章」にもペンキをかけるという暴挙を犯した。

さすがに、中国政府としてはこうした破壊行為が「記念日」に繰り返される歴史だけは避けたかったのだろう。例年ならデモ行進が認められていたが、今年は新型コロナウイルス対策のひとつ「50人以上の集会禁止」という規定を用い、返還後初のデモ禁止が発表されていた。

脱退した活動家たちは、9月に予定されている立法会選挙に立候補する動きを見せていた。しかし、同法の条文には「過去の活動の合法性」を問う内容も含まれており、同法に反対する彼らの立候補は受理されない可能性が高く、中国への抵抗手段はことごとく失われつつある。

■イギリスは「香港移民」を受け入れへ

ボリス・ジョンソン英首相は1日、毎週定例の首相代表質問(PMQ)で、中国による香港国家安全維持法の施行は1984年の中英共同声明の「明白で深刻な」違反と非難した上で、香港市民に対し英国の市民権取得にも道を開くと改めて表明した。

ラーブ外相もこれを受け、「英国海外市民(BNO)旅券を持つ香港人とその家族への市民権付与」に関する法令化に向けた概要を説明した。これまでは1997年の返還以前に生まれた者にのみBNOを発給するという格好で声明を出していたが、この日の説明では「BNO保持者の配偶者とその扶養家族」と範囲が広がった。これで、香港生まれの親を持つ多くの若者にも英国移住の可能性が広がることになる。

従来の決まりでは、BNOを使った英国入国は「6カ月間の観光目的での滞在」となっていたのが、これを「就労、留学を含む限定的な居住権の付与、滞在期限は5年」と条件を大幅に拡大。さらに滞在5年を超えさらにもう1年滞在した場合は市民権取得への資格が得られる。

下院でのこの日の討論で、与野党議員らの反応は「今後の中国との関係性を見直すべき」、あるいは「香港の自由を訴える若者たちに十分な施策を検討するのが望ましい」といった意見に集約されており、今後、英国が移民政策の制度改正に向けた障害はほぼないと考えても良いだろう。

ドミニク・ラーブ外相は、香港人の英国市民権取得の人数枠について「特に制限は設けない」と明言しており、香港市民を全面的に後押しする構えを見せている。

■多くの市民が台湾へ避難している

「中国の動きを良しとしない」ながら、外国の国籍を持っていない香港市民らは生まれ育った街を見限ったらどこへ向かうだろうか。前述のように、英国は旧宗主国という立場もあり、真っ先に手を差し伸べたが、香港と文化的つながりが大きい台湾が一つの選択肢として浮上している。

常に中国からの激しい圧力を受けている台湾は、香港での同法施行を受け、台湾の蔡英文総統は「一国二制度が実行不可能であることが証明された」と指摘(6月30 日付台湾・中央通訊社)。

さらに台湾は、香港市民に対して緊急庇護の方針を固めた。台湾は現在、新型コロナウイルスの囲い込みが成功し、台湾市民を除く海外からの渡航者受け入れを制限している。ただ、同法成立により香港から「避難したい市民」がいると予想されることから、就学や就業、投資、移住などを支援するための「台港服務交流弁公室(台湾・香港交流サービスオフィス)」を7月1日から運用している。

英高級紙ガーディアンは、「すでに台湾に逃げている香港の民主活動家は200人」という推算を掲げている。昨年初め以降の香港におけるデモ激化を受け、当局による監視の目を逃れるためにいったん、居を移した人々などだという。

■「意見したらそれだけで逮捕の対象になりそう」

「国家安全維持法」成立の影に隠れているものの、香港政府は頭の痛い別の問題を抱えている。新型コロナ対策で入国制限がかかったことにより、香港国際空港の乗り継ぎ(トランジット)エリアに、何人ものどこへも飛べない旅行客が滞留しているというのだ。

香港の英字紙SCMPによると、現在、空港の乗り継ぎエリアにいる旅行者のうち、もっとも長くとどまっている人はすでに滞留期間が3カ月を超えている。かつて、トム・ハンクス主演の映画『ザ・ターミナル』では、自国の政変によりパスポートが無効となり、米国に入れないという設定で描かれていたが、いま香港では、映画さながらのトラブルが現実に起こっているようだ。

そのほかにも、欧州から香港経由で中国を目指したものの入国許可が得られず足止めといったケースがある。中国政府に反発する市民に加え、こうした人々の動きを香港政府がどう解決するかはなお未知数だ。

新法成立前後の様子を、香港居住歴の長い日本人らに聞いてみた。彼らはいずれも1997年の返還前から現地で暮らしている。

ひとりは「ここ数年、中国化が著しく進んでいて、今回の法制化はもはや止められなかった流れ」と答えてくれたが、もうひとりは「もはや何か意見したら、そのこと自体が逮捕の対象になりそうだ」と全ての自由を失われたかのような窮屈さを訴える答えも返ってきた。

■日本は香港難民の受け皿になるべきか

今回の同法成立を経て、民主派の活動家らが急遽、どこかの国に逃げようとしても新型コロナによる渡航制限がかかっており、行ける国がほぼ存在しない。香港市民の家族関係を考えた時、シンガポールやマレーシア、タイなど東南アジアのどこかに親戚なりが住んでいるケースがとても多いが、そこへ身を寄せるのも現実的なチョイスにはならない。

「逃げ場」となる受け皿国の候補として「日本が立ち上がるべきだ」という意見もネット上では多く目にする。しかし、期待に反して日本はそもそも移民の受け入れスキームが(海外の人の目からして)整っている国とは言えず、さらに政治難民として日本での居住を狙ったにしても、年間申請者は1万人を超えているにもかかわらず許可されたのは81人という実態がありハードルは高そうだ。

前述のように、すでに一部の民主活動家は台湾に脱出している動きもある。一方で日本での「活動家保護」の裾野を広げるために、在日香港人のグループが1日、衆議院議員会館で「国際的連帯の必要性」と銘打った会見を開き、日本政府による香港市民庇護を訴えた。

■中国は「市民を捕まえる訓練」を公開

一方、中国政府による締め付けはさっそく始まっている。香港駐留の中国人民解放軍は、高速艇などで香港領から逃げ出す市民を捕まえるという設定で行った訓練の状況を動画で公開した。香港には歴史的に見て、中国の圧政から逃れて命からがらたどり着き、安住できた人も多い。香港で人民解放軍による「逃げ出す市民を追いかける訓練」を見せつけられ、非常に不愉快な思いをする市民もいることだろう。

国家安全維持法では、香港市民はもちろん、香港の方向性に異論を唱える外国籍の市民さえも法令違反の対象とされる。果たしてこうした状況で「世界に開かれた街・香港」がこれからも維持できるのだろうか。

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さかい もとみ(さかい・もとみ)
ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)