和田賢一(左)とウサイン・ボルト(右)【写真本人提供】

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【ビーチフラッグス・和田賢一が追求する“走りの技術論”|最終回】足の遅い子が「放置されている」日本の現状

 陸上競技の100メートルは、五輪でも最も注目を集める花形種目だ。当然「世界中で最も科学されているはずだ」と和田賢一は考える。

 ところが日本では幼稚園児や小学生たちが、何も教わらずに「さあ、駆けっこだ」とスタートラインに立たされている。

 和田が解説する。

「科学されているならテキストがあって然るべきなのに、学習指導要綱にも走るテクニックを習得するための説明は一文もありません。例えば水泳なら、身体を浮かせる→バタ足をするなどの基礎から応用へと発展させていく指導方法が記されています。水泳はできないと沈んでしまうので、スイマーではない先生でも教えられるようにカリキュラムができている。だから日本は泳げない人が最も少ない国の一つなんです。でも走るのは、取り敢えず左右の足を交互に出していけば転ばない。実は足を前に出してもブレーキングがかかってしまう人もいるのに、そこは才能とかセンスの違いで片づけられてしまうんです」

 さらに和田は、喩えを自転車に替えた。

「初めて自転車に乗った時のことを浮かべてみてください。何もつけなければ、とても難しい。でも補助輪をつければ、だいたい誰でも乗れるようになりますよね。ところが短距離のスプリントには、この補助輪に相当するプログラムがありません。できなければ水泳なら沈むし、自転車なら転んでしまう。本当は走るという運動にもそういう特定の技術があるのですが、失敗がはっきり見えないから足の遅い子は放置されているんです。

 しかし、それは絶対に才能がないわけではありません。スプリントの理論を早く知れば、正しい方向に努力することができる。その先に初めて本当の才能の限界が見えてくるわけで、そこには当然個人差がある。9秒5まで行く人もいれば、10秒3、10秒8の人もいるでしょう。でも理論を知らずに足が遅いと諦めている人は、才能があるかどうかも試せていない。駿足になる可能性は秘めているんです」

 和田の理論は、3歳以上なら誰にでも有効だという。

「3歳未満だと指導をしていても収拾がつかなくなると意味です。小さい子には、高い姿勢をしっかり保ち片足立ちをすることからやってもらいます。7〜8歳までは関節が柔らかいので、片足立ちをしても個人差が出ますが、3〜4年生になり弾む力を覚えると、スプリントテクニックの習得がスムーズになります」

誰にでも理解できる「走りの教科書」を広める活動を実践

 これまで和田は様々な競技の選手たちに指導をしてきたが、陸上以外のアスリートの大半はスプリントテクニックが身についていなかった。一方で「速く走る」という課題を克服すれば、確実にステップアップが望める選手たちが溢れていることも判った。

「足が速くなりたいと願うほとんどの人が陸上競技をやっていません。僕はこの人たちを助けたいんです。足が速い人をさらに速くするのは陸上関係者に任せておけば良いわけですからね」

 中高時代の和田は、失敗を恐れるあまりボールが投げられなくなるイップスに苦しんだ。だが「失敗してもいいじゃない」という友人の言葉に救われ、大学時代には4つの競技に挑戦してきた。そして大学卒業を控えてライフセービングに出会い、誰かを護ることの素晴らしさを知った。

 失敗を怖れなくなり、和田の生き方は一変した。誰もが無理だと思うチャレンジにも、果敢に突っ込んでいくようになった。世界一のスプリンター、ウサイン・ボルトの懐に飛び込み、とうとう自宅にも招待された。

「うっそだろ〜!」

 周りの選手たちは、一様に目を丸くした。
100メートル11秒8だった26歳が、わずか3か月で1秒短縮をしたことを聞いたら「無理だ」と言い切った多くの陸上関係者も同じ言葉を発するだろうか。

 イップスも「無理だ」の声も克服した和田は、だからこそ同じ夢や希望を多くの人たちと分かち合いたいと思う。「足の速さは才能だ」と諦める日本の常識を覆すために、誰にでも理解できる「走りの教科書」を広める活動(走り革命)を実践しているのだ。

 もちろん和田自身も、今、果てない夢を追っている。ビーチフラッグスで伝説のチャンピオンと言われたサイモン・ハリスを超えることだ。ハリスは全豪選手権で11度の優勝を果たし怪我で引退した。まだ和田の最高成績は全豪準優勝。だが「12回優勝したら辞めます」と言い切る。

――ええ!? いくつまで競技を続けるの?

「50歳まで大丈夫です」

 無理だよ、という言葉は呑み込んだ。

 和田はまだその先に「誰もが誰かのライフセーバーになる」、つまりみんなが個性を尊重し高めあう温かな社会作り、という大仕事を見据えている。

(終わり)

[プロフィール]
和田賢一(わだ・けんいち)

1987年12月8日生まれ。日本のビーチフラッグス第一人者でビーチフラッグス全日本選手権3連覇、世界最高峰の全豪準優勝。走力を磨くために単身ジャマイカに乗り込み、3か月間ウサイン・ボルトとともにトレーニングを積み、100メートルのベストを一気に1秒更新。誰でも速く走れる「走り革命理論」を確立し、トップアスリートをはじめ日本中へと広め、走ることの成功体験を通じ、子供が夢に向かって一歩を踏み出す勇気を届ける講演を行っている。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記〜青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。