1/13この建物は、旧ソ連時代にカザフスタンの首都だった同国南東部の都市・アルマトイにある。旧ソ連時代の1970年代に建てられ、現在はアル・ファラビ・カザフ国立大学の校舎になっている。PHOTOGRAPH BY ROBERTO CONTE 2/131965年に建てられたレーニン記念碑。タジキスタン北部の都市イスタラフシャンで撮影。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 3/13カザフスタンのアルマトイにある「ホテル・カザフスタン」は1977年に建築された。ソ連時代のブルータリズム建築の一例だ。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 4/13カザフスタンのアルマトイにある放送局(1983年建築)を見れば、ソヴィエトの建築家がどのように地域の影響を設計に取り込んだかがわかる。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 5/13新しい作品集『Soviet Asia』のなかで、写真家のロベルト・コンテとステファノ・ペレゴは、お気に入りの建物として「ホテル・ウズベキスタン」(1974年建築)を選んだ。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 6/13ウズベキスタンの首都タシュケントにあるチョルスー・バザール(1980年建築)は、地元とソヴィエトの建築スタイルを見事に融合させている。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 7/13タジキスタンの首都ドゥシャンベにある、「アヴィセンナのモザイク」(1988年作成)。ソヴィエト建築の美意識とイスラム世界の美意識が融合した作品だ。アヴィセンナ(イブン・スィーナー)はイスラム世界を代表する知識人で、980年に現ウズベキスタンのブハラ近郊で誕生した。PHOTOGRAPH BY ROBERTO CONTE 8/13ウズベキスタンの首都タシュケントにあるウズベク芸術家ユニオン・エキシビションホール(1974年建築)。1966年の大地震で街が破壊されたあと、ソ連によって建てられた。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 9/13この掘削機械工場は、1980年代にウズベキスタンの古都サマルカンドに建てられた。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 10/13カザフスタンのアルマトイにあるブルータリズム建築のランドマーク。「文化宮殿(Palace of Culture)」として1981年に建てられ、現在はカザフ国立学術演劇場(Kazakh State Academic Drama Theater)になっている。PHOTOGRAPH BY ROBERTO CONTE 11/13ウズベキスタンのタシュケントに1980年代に建てられたこれらの住居ビルは、ソヴィエトの建築家による創造性の実験の例だ。PHOTOGRAPH BY ROBERTO CONTE 12/13キルギス共和国の首都ビシュケクにあるこの円形興行場(1976年建築)は、ソヴィエト建築の思いがけない気まぐれな側面を示している。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO 13/13中央アジアにあるソヴィエト風建物の多くは、かなり老朽化が進んでいる。タジキスタンのチカロフスクにあるこのアパートも、その一例だ。PHOTOGRAPH BY STEFANO PEREGO

1990年代はじめにソヴィエト連邦(ソ連)が崩壊したとき、帝国の残骸から離れて新たに独立した国々の多くは、植民地時代の主人とかかわりがあるものをできるだけ排除しようとした。しかし数十年という時が流れたいま、かつて“衛星国”のなかには旧ソ連への郷愁が存在する土地も残っている。

「これらの中央アジアの建築には、いまも「ソヴィエトの美学」が遺されている」の写真・リンク付きの記事はこちら

KGB(ソ連国家保安委員会)やノーメンクラトゥーラ(特権階級)の復活を望んでいるわけではない。官僚たちがただ騒ぎ立てるだけの無能だったことは、米国で放映されているドラマ『チェルノブイリ』で衝撃的に描かれている[編註:日本でも9月から放送予定]。しかし、古くからの住民のなかには、雇用や住宅が保証されていた時代を懐かしく振り返る者もいる。

文化の領域において、そうしたノスタルジーはソ連時代の建築に結びつくことが多い。ブルータリズムスタイルのコンクリート製の集合住宅や、壮大で派手な政府関連の建物、英雄の像が飾られた巨大な広場といったものだ。こうした“トライアンファリズム(勝利主義)”とも呼ばれる独特の建築は嘲笑の的になることも多いが、これらを守ろうとする人たちもいる。

旧ソ連時代にカザフスタンの首都だった都市・アルマトイでは、地元の建築家グループが「ArchCode」という団体を立ち上げた。解体の危機に瀕しているものも多い「建築的なDNA」を記録し、保存することが目的だ。同様のグループが、旧ソヴィエト帝国のあちこちに生まれている。

イタリア人の写真家ロベルト・コンテとステファノ・ペレゴは、ロシアやグルジア、アルメニア、ベラルーシで仕事をするうちに、旧ソ連時代の建築に興味を抱くようになった。彼らは、かつてソ連領だったカザフスタンやキルギス共和国、ウズベキスタン、タジキスタンを旅して回り、作品集『Soviet Asia: Soviet Modernist Architecture in Central Asia』を、ロンドンにある出版社のFuel Designから出版した。

ソヴィエトならではの美学

コンテとペレゴは自分たちの写真を通して、旧ソ連には統一された建築スタイルがあったという概念を示したいと考えている。

コンテは、「ソヴィエトの建築スタイルは正確性が高いとわれわれは考えています」と語る。「ソ連初期の構成主義から、スターリン時代のシンメトリカルな新古典主義、その後に続くソヴィエト・モダニズムまで、多数の潮流がありました。どれもが、それぞれの理由で興味深いものです」

コンテやペレゴが撮影した建物は、そのほとんどがモスクワで訓練を受けた建築家によって設計されている。建てられた地域の伝統を含みつつも、ひと目でそれとわかるソヴィエトの美学でつくられているのだ。

ふたりはウズベキスタンの首都タシュケントに、ソ連時代の建築物が最も豊富に残っていることに気づいた。これらは1966年の大地震後にソ連によって再建されたものだった。作品集のなかのお気に入り、巨大な「ホテル・ウズベキスタン」を撮影したのもここだった。

ゆっくりと確実に姿を消す“遺産”

このホテルはまだ使われている。コンテとペレゴが撮影した、ほかの建物のほとんどもそうだ。しかし、多くは老朽化が進み、改修の際には原型をとどめないほどの変化が必要になることも少なくない。

ふたりが撮影のために到着すると、目的の建物がすでに破壊されていたことが何度かあった。ゆっくりとだが確実に、旧ソ連時代建築の遺産は姿を消しつつある。残っている遺産は、守ろうとして戦うだけの価値があると、コンテとペレゴは言う。

「こうした建築は、近代という理念を具現化していますが、もはや存在しない国によってつくられました」と、コンテは言う。「それぞれの建物は実用的なニーズに対する非常に創造的なソリューションを提案したものであり、ほとんどの場合は堂々として印象的な結果を残しているのです」