ゲスの極み!鬼畜の所業!平貞盛が自分の孫を殺そうとした理由がエゴすぎる【下編】

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これまでのあらすじ

ゲスの極み!鬼畜の所業!平貞盛が自分の孫を殺そうとした理由がエゴすぎる【中編】

不治の病を患った平貞盛(たいらの さだもり)は、特効薬として児干(じかん。胎児の生き肝)を求めるため、家来の判官代(ほうがんだい)に命じて罪なき妊婦を殺害させます。

妊婦を殺害して腹の子を……(イメージ)。

そして病が治ったのはよいとして、「もしも児干の事を言いふらされたら悪評が立つ」と疑心暗鬼に陥り、命の恩人である医師を帰り道に暗殺するよう、息子の左衛門尉(さゑもんのじょう)に命じます。

どこまでもゲスい貞盛にうんざりした左衛門尉。内心で医師を救おうと思いながらも命を受け、医師に父の陰謀を打ち明けると、医師の命を救うべく策を講じます。

かくして医師は暇(いとま)を乞うて京の都へ出立すると、貞盛は護衛(実は刺客)として判官代を随行させたのですが……。

小悪党の最期

「……やれやれ、何でそれがしがこんな役目を……まったく、草臥(くたび)れてかなわんわい」

貞盛から医師の警護を命ぜられた判官代は、徒歩で京の都を目指す道中、ずっとブツブツと文句ばかり垂れ流していました。

それを聞いた医師は内心でこれ幸いと申し出ます。

判官代に馬を代わってやる医師(イメージ)。

「ほんなら判官はん。わての馬ぁ貸したるさかい、代わりにお乗りなはれ」

「おぉ、気が利くなぁ」

お礼も言わず医師を押しのけるように馬にまたがると、意気揚々と先を目指します。

「オラオラ、さっさと行かねぇと日が暮れちまわぁ。急げ急げ」

馬に乗った途端に先を急ごうとする判官代にむかっ腹を立てながらも、左衛門尉との企みに内心ほくそ笑み、医師やその弟子たちはついて行きました。

そんな黄昏時、繁みの中から一筋の矢が放たれ、みごと判官代の胸を貫きました。

馬上の判官代を狙う左衛門尉たち(イメージ)。

「ぎゃあっ!」

矢を射た下手人(左衛門尉)は闇の奥へと消えていき、医師や弟子たちは判官代を見捨てて逃げ出し、無事に京の都に帰り着くことができたそうです。

「どっちにしても死ぬんですから……」

……さて、素知らぬ顔で帰ってきた左衛門尉は「確かに馬上の医師を射殺し申した。護衛についていた判官代も、その内に戻りましょう」と貞盛に報告しました。

しかし、いつまで経っても帰って来ない判官代を不審に思った貞盛が家来たちに探させたところ、山中で胸を射抜かれて死んでいる判官代を発見。お気に入りの判官代を失って、貞盛は左衛門尉を責め立てます。

「そなたは何ゆえ判官代を射殺したか!」

しかし左衛門尉はいけしゃあしゃあと答えます。

「畏れながら父上、それがしは確かに馬上におった者を射殺し申した」

「たとえ馬上におろうと、医師と判官代の見分けくらいついたろうが!」

(……計画通り)内心でほくそ笑む左衛門尉(イメージ)。。

「いえいえ、誰そ彼(たそがれ。黄昏)時にございますれば……まさか判官代がお守りするべき先生の御馬を奪って乗るような無体をはたらこうとは夢にも思わず、万に一つそのような事があれば、お役目を軽んじた咎によって判官代は死罪とせねばなりませぬ……となれば、結局のところ判官代は死んでしまうのですから、同じことでしょう」

「……むむむ……」

完全に論破されてしまった貞盛はぐうの音も出ず、この件については沙汰止みとなったのでした。

終わりに

以上が『今昔物語集』が伝える「丹波守平貞盛、児干ヲ取ル語(たんばのかみ たいらのさだもり、じかんをとること)」の概略です。

ところで、この物語を伝えたのは貞盛の「一ノ郎等(ろうとう。家来)」である舘諸忠(たての もろただ)の娘とあり、本来であれば最も主君に忠誠を誓うべき家来の身内からこんな話が出てくるくらいですから、真偽のほどはともかくとして、晩年の貞盛はよっぽど人望がなかったのであろうことが察せられます。

梟首に処された平将門の首級。葛飾北斎『源氏一統志』挿絵。

もっとも、平将門公は日本の歴史上比類なき大逆賊でありながら「判官贔屓」の人情も手伝って、今なお同情的に見る者も少なくないため、貞盛が「悪役」にされてしまった創作or仮託の可能性もあります。

かつて「武士」が「兵(つわもの)」「武夫(もののふ)」などと呼ばれていた時代、坂東の荒夷(あらえびす。野蛮人)が京の都や西国の人々からどのように見られていたか、そのイメージを印象付けるエピソードの一つと言えるでしょう。

※参考文献:
乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社現代新書、平成三十一2019年4月10日
正宗敦夫『日本古典全集 今昔物語集』日本古典全集刊行会、昭和七1932年