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●362日は一緒です

昨年、芸能生活35周年を迎えた俳優の船越英一郎(58)。彼が撮影現場に来ると、必ず姿を見せる人物がいる……南雲克弘氏(53)は、32年にわたって船越の付き人を務め、実は船越が出演する作品にも、一瞬ながらほとんど出演しているという。

もちろん、船越がベテラン刑事役で出演する、現在放送中のフジテレビ系月9ドラマ『トレース〜科捜研の男〜』(毎週月曜21:00〜)でも登場しており、役柄は「捜査員A」。役者として出演するときは、船越英一郎の“郎”をとって「南雲勝郎」という名前だ。

船越が「彼がいなかったら自分は何もできない」と言うほど信頼する南雲氏は、一体どんな人物なのか。船越との出会いから2人のエピソード、さらに今後の関係性について、話を聞いてみた――。

○■役者を目指して上京

南雲氏は、19歳のときに母親に反対されるも新潟から上京し、役者の道へ。2年間、JAC(ジャパンアクションクラブ)に所属した後、船越主宰の劇団「MAGAZINE」に入ったのが運命の出会いだった。

「もともと真田広之さんとか、ブルース・リーなどに憧れて高校時代から役者になりたいと思っていたんです。歌ったりアクションができたり、そういう俳優になりたいな、と。そこで、JACの養成所に入りました。しかし、ケガや故障も多く、2年ほどで『MAGAZINE』に入団しました。船越さん演出の厳しい稽古、舞台にチャレンジさせていただきましたが、船越さんは本当に厳しかったし、怖かったんですよ。自分の演出する舞台ですから、当たり前なのですが」と、当時を振り返る南雲氏。

その1年後、劇団員を続けながら船越の付き人に。だが、「劇団員の1人が付き人になるのですが、前任者が辞めたところで私が務めることになりました。正直言うと、最初は付き人になるのは嫌だなと思っていたんです。つらそうだな…って(笑)。有名俳優さんたちの付き人たちからも『大変、大変』って聞いていて」と、積極的に付き人になったわけではないそうだ。

当時の生活は、朝、船越の自宅に行って本人を起こし、入浴している間に出発の準備。撮影現場に行くと終日付いて、それが終わると飲みに行くことも。そして深夜に自宅まで送り届け、翌日本人が起きる頃に自宅に迎えに行く…というサイクルで、「平均睡眠時間は、だいたい3時間くらいでしょうか…」と過酷な日々。それでも、「大変でしたけど、私の中では苦ではなかったんです」といい、最近では「『カツ(=南雲氏)、寝てろよ』としつこいほど声をかけてくれて、睡眠時間を気にしてくれるようになりました(笑)」。

こうして役者と付き人の両立を10年以上続けたが、「舞台の開始5分前に鳴るベルで集合するのですが、私だけそのベルに間に合わないことも多くありました。船越さんのスケジュールはマネージャーさんが管理していますが、現場でのスケジュール管理や衣装を着る順番などは衣装さんとすり合わせた上で、私が把握していなければならなかったですし、劇団での経理的な仕事を任されるようになり、ますます忙しくなってしまったのです」と多忙を極めたことから、劇団を辞め、付き人に専念するようになった。

船越は自分の劇団を成功させるべく、良いものを作りたいという思いから、自身の持ち出しなどもあったという。そんな時、経理担当だった南雲氏は「赤字を出すわけにはいかないので、『これ以上はダメです…』と説得しながら、なんとか劇団の借金をチャラにしたこともありました」と支えてきた。

○■プライベート旅行にも同行

付き人の仕事には、台本の読み合わせもあり、「船越さんは基本的に前日にセリフを頭に入れますが、その読み合わせは私と一緒にやっています。自宅で、または移動の合間、撮影の待ち時間など…」と相手に。船越のセリフの覚え方は独特で「撮影現場で他のキャストの皆さんがどのように演じるかを確認してアレンジできるよう、常にあえて“遊び”を残して覚えているんです」といい、「台本を覚える時間はもちろんその分量によりますが、通常は1時間程度で覚えてしまいます。それは本当にすごいと思いますよ」と感心する。

また、船越がオフの日も、一緒に体のメンテナンスに行ったり、家で一緒に映画を見て昼食をとってくつろいだり、勉強に付き合ったりすることも。そのため、「休み」と呼べる日は「お正月の3日間くらいですかね。362日は船越さんと一緒です」と、まさに公私を超えた付き人。

30年前、京都でドラマの撮影が続いた最初の頃には「マンションを借りていて、同じ部屋に住んでいたんです。その時はさすがに一緒にテレビを見ていて、ぴしっと背筋を伸ばしているのがしんどくて、少しずつ体勢を崩していきました(笑)」と、完全にプライベートのない生活もあった。

それだけに、船越が知人や仲間と行くプライベート旅行にも同行しており、「ハワイなどビーチリゾートには何度も行っています。お子さんが小さいときはプールに何時間も入っていたこともありますし(笑)、私がお子さんを旅行に連れて行ったこともあるんですよ」と、エピソードを明かしてくれた。

●役者として100作以上に出演

付き人になって良かったと思うことを聞くと、「一流の方々との出会いですね」と回答。「大御所の俳優さんや、プロデューサーさんなどスタッフさんまで、いろいろな方のお話を聞くことができました。芝居のことなど分からないことがあれば、積極的に調べることも増え、とても勉強になりました。高橋英樹さんや杉良太郎さんなどもそうですね。お話を聞くことができて本当に刺激になりました」と、役者志望だった南雲氏にとって、大きな財産になった。

もちろん、海外ロケも同行する。「私が27歳のときに初めてイタリアに一緒に行ったのですが、それまで休みがほぼなかったんですね。そんな時、船越さんが長いロケに行くって聞いて『海外だし私は行かないな、やった!休める』と思ったのですが、船越さんから『パスポートあるか?行くぞ!』って(笑)」と“強制連行”。

その旅は、「イタリアのポンペイだったのですが、行って人生観変わったというか…。日本人に家があるかないかの時代から、水道管や劇場や居酒屋さんがあった場所、とか。大変な刺激になりました」といい、「船越さんが海外に取材に行くときは、旅行では入れない場所にも入れたりしてすべてが面白かったです。プライベートな旅も含めて、ここまで海外に行く人生になるとは思っていませんでした」と、貴重な経験が得られたそうだ。

長い間見守ってきた南雲氏だからこそ知る船越の性格は「ズボンのシワを気にします(笑)。私服のズボンは、ジーンズでもアイロンをかけることが多いです。身だしなみは本当に気を使いますね。船越さんのお父さんもすごく厳しかったので」とのこと。また、「仕事で向き合う人、物事への勉強は必ずしています。スタジオに来るゲストについては時間をかけて調べたり、その人の作品を見たり。朝早く起きてやることもありますよ。すごく勉強家です。本当にすごいなと思います」と、尊敬の念を禁じ得ない。

劇団を辞め、付き人に専念することになった南雲氏だが、実は船越の出演作に“弟子”として、毎回“師匠”と同じシーン・シチュエーションで役をもらって出演している。役者・南雲勝郎として、「100作以上出させてもらっています。本来は独立できればよかったのでしょうけれど、どこか自分には難しい部分があって、このようなスタイルになりました」と言うが、「役者になるときも何か自分を変えるというよりは、自然にやらせていただいています」というスタンス。しかし、「自分では意識していないのですが、周りから『船越さんに言い回しが似ていたね』と言われることも」あるという。

○■船越さんか私が死ぬまで続ける

役者を目指して上京したが、「付き人として30歳を迎える頃、なんとなくそのまま続けているうちに、自分も役者として独立っていうことよりも、今のこの体制の方がやりやすいのかなという思いが出てきました」という南雲氏。「船越さんからも『30歳くらいに身の振り方を考えてみては?』とは言われていたのですが、いざ30になっても、そのままの生活を続けることになりましたからね(笑)」と現在に至る。

これだけ長い期間、公私を超えた付き人でいられるのは、「分かりやすい『船越様〜』みたいな感じではなく、私も『それは違います』と、正直に言うようにしていますし、そういうところが信頼をしてくれている部分ではないかな」と分析。「船越さんとは、家族以上の関係、絆があります。肉親ではなく、すごく表現しにくいのですが特別な存在ですよね。変な言い方ですが、『南雲克弘でいるための人』かな、と。決して自分が犠牲になっていると思っているわけではなく、お互いが良くなるようにやっていることだと思って続けている仕事なんですよね。それが今までやってこられた理由なのかもしれません」と、特別な関係を築いてきた。

南雲氏について、船越は「カツは温厚、絶対に激昂しない。そのようなシーンを見たことがない。自分が熱くなっても冷静沈着。そして大変な勉強家で何でも知っている。今では自分の金庫番としても頼りにしている。彼がいなかったら自分は何もできない」と欠かせない存在であることを明かしたが、この関係は、いつまで続くのか。南雲氏に聞いてみると、「この仕事は船越さんか私が死ぬまでは続けるのではないでしょうか。船越さんが100歳、私が95歳くらいがいいですね。ちょうど2人ともボケてきて(笑)」と、生涯パートナーであり続けることを誓った。

そんな南雲氏は、きょう4日に放送される『トレース〜科捜研の男〜』第5話にも、“一瞬”出演。どのシーンに登場するのか、目を凝らして探してみては?