男性はいったいいくつまで父親になることが可能なのか(写真:videnovic/iStock)

57歳の男性が、27歳のフィリピン人女性とお見合い結婚をした。2年間の婚活の末、彼が最終的に国際結婚を選択したのは、子どもが欲しかったからだ。
仲人として婚活現場にかかわる筆者が、毎回1人の婚活者に焦点を当てて、苦悩や成功体験をリアルな声とともにお届けしていく連載。今回は、「高齢で子の親になる人生」について考えたいと思う。

50代、60代になっても「子どもが欲しい」

「お見合い結婚がしたい」と、結婚相談所の門戸をたたく40代、50代、60代の男性の中で多いのが、「子どもが欲しい」という要望だ。

少子化が進む日本にとって、1人でも多くの子どもが誕生するのは望ましいこと。だが、親が高齢だった場合、大変なのはそこからの子育てだ。1人の子どもが成人するまでにかかる養育費は、1500万〜3000万円と言われていている。医学部や芸術系大学に進めば、親の経済的負担はもっと多くなるだろう。この金額が賄えるかどうかが、大きな問題となる。

ところで、男性はいったいいくつまで父親になることが可能なのか。


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人間国宝の歌舞伎役者、故・中村富十郎は、74歳、昭和の名優、故・上原謙は71歳で父親になっている。近年では、石田純一、三田村邦彦、市村正親、加納竜、清水国明などが60歳を超えて父親になっている(敬称略)。

こうしたニュースが華々しく報道されると、“50代、60代になっていても、子どもを授かるのは可能なこと”と考えてしまう男性も多いことだろう。

また、女性もしかりで、40代で出産したタレントのニュースは華々しく取り上げられる。晩婚化が進む近年は、40歳を超えても母になりたいと思う女性は後を絶たない。

しかし、男女ともに高年齢になれば出産にリスクが伴うことは、もう周知の事実。そんな中でも、「私だけは大丈夫」と思っている人が多いのだろうか。

今から3年前のこと、井崎正太郎(当時55歳、仮名)が、面談にやってきた。大学を卒業してからずっと会社員をしていたが、40代後半で起こした事業が成功し、年収は1500万円あるという。

バツイチだったが、俳優のような精悍な顔立ちで、スーツもおしゃれに着こなしている。加圧トレーニングで鍛えているという体には無駄な脂肪がなかった。

“彼の見た目と年収ならば、苦労することなくお見合いが組めるだろう”。最初はそう踏んだのだが、面談を進めていくうちに、“ああ、彼もなのか”と、ため息が出た。

「どうしても子どもが欲しいんです。最初の結婚では子どもを授からなかったから」

そして、井崎は最初の結婚がなぜ失敗したのかを語り出した。

井崎がまた会社勤めをしていた39歳のとき、知人の紹介で知りあった杉本亜里沙(35歳、仮名)と結婚をした。2人とも、子作りをするなら“待ったなし”の年齢だった。

新婚生活がスタートすると、亜里沙は排卵日をチェックするために体温をつけ出し、まずは最も妊娠しやすい時期に性交をする“タイミング療法”を試みた。しかし、なかなか妊娠はせず、あっという間に1年が経ってしまった。

「不妊治療に切り替えようかと話しているときに、彼女の兄嫁が不妊治療の末に38歳で出産をしたんです。そうしたら、生まれたその子には障害があった。高年齢出産にそうしたリスクが高いのは、私たちも知っていました。それが身近なところで起きたので、彼女はリアルな現実を突きつけられた気持ちになったのでしょう。それ以来、 『不妊治療をするのは嫌だ。子どもはいらない』と言い出したんです。高年齢で出産することが怖くなってしまったようでした」

一方で、井崎は子どもをあきらめることはできなかった。「頑張るだけ頑張らないか。妊娠したらまずは検査をすればいいじゃないか」と食い下がったが、彼女は聞く耳を持たなかった。

子どもを作る話をすると、夫婦の間に不穏な空気が流れ、険悪なムードになり、ケンカが絶えなくなった。

「そこから、だんだんと気持ちもすれ違うようになっていきました。彼女は保険会社のセールスレディをしていたのだけれど、会社を退社して、心理カウンセラーになるために学校に行き出しました。そこからどんどんスピリチュアルな方面にのめり込んでいって、土日はスピリチュアル関係のセミナーに行くようになりました。家事もやらなくなり、食事を一緒にすることもなくなり、結局離婚になりました」

結婚生活は、5年足らずで終わった。

3歳の男の子のシングルマザーと出会った

離婚後、井崎は勤めていた会社を辞め、営業コンサルタントとして独立した。起業は思ったよりも大変で、まずはその仕事を軌道に乗せようと奮闘しているうちに、4年、5年とあっという間に過ぎてしまった。

「50歳が見えて、このまま生涯独身で過ごすのは寂しい。結婚して、今度こそ、子どもを授かりたいと思ったんです」

そこで、結婚相談所に入会をし、3歳の男の子のシングルマザーだった生田英子(38歳、仮名)と出会った。一度出産を経験しているのなら、子どもも授かりやすいのではないかという目算もあった。

相談所を退会後、入籍をする前に3人で一緒に暮らしだしたのだが、その生活は描いていた家庭像とは大きくかけ離れたものだった。

「彼女も起業家で、保険関係の仕事をしていたんですが、月に80万円近いお金を稼いでいた。あと、すべて自分の時間で動くんですよ。土日も働くし、たまの休みも子どもを連れて実家に帰ったり自分の友達に会ったりして、私とゆっくり時間を過ごそうとはしなかった」

毎日の食事も出来合いの総菜か宅配サービスばかり。その総菜も近所の商店街で買うのではなく、デパ地下で値の張る高級料理を買ってきたという。

「家は散らかっていてもお構いなしだし、1カ月の食費は軽く15万円を超えていました」

そこで井崎は、結婚生活の軌道修正をすべく、こんな提案をした。

「入籍して正式に結婚をしたら、お金の使い方をもっと考えないか。節約して、お互いに家庭を大事にする生活をしよう」

すると、英子は言った。

「節約? お金は使わないと入ってこないわよ。足らないんだったら、稼ぐ。そうやって私は自分を奮い立たせて、これまで仕事をしてきたの。起業家が守りに入ったら終わりじゃないの!」

もちろん、英子が言うことも一理あるのだが、これでは家族を築くことはできないし、子育てをしていくのも難しい。結局英子とは、3カ月一緒に暮らして婚約を解消した。

そして、3年前、私のところに面談にやってきた。

前記したが、一般的な55歳の男性と比べたら、見た目も年収もかなりいい。同世代の女性となら、いくらでも見合いが組める。しかし、相手に30代を求めるとなると、一転してかなり厳しくなる。

そこから1年は、毎月80件近いお見合いの申し込みをサイトからし、そのほかに紹介見合いなども含めて、月に1〜3件のお見合いをしていった。打率数パーセントでやっと見合いを組むのだが、見合いしても断られるか、交際に入っても、1、2度食事をすると“交際終了”になってしまうかで、なかなか結婚までは進めずにいた。

現実は厳しかった。

「国際結婚は考えていません」

1年経った頃、私と井崎の間でこんな会話がなされた。

「このままだと年だけ重ねてしまいますよ。子どもはあきらめて、同世代の女性と結婚をするという方向に、考え方をシフトしませんか?」

「いや、結婚をしたいのは子どもが欲しいからで、そこはどうしても譲れません」

「ならば、国際結婚も視野に入れませんか?」

「国際結婚は考えていません」

あくまで結婚するなら日本人女性。そこは頑なだった。そこからまた見合いをしては断れ続け、半年が経った。しかし1年半が過ぎた頃、井崎の気持ちに少し変化が出てきた。

「在日中国人の方ともお見合いしてみようと思います」

そこで、在日中国人を抱えている相談所に連絡をして、30代の中国人女性3人とお見合いをした。

その中の一人、コウ(39歳、仮名)と、お付き合いに入った。井崎は、彼女をとても気に入り、結婚を真剣に考えるようになった。コウもまんざらではない様子で、交際は順調に進んでいるかのように見えた。

2カ月が経った頃、井崎が将来を見据えた具体的な話をコウにした。自分の事務所と自宅を見せ、年間どれだけの収入があるのかを話し、「結婚しても苦労はさせないので、子どもを授かりたい」と告げた。

ところがそのデートの直後に、コウの事務所から“交際終了”の連絡が来た。

交際終了の理由は、こうだった。

56歳の自営業者が、あと何年仕事を続けられるのかわからない。井崎には80を超えた父親がいたので、その父の介護が目前にある。さらに、数十年後には、彼の介護も待っているだろう。そうなると、子どもを授かったとしても、自分の人生は子育てと介護に追われて、苦労するのは目に見えている。

彼女が言っていることは、もっともだった。

国際結婚には「2種類」ある

コウにフラれた後の井崎は、端から見ても気の毒なくらい落ち込んでいた。しかし、このどん底の経験が、彼をもう1つの国際結婚へと奮い立たせる起爆剤となった。

結婚相談所においての国際結婚は、2つのパターンがある。

1つは、日本に住んでいる在日の外国人とする国際結婚。もう1つは、男性が海外に渡り、そこで日本男性との結婚を望む女性と見合いをする国際結婚だ。

在日の場合は、生活のベースが日本にあるため、日本の暮らしにも慣れているし、こちらに知り合いや友達もいて、感覚や考え方が日本人に近づいている。よって、男性の年齢、経済状況、将来的に抱える介護の問題など、よりリアルにとらえてしまう。

一方、フィリピン、タイ、ベトナムなどアジア圏の農村部の女性は、結婚をどこか“生きていくための手段”だと捉えている。明治、大正、昭和初期の頃の日本女性がそうであったように、ある程度の年齢になったら結婚という制度に身を置くことが当たり前。写真を交換すれば結婚が成立していた昔の日本女性の感覚に近いものがある。

日本の男性に経済を支えてもらい、豊かな日本で暮らし、ゼロから愛情を育てていき、子どもを産んで家族になっていく。それを望んでいる現地の女性たちがいるのだ。

在日の中国人女性、コウにフラれた井崎は、フィリピンに渡り、現地の女性5人とお見合いをし、現在の妻となるマリア(27歳、仮名)との結婚を決めた。

あれから1年が経った。58歳になった井崎は、来年の春に父になる。

彼は、自身の国際結婚をこう振り返った。

「最初は国際結婚に抵抗がありました。でも、今は幸せです。文化の違いはありますが、マリアは純真で真っ直ぐ。また、日本に友達が大勢いる在日の人たちとは違って、来日した当初、日本で頼れるのは私だけだった。2人で1から夫婦の生活を築いてきたような感覚があるんです」

親子ほどの年齢差の国際結婚に関しては、賛否両論があるだろう。しかし、他人に何を言われようが、一度は結婚に失敗し、再婚には右往左往しながら悩み、傷つき、最後に自分で選択した人生だ。これから先何が起ころうとも、そこに後悔はないはずだ。