西城秀樹さんの“伝説”と元フライデー記者もお手上げだった優しい素顔
西城秀樹さんが亡くなった。63歳だった。
彼は'72年に『恋する季節』で歌手デビューするも、デビュー曲はヒットには至らず、オリコンで1位を獲得したのは6曲目の『ちぎれた愛』だった。
続く7曲目『愛の十字架』も1位を獲得。勢いに乗ると、その後は次々とヒット曲をだし、トップアイドルへの階段を上っていったのだった。
人気が出てくると、当時のアイドルたちがそうであったように、バラエティ番組に出演する機会も増えていった。
さらに'73年から12年間にわたって放送されたハウス食品の『バーモントカレー』のCMに出演。「ヒデキ、感激‼」「ヒデキ、ご機嫌‼」「ヒデキ、満足‼」などのキャッチコピーが人気を呼び、幅広い年齢層に支持されるようになった。
CMの中で彼が歌う「ハウス・バーモントカレーだよ〜♬」というフレーズが刷り込まれた人は多く、その甲斐あって商品は売り上げを伸ばしたという。
だが、西城さんの人気を一気に押し上げたのは、あのドラマに他ならない。
'74年に放送され、平均視聴率31.3%を記録した国民的ホームドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)だ。ドラマで彼は小林亜星さん演じる貫太郎の長男・周平を演じていて、ふたりの親子げんかが、毎回お約束のように登場、ドラマの目玉とされていた。
けんかのシーンは、いつも派手で、タンスが倒れ、ふすまがはずれ、最後に周平が投げ飛ばされて庭に飛んでいくのだが、これがリアルで、マジでやっているように感じた視聴者は多かった。
後年になって、ふたりは、お互いに本気でけんかしていた、と語っている。それが証拠に、西城さんが投げ飛ばされて腕を骨折したエピソードは有名だ。
熱愛の噂と“都市伝説”
そんな西城さんだが、不思議と熱愛スキャンダルは少ない。唯一、知られているのは十朱幸代さんとの交際。
当時、西城さんが35歳、十朱さんが47歳だったが、やがて破局。
私の記憶では、それ以降、熱愛の噂が出たことはなかったように思う。私がフライデーの記者だったころ、1度だけだが、彼が一般人女性と交際しているという情報が入り、取材したことがある。連日、張り込んだが、捉えることはできなかった。ガードが完璧だったのか、そもそもそんな話はなかったのか。
そして西城さんといえば、もはや“都市伝説”となっているが、芸能界でささやかれ続けていた、年齢サバ読み疑惑。
疑惑が囁かれ出してかれこれ20年以上はたつと思われるが、私が取材したかぎりでは、なぜそんな話が出てきたのか、特にこれといった理由を見つけることはできなかった。
年齢サバ読み疑惑でよくあるのは、同級生が名乗り出てきたり、卒業アルバムが発見されたりだが、そんなことはなく、唯一出てきたのは、
「本名の龍雄というのは、辰年生まれだから付けられた」
という話。
もしそうだとすれば実際は3歳上となるが、現在はインターネットも含め、情報が氾濫している時代だ。それにも拘わらず、何も出てこないというのは、事実ではないのかも。そしてこれから先はきっと、“西城秀樹伝説”の一つとして語り継がれることになるだろう。
私は、1回目に脳梗塞で倒れたあと、見事に復帰した西城さんと番組で共演したことがある。そのとき、私もジムでトレーニングするのと、サウナが大好きなんです、と言ったら、
「水分補給は絶対しないとダメだよ。そうしないとボクみたいになっちゃうからね(笑)」
と語っていた。そのときの優しい笑顔を忘れることはない。
<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>
◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。