ラジカセ100台と「空耳アワー」資料カセットと「ビートたけしのオールナイトニッポン」の大ラジカセ展
中高生の時期は自他共に認める「ラジオっ子」だった筆者ですが、あの頃にエアチェック(ラジオ番組を録音して楽しむこと)して溜まったカセットテープを実家に大量に残してあります。
これ、もう使い道はないと思っていました。……が、何やら最近はカセットテープにリバイバルブームが起こっているらしい。
本日9日から12月27日まで、パルコミュージアム(池袋パルコ 本館7F)にて開催されているのは、その名も「大ラジカセ展」。
家電蒐集家である松崎順一氏が、自身のラジカセコレクションから100台超をセレクトし、展示紹介するという内容だそう。昨日に内覧会が開催されており、私もお邪魔してきました!
まず、入口に1台のラジカセが置いてあります。これはAIWAが1968年に発売した「TPR-101」で、実は日本で一番最初に生まれたラジカセです。当時のラジカセはFMとAMと短波が入っており、海外放送も受信できたらしいです。
「もう一つ重要な点があり、この頃には『ラジカセ』という言葉がまだなく『ラジオ録音機』と表現されていました。ラジオを録音し、好きな時に好きな番組を聴くためのツール。それが、ラジカセの定義だったんですね」(松崎氏)
一度、パイオニアが「ラジカセ」という表記を商標登録しかけたものの、一般呼称に近い呼び名なので特許がおりず、色んなメーカーが「ラジカセ」という表現を使えるようになった。これが、今の状況に至る経緯だったそうです。
今回の「大ラジカセ展」は、大きく5つのカテゴリーに分かれています。
●スタンダード
まずは、誰が見てもベーシックで基本的なラジカセ「スタンダード」から。
年代から言うと、1973〜1979年くらいに発売したモデルが中心になっています。特徴としては、色目が地味。70年代最初の頃、ラジカセは男性、しかも大人に向けて発売されていたのでベーシックなデザインが好まれ、色もダーク色が基本です。プラスして、金属の高級感を出すことも意識されていました。
「1979年にはカセットをダブルにして1台でテープを編集できる“ダブルカセット”が出てきます。これはシャープが作った日本で最初のダブルカセットで、定価は8万9800円。当時は、お金を持ってる大人じゃないと買うのは難しかったんじゃないかなと思います」(松崎氏)
●カジュアルラジカセ
色目はカラフルで、サイズは小ぶりです。
「1978〜9年くらいから、若い人たちがおしゃれをする時代に入ります。ラジカセもそれに合わせ、若い男女が好むポップなデザインでやや小ぶりでかわいいものが台頭します」(松崎氏)
当時の時代背景を象徴しているのは、ラジカセのカタログ群です。当時のタレントや俳優、アイドルを起用し、随分と明るいイメージになりました。
「これらのラジカセは、だいたい価格が4万円台。量産体制が整い、比較的買いやすい値段に落ち着いています」(松崎氏)
●チープ&キュート
年代的には70年代後半〜80年代前半。徒花的な、安くて飛んだデザインのラジカセです。
「70〜80年代の家電のものづくりは、『どういうものが流行するか?』というマーケティングが一切行われずに製品化されていた時代でした。デザイナーたちの『こういうものを作れば売れるんじゃない?』という発想で自由にものづくりが行われ、徒花的にユニークなラジカセがいっぱい生まれた時代なんですね」(松崎氏)
これは、ターゲットが全く謎のラジカセ。インベーダーゲームが流行ったので「UFOっぽいデザインを作ったらどうだろう?」という発想で製造されたのでしょう。メーカーは不詳です。
これは、パンのヤマザキがノベルティで作ったもの。真ん中がラジオになっており、言わばラジカセもどきのラジオです。
「チープで、当時でも数千円で買えたものばかりです。今見ると、逆にちゃんとしたメーカーより変なものの方が価値は高いと僕は思っています」(松崎氏)
●多機能系
これは、ラジカセにカラーテレビを付けてしまったラジカセ。通称「ラテカセ」です。
当時は液晶ではなくブラウン管テレビなので、奥行きがあります。後ろがボコッと飛び出して、デザイン的にもみっともないんだけど作ってしまったユニークなラジカセです。
「このくらいの大きさだと、単一電池10本で動きます。海や山へ行く時に持参し、これ1台あるだけでシーンが盛り上がったのは間違いないです。ただ、価格は当時で約15万円くらい。今で換算すると、その倍くらいすると思います。スマートフォンの中に入ってしまうくらいのスペックなんですけど、当時はこんなにバカでかいです」(松崎氏)
これは、カシオのキーボードとコラボしたSANYOのラジカセ。上にカシオのキーボードが付いており、演奏すると下のカセットテープで録音できます。
「実は、これはワイヤレスになっています。演奏したキーボードを電波で飛ばし、ミックスして聴ける。ただ、今みたいなBluetoothではなくFMで受信するワイヤレスです」(松崎氏)
●ビッグスケール
これは「もっといい音で聴きたい」というニーズに応えてできた、ハイパワーでハイクオリティなラジカセです。そのために、ボックスも大きくなっている。
入口に描かれていたのは、実はこのラジカセ。SANYO製です。
「国内の一般家庭においてビッグスケールは、お父さんのカラオケ機器として使われていました。80年代にはカセットを使用したホームカラオケが流行っており、お父さんがマイクを2本つないでデュエットする。だから、だいたいこの時代のものはマイクが2本付いてます」(松崎氏)
同時にこの「ビッグスケール」は海外に輸出されており、アメリカではヒップホップのカルチャーと融合。ヒップホップの歴史を作る上で、日本のラジカセが担った役割は非常に大きいです。ビッグスケールがヒップホップのアイコンになったと言っても過言ではないでしょう。
また、80年代は竹の子族やロックンローラー族がホコ天で踊ってた時代でもある。若者が中央にこれ置いてパフォーマンスしていたのです。
「若者は音楽をかけるツールとして使い、お父さんたちはカラオケ機器、アメリカではヒップホップのアイコンとしてビッグスケールは台頭しました」(松崎氏)
また、このタイプのラジカセは中国にも数多く輸出されていたそう。
「共産党の幹部くらいしか買えなかったと思いますが、当時は毎日ダンスパーティーが開かれていたという情報があります。広いホールの中でダンスミュージックを流していたのが、こういう大きなラジカセなんです」(松崎氏)
●バブルラジカセ
1980年代後半〜90年代初頭のバブル期にできたラジカセ「バブルラジカセ」は、番外編。
「この時代のラジカセは、コンピュータでデザインされています。今まで見てきたラジカセは製図台でデザイナーがデザインして直線と丸で構成されていますが、バブルのラジカセの特徴は三次元の有機的なデザイン。今になるとそれはダサいんですが、当時はカッコよかったんですね」(松崎氏)
また、この時代のラジカセは多機能です。当然、カセットはダブルカセットが必需。ラジオも備わってるし、CDも備わっています。
「当時のオーディオを堪能するには、十分すぎるスペックが備わっています。ただ、多機能なので操作パネルがいっぱいあり過ぎ、逆に扱いにくかったのでは? とも思います」(松崎氏)
「大ラジカセ展」では、ラジカセコレクション以外にも様々な展示を満喫できます。もちろん、大注目はカセットテープのコーナーでしょう。
入口に展示されているのは、松崎氏が日本中から収集してきたカセットテープ。本体に書き込まれている内容を読むと、興味深い音源が収録されてることが窺えます。
また、70〜80年代に発売されていたカセットテープのラベルデザインも展示。TDKやmaxell、SONY等のカセットテープはもちろんですが、それ以外に東武ストア、西友などが発売したカセットテープも発見できました。
このブースの中に入ると、クリエイターによるカセットコレクションが紹介されています。
まずは、中学生の頃から録り溜めた“カセット愛”を語るみうらじゅん氏の映像が公開されています。また、みうら氏が1979年にリリースしたファーストアルバム『ぼくは かしこい』も展示されていました。
こちらは、水道橋博士氏が高校時代に録音していた『ビートたけしのオールナイトニッポン』の大切なカセットコレクションです。
「トーク内容は、私生活の下ネタ、芸能界の裏話〜社会派ネタまで“深夜の真面目な社会学”とでも言うべき幅広いもの。なかでもシリアスな話題を正面から語る殿の凄みと言ったらなかった」(水道橋博士氏による解説)
また、これは西寺郷太氏(NONA REEVES)のカセットコレクションです。
西寺氏のルーツを、ここから窺うことができると思います。
安齋肇氏は、カセットコレクションとして「空耳アワー」の資料を提供!
「大ラジカセ展」は、ラジオに関する展示物も多数です。例えば、東京のラジオ局に協力を仰いで公開されている、ラジオ番組の懐かしい音源。ヘッドフォンを通して聴くことができます。
『糸居五郎のオールナイトニッポン』(1970年)、『亀渕昭信のオールナイトニッポン』(1973年)、『ミスDJリクエストパレード』(1983年)等を聴くことができるようです。
当時のラジオ番組の資料も展示されてました。アツい!
模擬DJブースがあるので、ドカッと座ってヘッドフォンを着ければ、DJ気分になること請け合い!
80年代には、「カセットマガジン」というものが流行っていたそう。当時の最新の音楽が収録されており、そこに小冊子が付き、音楽とアートとトレンドを紹介します。中でも代表的なのは、この「TRA(トラ)」。
CDショップにて、数カ月に1回くらいのペースで1000〜2000円くらいで販売されていました。装丁も凝ってます。
ラジカセを分解し、当時のラジカセの中身も公開しています。
「当時のラジカセは今みたいに大量生産ではなく、流れ作業でパートの人たちがパーツを一つ一つはんだ付けして作っていました。中は非常に複雑で、ぎっちり詰め込んであります」(松崎氏)
これ、もう使い道はないと思っていました。……が、何やら最近はカセットテープにリバイバルブームが起こっているらしい。
日本で一番最初に生まれたラジカセは「ラジカセ」と呼ばれていなかった
本日9日から12月27日まで、パルコミュージアム(池袋パルコ 本館7F)にて開催されているのは、その名も「大ラジカセ展」。
家電蒐集家である松崎順一氏が、自身のラジカセコレクションから100台超をセレクトし、展示紹介するという内容だそう。昨日に内覧会が開催されており、私もお邪魔してきました!
まず、入口に1台のラジカセが置いてあります。これはAIWAが1968年に発売した「TPR-101」で、実は日本で一番最初に生まれたラジカセです。当時のラジカセはFMとAMと短波が入っており、海外放送も受信できたらしいです。
「もう一つ重要な点があり、この頃には『ラジカセ』という言葉がまだなく『ラジオ録音機』と表現されていました。ラジオを録音し、好きな時に好きな番組を聴くためのツール。それが、ラジカセの定義だったんですね」(松崎氏)
一度、パイオニアが「ラジカセ」という表記を商標登録しかけたものの、一般呼称に近い呼び名なので特許がおりず、色んなメーカーが「ラジカセ」という表現を使えるようになった。これが、今の状況に至る経緯だったそうです。
日本のラジカセがアメリカへ旅立ち、ヒップホップのアイコンとなった
今回の「大ラジカセ展」は、大きく5つのカテゴリーに分かれています。
●スタンダード
まずは、誰が見てもベーシックで基本的なラジカセ「スタンダード」から。
年代から言うと、1973〜1979年くらいに発売したモデルが中心になっています。特徴としては、色目が地味。70年代最初の頃、ラジカセは男性、しかも大人に向けて発売されていたのでベーシックなデザインが好まれ、色もダーク色が基本です。プラスして、金属の高級感を出すことも意識されていました。
「1979年にはカセットをダブルにして1台でテープを編集できる“ダブルカセット”が出てきます。これはシャープが作った日本で最初のダブルカセットで、定価は8万9800円。当時は、お金を持ってる大人じゃないと買うのは難しかったんじゃないかなと思います」(松崎氏)
●カジュアルラジカセ
色目はカラフルで、サイズは小ぶりです。
「1978〜9年くらいから、若い人たちがおしゃれをする時代に入ります。ラジカセもそれに合わせ、若い男女が好むポップなデザインでやや小ぶりでかわいいものが台頭します」(松崎氏)
当時の時代背景を象徴しているのは、ラジカセのカタログ群です。当時のタレントや俳優、アイドルを起用し、随分と明るいイメージになりました。
「これらのラジカセは、だいたい価格が4万円台。量産体制が整い、比較的買いやすい値段に落ち着いています」(松崎氏)
●チープ&キュート
年代的には70年代後半〜80年代前半。徒花的な、安くて飛んだデザインのラジカセです。
「70〜80年代の家電のものづくりは、『どういうものが流行するか?』というマーケティングが一切行われずに製品化されていた時代でした。デザイナーたちの『こういうものを作れば売れるんじゃない?』という発想で自由にものづくりが行われ、徒花的にユニークなラジカセがいっぱい生まれた時代なんですね」(松崎氏)
これは、ターゲットが全く謎のラジカセ。インベーダーゲームが流行ったので「UFOっぽいデザインを作ったらどうだろう?」という発想で製造されたのでしょう。メーカーは不詳です。
これは、パンのヤマザキがノベルティで作ったもの。真ん中がラジオになっており、言わばラジカセもどきのラジオです。
「チープで、当時でも数千円で買えたものばかりです。今見ると、逆にちゃんとしたメーカーより変なものの方が価値は高いと僕は思っています」(松崎氏)
●多機能系
これは、ラジカセにカラーテレビを付けてしまったラジカセ。通称「ラテカセ」です。
当時は液晶ではなくブラウン管テレビなので、奥行きがあります。後ろがボコッと飛び出して、デザイン的にもみっともないんだけど作ってしまったユニークなラジカセです。
「このくらいの大きさだと、単一電池10本で動きます。海や山へ行く時に持参し、これ1台あるだけでシーンが盛り上がったのは間違いないです。ただ、価格は当時で約15万円くらい。今で換算すると、その倍くらいすると思います。スマートフォンの中に入ってしまうくらいのスペックなんですけど、当時はこんなにバカでかいです」(松崎氏)
これは、カシオのキーボードとコラボしたSANYOのラジカセ。上にカシオのキーボードが付いており、演奏すると下のカセットテープで録音できます。
「実は、これはワイヤレスになっています。演奏したキーボードを電波で飛ばし、ミックスして聴ける。ただ、今みたいなBluetoothではなくFMで受信するワイヤレスです」(松崎氏)
●ビッグスケール
これは「もっといい音で聴きたい」というニーズに応えてできた、ハイパワーでハイクオリティなラジカセです。そのために、ボックスも大きくなっている。
入口に描かれていたのは、実はこのラジカセ。SANYO製です。
「国内の一般家庭においてビッグスケールは、お父さんのカラオケ機器として使われていました。80年代にはカセットを使用したホームカラオケが流行っており、お父さんがマイクを2本つないでデュエットする。だから、だいたいこの時代のものはマイクが2本付いてます」(松崎氏)
同時にこの「ビッグスケール」は海外に輸出されており、アメリカではヒップホップのカルチャーと融合。ヒップホップの歴史を作る上で、日本のラジカセが担った役割は非常に大きいです。ビッグスケールがヒップホップのアイコンになったと言っても過言ではないでしょう。
また、80年代は竹の子族やロックンローラー族がホコ天で踊ってた時代でもある。若者が中央にこれ置いてパフォーマンスしていたのです。
「若者は音楽をかけるツールとして使い、お父さんたちはカラオケ機器、アメリカではヒップホップのアイコンとしてビッグスケールは台頭しました」(松崎氏)
また、このタイプのラジカセは中国にも数多く輸出されていたそう。
「共産党の幹部くらいしか買えなかったと思いますが、当時は毎日ダンスパーティーが開かれていたという情報があります。広いホールの中でダンスミュージックを流していたのが、こういう大きなラジカセなんです」(松崎氏)
●バブルラジカセ
1980年代後半〜90年代初頭のバブル期にできたラジカセ「バブルラジカセ」は、番外編。
「この時代のラジカセは、コンピュータでデザインされています。今まで見てきたラジカセは製図台でデザイナーがデザインして直線と丸で構成されていますが、バブルのラジカセの特徴は三次元の有機的なデザイン。今になるとそれはダサいんですが、当時はカッコよかったんですね」(松崎氏)
また、この時代のラジカセは多機能です。当然、カセットはダブルカセットが必需。ラジオも備わってるし、CDも備わっています。
「当時のオーディオを堪能するには、十分すぎるスペックが備わっています。ただ、多機能なので操作パネルがいっぱいあり過ぎ、逆に扱いにくかったのでは? とも思います」(松崎氏)
水道橋博士が『ビートたけしのオールナイトニッポン』のカセットコレクションを公開
「大ラジカセ展」では、ラジカセコレクション以外にも様々な展示を満喫できます。もちろん、大注目はカセットテープのコーナーでしょう。
入口に展示されているのは、松崎氏が日本中から収集してきたカセットテープ。本体に書き込まれている内容を読むと、興味深い音源が収録されてることが窺えます。
また、70〜80年代に発売されていたカセットテープのラベルデザインも展示。TDKやmaxell、SONY等のカセットテープはもちろんですが、それ以外に東武ストア、西友などが発売したカセットテープも発見できました。
このブースの中に入ると、クリエイターによるカセットコレクションが紹介されています。
まずは、中学生の頃から録り溜めた“カセット愛”を語るみうらじゅん氏の映像が公開されています。また、みうら氏が1979年にリリースしたファーストアルバム『ぼくは かしこい』も展示されていました。
こちらは、水道橋博士氏が高校時代に録音していた『ビートたけしのオールナイトニッポン』の大切なカセットコレクションです。
「トーク内容は、私生活の下ネタ、芸能界の裏話〜社会派ネタまで“深夜の真面目な社会学”とでも言うべき幅広いもの。なかでもシリアスな話題を正面から語る殿の凄みと言ったらなかった」(水道橋博士氏による解説)
また、これは西寺郷太氏(NONA REEVES)のカセットコレクションです。
西寺氏のルーツを、ここから窺うことができると思います。
安齋肇氏は、カセットコレクションとして「空耳アワー」の資料を提供!
70年代の「オールナイトニッポン」や「パック・イン・ミュージック」が試聴できる
「大ラジカセ展」は、ラジオに関する展示物も多数です。例えば、東京のラジオ局に協力を仰いで公開されている、ラジオ番組の懐かしい音源。ヘッドフォンを通して聴くことができます。
『糸居五郎のオールナイトニッポン』(1970年)、『亀渕昭信のオールナイトニッポン』(1973年)、『ミスDJリクエストパレード』(1983年)等を聴くことができるようです。
当時のラジオ番組の資料も展示されてました。アツい!
模擬DJブースがあるので、ドカッと座ってヘッドフォンを着ければ、DJ気分になること請け合い!
80年代には、「カセットマガジン」というものが流行っていたそう。当時の最新の音楽が収録されており、そこに小冊子が付き、音楽とアートとトレンドを紹介します。中でも代表的なのは、この「TRA(トラ)」。
CDショップにて、数カ月に1回くらいのペースで1000〜2000円くらいで販売されていました。装丁も凝ってます。
ラジカセを分解し、当時のラジカセの中身も公開しています。
「当時のラジカセは今みたいに大量生産ではなく、流れ作業でパートの人たちがパーツを一つ一つはんだ付けして作っていました。中は非常に複雑で、ぎっちり詰め込んであります」(松崎氏)