ユーロ2016で優勝したポルトガルの勝因について、僕はいの一番に、フェルナンド・サントス監督の選手起用法を挙げた。20人のフィールドプレイヤーを、計7試合を通してすべて使い切ることで、蓄積される疲労を多くの人数で均そうとした采配だ。その20人の中にフルタイム出場した選手が1人もいなかったことが、チームとしてのフレッシュさを維持することができた要因である、と。

 だが、もっと分かりやすいダイレクトな理由も存在した。それについて触れてこなかったわけではないが、触れすぎると、あまりにもシンプルすぎて面白くないというか、そもそもサッカー的な題材ではないと考え、必要最小限に止めてきた。何かといえば、GKだ。

 ポルトガルGKルイ・パトリシオはどの国のGKより当たっていた。決定的なシュートを何本も止めた彼の活躍がなければ、その優勝はなかった。

 ユーロ2016に限った話ではない。CLでもW杯でも、よく目にする。GKの活躍が勝因の一番に来るケースは。しかし、概してメディアは、もちろん僕を含め、その点に言及してこなかった。GKをく10人の攻防で何かを語ろうとする傾向がある。

 日本の場合はとりわけだ。GKのミスはフィールドプレイヤーのミスより直接的だ。そのまま失点に直結する。だが、選手への個人攻撃をしない日本メディアの慣例に従えば、見出しにはなりにくい。ミスがミスとして万人に知れ渡ることはない。GKは評論の対象から外れた、アンタッチャブルな領域に置かれている。 

 軽んじているのではない。特殊な存在に見えてしまうのだ。ノイヤーがバロンドールを獲得できない理由でもある。GKはあくまでもGK。王道から外れた部外者。彼が超一流のGKであることは認めるが、その年の世界ナンバーワンフットボーラーを選ぼうとすれば、どうしてもつい躊躇いがちになる。

 GKには名監督が少ない。そもそも、監督に就く絶対数が少ないことも輪を掛ける。サッカーゲームの王道から離れたところにいた元GKに、監督は務まらないだろうと考える人が、この世界に多くいることの証拠だ。GK自らも、GK以外の世界をマネージメントすることに自信が持てないのだろう。なりたがる絶対数が少ない。

 だが、サッカーはGKで決まる。そうしたケースに頻繁に遭遇する。1本の好セーブで、流れがガラッと変わることもよくある話。

 最近では、リオ五輪の準々決勝ドイツ対ポルトガル戦だ。立ち上がり、ポルトガルが絶対的なチャンスをつかんだ。ドイツのGKティモ・ホルンはポルトガルFWマネが放った至近距離からの決定的なシュートを、鋭すぎる反応でストップした。

 これで勢いづいたドイツは、決定機を再三作ったが、ホルンの活躍に触発されたのか、今度はポルトガルのGKブルーノ・バレーラが大当たり。決定的なシュートを次から次へと止めていく。少なくとも前半、この攻撃的で大盛り上がりの好試合を演出していたのは、間違いなく両GKだった。

 日本で最も拝みにくい光景だ。もし日本のGK櫛引、中村が、両軍のゴールを守っていたら、何点入っていただろうか。

 様々な弱点を抱えている日本サッカーだが、GKは中でも深刻な問題だと思う。センターフォワード、センターバックに世界レベルの人材がいないとは、よく言われることだが、あらゆるポジションの中で最もレベルが低いのはGK。ユーロ2016の観戦を通して、改めて思い知らされたことだ。ルイ・パトリシオに限らず、瞬間、決まった! と思ったシュートを、GKが弾き出したケースを、大会を通して何度拝んだだろうか。不運はあったが、凡ミスはほぼゼロ。

 大きな声では言いたくないが、リオ五輪対ナイジェリア戦で、キャッチに行くべきところをスライディングでクリアし、相手に拾われゴールを許した日本のGK櫛引とは、2レベル以上違っていた。

 川島でも見劣りする。西川、東川ではさらに落ちる。せっかくいい試合をしていても、GKに救われるというケースは、世界の舞台では望めそうもない。だが、繰り返すが、GKにまつわる話がクローズアップされることはない。放置されたままだ。

 いつかのこのコラムでも述べたが、今季、川崎フロンターレが好調な原因は、韓国代表のGKチョン・ソンリョンが加入したことと大きな関係がある。日本のGKより、1レベル高いことは明らかな事実。だが、その辺りを指摘する人は多くいない。言い出しにくい話になっている。

 日本が5失点を許した例のナイジェリア戦。もし、チョン・ソンリョンがGKなら勝てていたんじゃないかと言いたくなる。ドイツのGKホルン、ポルトガルのGKブルーノ・バレーラなら間違いなく、だ。

 GKに救われる機会が、他国より低い。日本の弱点は浮き彫りになっている。W杯でベスト16以上を狙うなら、低身長国を自覚した、10年先を見据えた抜本的な取り組みが不可欠だと、僕は思わずにいられないのである。