「シリコンヴァレーの黄金時代」をとらえた写真が教えてくれること

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スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、スティーヴ・バルマー。「シリコンヴァレーの黄金時代」に、テック界の人々を撮り続けた写真家がいた。時を経て、それらの写真はようやく世に出ることになった。彼が写した一瞬一瞬は、シリコンヴァレーがいかに素晴らしい文化をつくり出したかを教えてくれるものだった。

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2/191998年、カリフォルニア・レッドウッドシティにて。ソフトウェア会社ネットオブジェクツのミーティングの様子。新入社員が、習慣として風船の帽子をかぶせられている。

3/191988年、カリフォルニア・マウンテンヴューのある会社のオフィスにある「TRYING TO THINK」の文字。「技術開発というのは孤独な集中が求められる仕事なんだ」とネメズは言う。

4/191993年、ドイツ・ハノーヴァーにて。「マイケル・チャオらアップルのニュートン開発チームが、試作品としてドイツまで持ってきた8台のニュートンがすべて壊れているところに気づいたところだ」

5/191987年、カリフォルニア・フリーモントにて。スティーブ・ジョブズが新しい工場の下見から帰るところ。ネメズは言う。「スティーブがものすごく無礼で、批判的で、執念深い人物であったとしても、彼は同時に喜びに満ちた人で、その笑顔とエネルギーは回りに伝わっていくんだ。それは本当に魅力的だったね」

6/191987年、カリフォルニア・ソノマにて。「グラフィック・デザイナー、スーザン・ケアは、初期のマックのいたずら心あふれるアイコンや多くのユーザー・インターフェイスを手がけたんだ。彼女のデザインは、世界中の、何百万人もの人々の日々の生活にインパクトを与えたんだ」

7/191990年、カリフォルニア・フリーモントにて。ラムリサーチ社のエンジニアが、機械の接続の問題を解決しようとしている。

8/191995年、カリフォルニア・マウンテンヴューにて。ビル・クリントン大統領が、シリコンヴァレーのCEOたちとの集まりに参加している。

9/191988年、カリフォルニア・マウンテンヴューにて。Photoshopのリリースを準備している際のアドビの創業者ジョン・ワーノックとチャールズ・ゲシキー。

10/191990年、カリフォルニア・フリーモントにて。当時のアップルCEO、ジョン・スカリーがプレス用の撮影を行っている。

11/191992年、カリフォルニア・ラグナニゲルにて。あるカンファレンスに参加したビル・ゲイツは「これからは誰も写真に50ドル以上払うことはなくなるだろう」と語り、大衆向けの安いコンテンツがこれから広まると予想したという。

12/191999年、シアトル。「マイクロソフトでソフトウェアシステムのシニアヴァイスプレジデントを務めていたスティーヴ・バルマーが、本社でプログラマーたちと話しているところだ」

13/191992年、カリフォルニア・クパチーノ。アップルでNewton開発に携わっていたプログラマーのピーター・アリーが、仕事中に休憩しているところ。

14/191993年、カリフォルニア・クパチーノにて。「アップルでNewtonプロジェクトに携わっていたプログラマーのサラ・クラークは、生まれたばかりの赤ん坊を2年もの間、会社に連れてきながら仕事をしていたんだ。彼女がオフィスのカーテンを閉めるのは、昼寝か赤ちゃんへの授乳のどちらかのときだと同僚たちは知っていた」

15/191998年、コロラド・アスペンにて。サン・マイクロシステムズ社の共同創業者で伝説的プログラマーのビル・ジョイ。

16/191993年、北カリフォルニア。アップルのNewtonソフトウェアを開発するエンジニアは、プロダクトが完成するまでに自分の命があるかどうか定かではなかったので、上司の命令にも(重力にも)逆らっていたという。

17/19シリコンヴァレーできれいに整理されたオフィスを見つけることはほとんどなかった。

18/191993年、アップルのオフィスにて。「Newtonのチームは週末でも何時間でも働いていたため、彼らは妻や夫、子どもを連れてくるようになった。子どもたちが両親を昼間に見ることのできる方法はそれしかなかったんだ」

19/192000年。ドットコムバブルが弾けたあとの、シリコンヴァレーの夢の終わりを表すような1枚。

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1987年、カリフォルニアのメンローパークにて、スティーブ・ジョブズが“人間のふり”をしているところ。「スティーブはリラックスするようなタイプの人間じゃなかった。彼はまるでレーザーのようにいつも何かに集中していた。だから会社で行ったピクニックでスティーブがビーチボールを蹴って遊んでいるところ見たときは驚いたよ。彼は楽しい時間をすごしているようだった。でもどちらかと言えば、アップルのチームのみんながくつろげるようにするための演技のようにも見えたな」(ダグ・メネズ)

1998年、カリフォルニア・レッドウッドシティにて。ソフトウェア会社ネットオブジェクツのミーティングの様子。新入社員が、習慣として風船の帽子をかぶせられている。

1988年、カリフォルニア・マウンテンヴューのある会社のオフィスにある「TRYING TO THINK」の文字。「技術開発というのは孤独な集中が求められる仕事なんだ」とネメズは言う。

1993年、ドイツ・ハノーヴァーにて。「マイケル・チャオらアップルのニュートン開発チームが、試作品としてドイツまで持ってきた8台のニュートンがすべて壊れているところに気づいたところだ」

1987年、カリフォルニア・フリーモントにて。スティーブ・ジョブズが新しい工場の下見から帰るところ。ネメズは言う。「スティーブがものすごく無礼で、批判的で、執念深い人物であったとしても、彼は同時に喜びに満ちた人で、その笑顔とエネルギーは回りに伝わっていくんだ。それは本当に魅力的だったね」

1987年、カリフォルニア・ソノマにて。「グラフィック・デザイナー、スーザン・ケアは、初期のマックのいたずら心あふれるアイコンや多くのユーザー・インターフェイスを手がけたんだ。彼女のデザインは、世界中の、何百万人もの人々の日々の生活にインパクトを与えたんだ」

1990年、カリフォルニア・フリーモントにて。ラムリサーチ社のエンジニアが、機械の接続の問題を解決しようとしている。

1995年、カリフォルニア・マウンテンヴューにて。ビル・クリントン大統領が、シリコンヴァレーのCEOたちとの集まりに参加している。

1988年、カリフォルニア・マウンテンヴューにて。Photoshopのリリースを準備している際のアドビの創業者ジョン・ワーノックとチャールズ・ゲシキー。

1990年、カリフォルニア・フリーモントにて。当時のアップルCEO、ジョン・スカリーがプレス用の撮影を行っている。

1992年、カリフォルニア・ラグナニゲルにて。あるカンファレンスに参加したビル・ゲイツは「これからは誰も写真に50ドル以上払うことはなくなるだろう」と語り、大衆向けの安いコンテンツがこれから広まると予想したという。

1999年、シアトル。「マイクロソフトでソフトウェアシステムのシニアヴァイスプレジデントを務めていたスティーヴ・バルマーが、本社でプログラマーたちと話しているところだ」

1992年、カリフォルニア・クパチーノ。アップルでNewton開発に携わっていたプログラマーのピーター・アリーが、仕事中に休憩しているところ。

1993年、カリフォルニア・クパチーノにて。「アップルでNewtonプロジェクトに携わっていたプログラマーのサラ・クラークは、生まれたばかりの赤ん坊を2年もの間、会社に連れてきながら仕事をしていたんだ。彼女がオフィスのカーテンを閉めるのは、昼寝か赤ちゃんへの授乳のどちらかのときだと同僚たちは知っていた」

1998年、コロラド・アスペンにて。サン・マイクロシステムズ社の共同創業者で伝説的プログラマーのビル・ジョイ。

1993年、北カリフォルニア。アップルのNewtonソフトウェアを開発するエンジニアは、プロダクトが完成するまでに自分の命があるかどうか定かではなかったので、上司の命令にも(重力にも)逆らっていたという。

シリコンヴァレーできれいに整理されたオフィスを見つけることはほとんどなかった。

1993年、アップルのオフィスにて。「Newtonのチームは週末でも何時間でも働いていたため、彼らは妻や夫、子どもを連れてくるようになった。子どもたちが両親を昼間に見ることのできる方法はそれしかなかったんだ」

2000年。ドットコムバブルが弾けたあとの、シリコンヴァレーの夢の終わりを表すような1枚。

ダグ・メネズは、「シリコンヴァレーの黄金時代」と呼ばれる年代の真っただ中で、15年を過ごした。1985〜2000年の間に彼は、スティーブ・ジョブズを含めた70の人々、そしてアドビシステムズやNeXTなどの企業との、前代未聞の出会いを重ねてきた。メネズの驚くべき写真の記録は、アメリカの科学技術史を変える瞬間の、最も豊かな記録のひとつだ。

しかし、彼のネガは何年間も出版されないままになっていた。理由のひとつは、メネズが「このテーマに対して一度燃え尽きてしまったこと」、もうひとつは、すべての写真を現像するには費用がかかることだった。だがようやく、彼の写真は『Fearless Genius』という本になって出版されることになった。

本書のなかでメネズは、世界を旅しながらデジタル時代の隆盛を目撃するとはどういうものなのかを語っている。彼を最も驚かせたのは、テクノロジー業界の人々でさえ、その当時が科学技術史においていかに重要な瞬間であったかがわかっていなかったことだ。「どれほど多くの人々が自分自身の歴史を知らないのかと知って、驚きました」

メネズは、その認識を変えたいと思っている。なぜなら自身が写した人々が、豊かで、活力のある、いまは消えてしまった文化をその時代に生み出したと彼は信じているからだ。

その当時、シリコンヴァレーは教育といった社会の物事をよりよいものにするテクノロジーをつくるために必死だった、と彼は語っている。そしてすべての人の利益のために、情報を自由=タダにしようとしていたのだと。

「ある人は命を落とし、ある人は精神病棟に行ってしまいました。離婚を選んだ者もいた。なぜなら彼らは、本当に、本当に困難なものを手に入れようと手を伸ばしていたからです」。シリコンヴァレーには、いまだわずかな理想主義が存在している、と彼は言う。しかし(現在の主流サーヴィスとなっている)モバイルゲームやソーシャルネットワークをつくるのは、当時の挑戦に比べたらなんでもないようなことだという。

ネメズの次のステップは、何十年も前に彼が写真に撮った人物にインタヴューをして、ドキュメンタリーを制作することだ。われわれがもうあのころと同じ時代に生きていないことを、ネメズは知っている。それでも彼は、それ以後生まれることのなかった“発明と大胆な発想の時代”を、人々に思い出させたいと語る。

「わたしは人々に、1980、90年代がかつてもっていた価値に、もっと気づいてもらいたいんです」と彼は言う。「シリコンヴァレーが『最近滅んだ森』だと思われている、ということを伝えたいわけではないんです。でも、事態は変わっていると思います」

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ダグ・メネズによる『Fearless Genius: The Digital Revolution in Silicon Valley 1985-2000』(訳書は2014年9月に翔泳社より刊行)

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