ネパール大地震、そのとき山と街では何が? 被災者たちの壮絶な体験談
今年4月に発生したネパール大地震を特集した番組『検証・ネパール大地震』が、14日22時からドキュメンタリーチャンネル「ディスカバリーチャンネル」で放送される。
同番組では、ネパール大地震に関して、地震学の専門家による分析や震動実験、被災者の独占インタビューや救助隊が撮影した映像を交え、地震が起きたメカニズムを検証。観測衛星からの地震前後のデータをもとに、断層に生じた地殻変動の調査、巨大な遠心分離機での同規模の地滑りシミュレートなど、さまざまな分析結果を専門家が解説。そのほか、地震の前兆から予知する早期警報システムなど開発中の最新防災技術なども紹介する。
2015年4月25日、ネパールの首都・カトマンズ近郊でマグニチュード(M)7.8の大地震が発生した。死者は8,500人を超え、負傷者は数万人に上る。インドと中国の間に位置するカトマンズでは、1934年にもマグニチュード(M)8クラスの地震に見舞われ、1万7,000人以上が亡くなった。過密な人口、耐震性の低い建物、軟弱な地盤、防災への準備不足などから地震に対する脆弱性が指摘されていたが、今回の犠牲者の大半は建物の倒壊が原因だった。
番組では被災者の壮絶な体験談も記録している。学生のアラティ・カタワルさんはその日、友人と献血をするために寺院に向かっていて、広場についたところで倒壊した塔の下敷きになった。がれきの重みが全身にのしかかり、隣から聞こえていた子どもの叫び声が止まった時に、「家族にもう一度会いたかった」と自身も死を覚悟した。薄れる意識の中で聞こえた「今、助けてやる」の声。地震発生から5時間後、救助隊は必死で土砂を取り除いていた。搬送される際に同行者の有無を聞かれ、友人の名前を伝えたが安否は不明。自身は救われたものの、友人が亡くなったと知ったのは地震発生から4〜5日後だった。
ラシミラ・アワルさんは倒壊した自宅の前で必死に叫んでいた。「赤ん坊と娘を救出して!」。隣人と救助隊が懸命にがれきの中を捜索し、22時間後に赤ん坊のソニットちゃんが救出され、娘も一命をとりとめた。ラシミラさんは「私たちを窮地から救ってくれました」と近所の人々やネパール軍に感謝する。地震発生から5日、生存者の救出は絶望的と見られていた中、7階建てのホテルのがれきから少年が救出される。15歳のペンバ・ラマくんは脱水症状に陥りながらも、濡れた布を絞って水分をとり、命をつないだ。
3度目のエベレスト登頂に挑戦していたタレント・なすびはベースキャンプに滞在しているところで被災。その後に無事帰国し、迫り来る雪崩を撮影した映像が話題になっているが、同所にいた500人以上の登山者はなすびと同じように恐怖に震えた。時速300キロの雪崩は大量の雪と岩を押し流し、キャンプ一帯を破壊。被災した登山者は「全てが雪に覆われてめちゃくちゃな状態でした」「キャンプの200メートル下で発電機を見つけました。これが私たちの頭上を越えていったと思うとゾッとします」と当時の状況を伝える。
街は揺れ、山間部では地滑りが発生。歴史ある首都は戦場のような惨状で、市内の病院は治療を求める患者であふれた。少なくとも18人の登山者が雪崩の犠牲となり、エベレスト史上最悪の惨事となった。今回の地震を経験した人々は大きなショックを受け、世界最高峰の登頂を夢見ていた登山者の一部も、いまだにその衝撃から立ち直れないという。
友人を亡くしたアラティさんも「もう二度と彼に会えません」と悲しみに暮れていたが、自身が生きるチャンスを得たことで、立ち直るきっかけを自ら作ろうとしている。涙ながらに「友達の名前の慈善団体を立ち上げて、無料の学校を開きたいです。彼の名前がついた学校です……」と語るアラティさん。同番組は「人々は極限状況の中、地震への恐怖を抱きながらも前へ進みます」というナレーションと共に、赤ちゃんを抱える主婦の「今は悲しくても明るい未来を信じています」という言葉で結んでいる。
『検証・ネパール大地震』は14日(22:00〜23:00)のほか、18日(25:00〜26:00)と24日(6:00〜7:00)にも再放送される。
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