前回、おカネの正体について「債務と債権の記録」であり、かつ政府は「債務」にならない形でおカネを発行することができる、と解説した。
 読者の現金紙幣という「債権」は、日本銀行の「債務」。読者の銀行預金という「債権」は、銀行の「債務」。
 無論、国民一人一人にとって「おカネ」は重要である。とはいえ、国家全体で各人のおカネ(債権=債務)を集計すると、政府の通貨発行益分と対外純資産(外国への債権と債務の差額)以外は全て相殺され、「ゼロ」になってしまうのだ。

 おカネの量ではないとして、それでは国家の経済力とは何によるのだろうか。
 「国家の経済力」とは、ズバリ、
 「需要者(国民)が必要とするモノやサービスについて、国内の企業や政府、そして人材が供給する力(=供給能力)」
 を、意味している。

 例えば、国家にとって最も重要な「需要」の一つが、安全保障、特に「防衛という安全保障の維持強化」である。防衛という「安全保障の需要」を、国内の人材や企業、政府が満たすことができない場合、国家は領土、領海、領空を維持できない。
 国土を外国の軍隊に侵略され続けると、いずれは国家滅亡という事態を迎える。安全保障の供給能力が不足し、国民という需要者の「防衛需要」を国内の政府、企業、人材が提供できない場合、普通に国家は維持不可能になってしまうのだ。

 そこまで大仰な話ではなくても、「食料」「水」を例に考えてみれば、国家の経済力の本質が理解できる。
 読者は食料や水がなければ、生きていけない。国民経済の供給能力があまりにも乏しく、つまりは、「食料、水の供給能力が不足している」国では、国民は生きていけない。
 おカネなど、中央銀行が印刷すればいくらでも発行できるが、食料や水はそうはいかない。食料、水の供給能力が不足する国は、普通に国民が餓死もしくは渇き死にしてしまうのである。

 防衛、食料、水といった必需品以外の例を挙げると自動車、家電といった耐久消費財の供給能力が不足した場合、どうなるだろうか。
 もちろん、国民が自動車や家電を購入できなかったとしても、死ぬことはない。とはいえ、自動車、家電に関する「国民の需要」に「供給能力」が追い付かず、いわゆるインフレギャップが発生してしまう。

 インフレギャップが拡大していくと、当然ながら「インフレ率」が上昇していく。国民の自動車、家電という需要を、自国の供給能力で満たせない場合、製品価格の上昇は避けられない。
 結果、国民が自動車や家電に「手が届かない」状況が継続する。同時に、自国で生産できない自動車、家電を「外国から購入する」ことになるため、貿易赤字が拡大する。

 インフレ率上昇と貿易赤字の拡大こそが、
 「自国民の需要を、自国の供給能力では満たせない」
 というサインであり、国家として「経済力がない(あるいは弱い)」証なのである。
 要するに、経済力の本質とはおカネではなく、国民の需要を満たす「供給能力(モノやサービスを生産する力)」の大きさなのだ。

 ところで、国民経済の供給能力をブレイクダウン(細分化)すると、いかなる構成要素から成り立っているだろうか。
 供給能力は「人材=ヒト」「設備=モノ」そして「技術」の三つのリソース(資源)から成り立っている。経済力がない国、つまりは発展途上国とは、ヒト、モノ、技術のいずれかが欠け、国民の需要を満たす供給能力が不足している国のことなのだ。
 いうなれば、「経済の三要素」がモノ、ヒト、技術の三つという話である(「経営の三要素」ではない)。

 ヒト、モノ、技術という経済の三要素は掛け算であって、足し算ではない。また、技術の不足をヒト、モノでカバーするということはできない。
 ヒト(人材)、モノ(設備、インフラ)、そして技術のいずれか一つでも欠けていると、その国は国民の需要を自国で満たすことができないという話になってしまう。すなわち、発展途上国だ。

 さて、発展途上国とは国民経済の「供給能力」が不足しているため、基本的に経済はインフレ基調(かつ貿易赤字)で推移する。つまり、インフレギャップが拡大していくのである。
 経済には、基本的には「インフレギャップ」と「デフレギャップ」の環境しかない。
 インフレギャップとは国民経済の総需要(名目GDP)が供給能力を上回っている状態だ。逆に、デフレギャップの国は、供給能力が総需要を上回ってしまっている。

 ちなみに、デフレギャップ発生の原因は供給能力の向上ではない。
 バブル崩壊後に、政府が緊縮財政を実施すると、国民の所得が急減し、モノやサービスが買われなくなっていくためにギャップが開く。
 このように供給能力の拡大ではなく、需要の縮小によりデフレギャップは生まれる。

 現在の日本は、いまだにデフレーションから脱却できていない。つまりは、国民経済の供給能力に対し、需要が小さくなってしまっているのだ。
 すると、企業は余剰になった供給能力を削減するべく、リストラクチャリング(事業の再構築)を進める。あるいは、市場競争に敗れ、倒産・廃業する企業が続出する。
 いずれにせよ、国民経済が保有していたはずの「供給能力」が、毀損、縮小していくことになってしまうのだ。

 我が国がこのままデフレから脱却できず、供給能力の毀損が続くと、やがては、
 「国民の需要を、自国の供給能力では満たせない」
 状況に至る。すなわち、発展途上国化だ。
 デフレーションが引き起こす問題は複数あるが、実は最も深刻なのは「供給能力を痛めつけ、国家を発展途上国化する」ことなのである。
 こうした事を理解すると、筆者が過去何年にも渡り「とにかく、デフレ脱却を」と叫び続けてきた理由が理解できると思う。

三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。