「もともと渋谷の街は、東急資本の“コンサバ”の王道だった。ところが’70年代、西武グループの堤清二さんがパルコや西武百貨店を展開したことで、街に“サブカル”要素が生まれたというわけです」

そう話すのは、渋谷・円山町にあるミニシアター「ユーロスペース」代表の堀越謙三さん。終戦の年に渋谷で生まれ、時代に伴走しながら街の変遷を眺めてきた。

「’70年代は、便器を用いた芸術を世界に向けて発表するような“アバンギャルド”な時代で、その知的な部分に、一流の知識人が集まってきたんです。糸井重里さんをはじめ、とんでもなく一流の人たちがパルコや西武のポスターを作っていた。’80年代、渋谷にミニシアターができてブームになると、若い人が集まってきて、文化は“カウンターカルチャー”に。’69年にオープンした『渋谷ジァン・ジァン』からは、いろんな人が生まれましたよ。『ヨイトマケの唄』の美輪明宏もそうだし」

そして’90年代、バブルの崩壊とともに集う人たちが様変わり。大人向けの店は麻布などほかの町に移転し、センター街が街の中心になり、コギャルが集まる子供の街になってしまった。

「さらに、2000年にジァン・ジァンが閉店して、街から文化というものが消えてしまったのです」

再びその火を取り戻したいと、堀越さんは昨年11月、円山町のシアター内に、落語やコントなど、ライブエンタテインメントを発進できる場を立ち上げた。

「開発されるほど街はきれいになるけれど、“路地裏”は消えていく。人間は結局、車の中じゃなくて、路地を歩きたいわけで、路地裏がないと文化は生まれないんです。そんな猥雑(わいざつ)で戦前からの渋谷を残しているのは、ここ円山町くらい。この路地裏から、ジァン・ジァンのようにノンジャンルな文化を発進したいと思って」

いつの時代も、文化は路地裏から。新たな渋谷文化の誕生を見逃さないで。