米ニューヨーク・メッツ松坂大輔が現地時間23日、対デトロイト・タイガース戦に先発登板。324日ぶりのメジャー復帰を果たした。

 松坂は初回にトリー・ハンターのソロ、2回にはミゲル・カブレラに3ランホームランを打たれるも、3回以降は変化球主体の投球で、5回まで打者9人無安打無四死球に抑えた。

 試合後、「このマウンドに立てるまで、思っていた以上に時間がかかった。予想していた以上に緊張しちゃいました。どういう感じで投げているのか、最初は正直分からなかった」と振り返る松坂。一方サンディ・アルダーソンGMは、「彼を獲得できてうれしい。うちの先発陣にフィットする。シーズン最後まで、我々にとって必要な部分を埋めてくれる」と次回の登板に期待を寄せた。



 メッツはヤンキースを同じく、ニューヨークを本拠とする球団だが、どのようなイメージを持っているだろうか。
 これまでにも、柏田貴史野茂英雄吉井理人小宮山悟新庄剛志松井稼頭央石井一久高津臣吾高橋尚成五十嵐亮太が所属。過去にはボビー・バレンタイン、現在はテリー・コリンズと、わが国にも馴染みのある監督が指揮を執っている。
 それでも、わが国ではヤンキースに比べ印象が薄いのは、やはりナショナルリーグに属しているせいか。

 そんなメッツだが、個人的な印象は、球団創設以来初のワールド・シリーズ制覇を成し遂げた1969年。いわゆる、ミラクル・メッツだ。

 1962年のナショナルリーグ球団拡張を期に誕生したメッツは、新興球団らしく、弱かった。発足1年目は40勝120敗。勝率.250は、20世紀以降ではワースト3位だった。
 とにかく、選手層が薄かった。1塁手のマーブ・スロンベリーは、17個ものエラーを喫し、守備率は.981。何でもないフライを額にぶつけ、そのまま担架で退場したこともある。打っては、3ベースヒットを放つも、1、2塁を踏み忘れアウトになった。

 初代監督には、ケーシー・ステンゲルが就任。ヤンキースでは12年間10回のリーグ優勝、7回のワールド・シリーズ優勝を果たした名将だが、メッツではあまりの惨状に「メッツ戦より酷いのは、メッツのダブルヘッダーだ」と呆れるほどだった。

 そんなメッツが奇跡を起こしたのは、1969年。ヤンキースでもGMとしてステンゲルを支えたジョージ・ワイス球団理事長が構築したファームシステムが機能し始め、若手選手が台頭。トム・シーバージェリー・クーズマンら両投手の活躍で、チームはナショナルリーグを制覇。ワールド・シリーズでも、ボルティモア・オリオールズを破った。
 7年前の低迷を思い出せば、まさにミラクルと呼ぶに相応しい。

 そのメッツは24日現在、ナショナルリーグ東部地区3位。首位のアトランタ・ブレーブスには、18ゲーム差もつけられている。
 このため、今季の残る試合は来季への再建にあてているが、それだけに松坂にはチャンスがある。1969年のメッツと同様に、ファンはミラクルを期待してやまない。