日本と中国では、取材者の常識も「言っていいこと、悪いこと」も全然違う! 今回はその点でぼくが気をつけていることを紹介します。

 ぼくは日中両国をまたにかけて言論活動をしていますが、次のようなことをよく言われます。

「あなたは、日本と中国で言っていることが違いますね」

 それじゃ真の懸け橋にはなれないと、お叱りを受けたこともあります。

 この指摘に対するぼくの見解は大きくふたつです。ひとつは「じゃあ、あなたがやってみればいい」。もうひとつは、「言い方を変えなければならない理由がある」です。自分に非があれば謹んで訂正します。ただ、原因がぼくにない場合もあります。

 例えば、天安門事件について日本で語るのは問題ありませんが、中国の政治体制下では絶対的なタブーなので言及できません。思うことは言えばいいという意見もあるでしょうが、言ったら次の瞬間、北京から出ていかなければならないリスクが伴う。ぼくにとって、それは賢い選択ではありません。

 ぼくの使命は日中が相互理解を深めるきっかけになることで、そのためには“土俵”に立ち続けることが何より大切だと考えます。サッカーにおいてホームとアウェーの戦い方が違うように、ぼくも中国というアウェーで戦うときは日本と同じやり方をしないというだけのことです。

 自分で言うのもなんですが、それでも日中両国の人たちから、ぼくの言うことは面白く、耳を傾けるべきだと思われているという感触はあります。

 それはおそらく、ぼくの発言が常にインデペンデントで、どこかの利益を優先するものではないからでしょう。求められれば日本や中国の政府の見解も紹介はしますが、最後はあくまでも持論を展開する。

 日本のスタンスを強弁するわけでもなく、中国に媚こびへつらうわけでもない。両国にとっての“共益”を追求できるような意見を述べるだけです。

 ところで、日中両国で取材を受ける立場からいうと、ジャーナリズムに関しては、やはり中国よりも日本のほうに秩序を感じます。取材態勢にも記事内容にも約束事があり、それがきちんと守られている。

 ただ、打ち合わせや段取りに多くの時間とエネルギーを割いてしまい、なかなか本題に進めないのが難点ですね。

 その点、中国ではテレビやラジオでも打ち合わせは流れを確認する程度で、基本は“出たとこ勝負”。取材に関しても手段を選ばないというか、プロフェッショナルではありません。ネット上で書いたものが、いきなり新聞の1面に大きく出たりするのは当たり前。

 先日も、日本の政治について顔見知りの記者から電話で問い合わせが来たんですが、そこで話したことが2時間後にそのままラジオで流れていました。おいおい、聞いてないぞ、と(笑)。そういうときはもちろん抗議しますが、日本の物差しでは測れない部分があるのは確かです。

 また、ぼくは中国で顔が知られているので、一般の中国の人を“市民記者”と呼び、週刊誌の記者に接するような心構えで接しています。

 というのも、SNSの普及によって、おかしな行動をとるとすぐ暴かれてしまう可能性があるんです。中国の都市部はネット社会ですから反響も大きい。これじゃ、すてきな女性と出会っても口説くことさえできません(笑)。

 政治体制からジャーナリズムの状況まで、これだけ違う両国ですから、軸は変えずとも発言を微妙にコントロールするのは必要なんです。それでもまだ「一字一句変えるな!」というなら、その理由を教えて欲しいです。

■加藤嘉一(かとう・よしかず)
1984年4月28日生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学。中国国内では年間300本以上の取材を受け、多くの著書を持つコラムニスト。日本語での完全書き下ろしとしては初の著作となる『われ日本海の橋とならん』(ダイヤモンド社)が発売中

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