四元奈生美「(衣装を)よく思わない人はいます。ただ、卓球界にとって良いことだと思ってますから」
話題の女性アスリート・四元奈生美選手(卓球)のインタビュー第2弾。前回は映画「燃えよ!ピンポン」の応援団長として、ハリウッド初の卓球ムービーである同作品の魅力について語ってもらった、そして今回は、彼女の生い立ちから、これまで。また、コスチュームへのこだわりなど、知られざる四元選手の素顔をクローズアップ。奇抜な衣装に対しては異論を唱える人もいるが、彼女の活動の背景には、日本の卓球界に対する熱く切実な思いがあった。
■四元選手が卓球をはじめたきっかけは?
「おそらく4歳くらいですね。というのも、自分の記憶にはなくて、気がついたらすでに卓球をやってました。もともと母が卓球をしていて、姉が始めたときに、家にひとりで置いておくわけにはいかないってことで、練習に連れて行かれたのがスタートだと聞いてます。そのあとはずっと」
■これまで一度もブランクはなく?
「はい。今年で25周年です(笑)。いまは、30周年を迎えるのが目標ですね」
■辞めようと思ったことは?
「ないですよ。むしろ、卓球なしの生活が想像できないです。もう小学校の低学年で大会にも出場してましたし、練習、試合をこなしていくのが当たり前になってましたから」
■それでも、進学や学生時代が終われば、辞めて別の道へ進む女性アスリートの方は多いですよね。
「ええ。たしかにそうですね。私の場合、幼いころから卓球を続けてきましたが、どこか結果は二の次じゃないですけど、卓球を楽しむってことにウェイトを置いてプレーしてきました。そのことがずっと続いている要因といえばそうかもしれませんね」
■今年はオリンピックイヤーでもありますが、オリンピックへの野望は?
「もちろん、この競技を続けている以上、それは大きな目標です。ぜひ出てみたい大会ですよ。北京オリンピックも当然目ざしていて、そのために、プロ選手としての道にも踏み出したのですが、じっさいにやってみて、想像していた以上にハードルは高かったなと感じてます。次に生かしたいと思いますね」
■ハードルが高かったというと?
「いまはスポンサーがついて、練習場所や練習相手にも困らなくなりましたが、一時期はそうした環境を整えるだけでたいへんでした。学生や実業団でないぶん、生活の基盤もすべて自分で整えなきゃいけませんし。個人でやっていくことの難しさは、たしかにありましたね」
■ここ数年は、ずいぶん卓球界も盛り上がっているように感じますが。
「いえ、たしかにメディアで扱われる機会は増えたと思いますけど、一方で、これまで卓球界を支えてきてくれた有力企業が撤退していたり、大会でもお客さんが少なかったりしますね。実業団の選手たちでさえ、状況は楽ではないと思いますよ」
■その危機感とコスチュームへのこだわりは関係している?
「はい。自分自身、かわいい衣装が好きだってこともありますけど、それが話題になって、ファンの人が増えて、子供たちが興味を抱いてくれて、卓球界が盛り上がっていけばと。そういう意識もありますよ」
■抵抗勢力ではないですが、衣装について、なかには良い顔をしない関係者もいるのではないですか?
「たしかに、よく思わない人はいます。いろいろ言われたりもします。ただ、ルールを逸脱しているわけではないですし、卓球界にとって良いことだと思ってますから、あまり気にしていません。それに、少なからずファンの人がいてくれて、応援してもらえているのも心強いですよね」
■そうした卓球界への危機感は、以前から持っていた?
「そうですね。私が子供のころ、大会の会場に行くと、人がたくさんいて、すごい熱気があった。そういうなかで試合をすることに憧れてました。でも、年々変わってきて、いまは、あのころに比べると、ずいぶん試合を見に来てくれるお客さんが減ったというか、とても危機感を覚えます」
■四元選手が卓球をはじめたきっかけは?
「おそらく4歳くらいですね。というのも、自分の記憶にはなくて、気がついたらすでに卓球をやってました。もともと母が卓球をしていて、姉が始めたときに、家にひとりで置いておくわけにはいかないってことで、練習に連れて行かれたのがスタートだと聞いてます。そのあとはずっと」
■これまで一度もブランクはなく?
「はい。今年で25周年です(笑)。いまは、30周年を迎えるのが目標ですね」
■辞めようと思ったことは?
「ないですよ。むしろ、卓球なしの生活が想像できないです。もう小学校の低学年で大会にも出場してましたし、練習、試合をこなしていくのが当たり前になってましたから」
■それでも、進学や学生時代が終われば、辞めて別の道へ進む女性アスリートの方は多いですよね。
「ええ。たしかにそうですね。私の場合、幼いころから卓球を続けてきましたが、どこか結果は二の次じゃないですけど、卓球を楽しむってことにウェイトを置いてプレーしてきました。そのことがずっと続いている要因といえばそうかもしれませんね」
■今年はオリンピックイヤーでもありますが、オリンピックへの野望は?
「もちろん、この競技を続けている以上、それは大きな目標です。ぜひ出てみたい大会ですよ。北京オリンピックも当然目ざしていて、そのために、プロ選手としての道にも踏み出したのですが、じっさいにやってみて、想像していた以上にハードルは高かったなと感じてます。次に生かしたいと思いますね」
■ハードルが高かったというと?
「いまはスポンサーがついて、練習場所や練習相手にも困らなくなりましたが、一時期はそうした環境を整えるだけでたいへんでした。学生や実業団でないぶん、生活の基盤もすべて自分で整えなきゃいけませんし。個人でやっていくことの難しさは、たしかにありましたね」
■ここ数年は、ずいぶん卓球界も盛り上がっているように感じますが。
「いえ、たしかにメディアで扱われる機会は増えたと思いますけど、一方で、これまで卓球界を支えてきてくれた有力企業が撤退していたり、大会でもお客さんが少なかったりしますね。実業団の選手たちでさえ、状況は楽ではないと思いますよ」
■その危機感とコスチュームへのこだわりは関係している?
「はい。自分自身、かわいい衣装が好きだってこともありますけど、それが話題になって、ファンの人が増えて、子供たちが興味を抱いてくれて、卓球界が盛り上がっていけばと。そういう意識もありますよ」
■抵抗勢力ではないですが、衣装について、なかには良い顔をしない関係者もいるのではないですか?
「たしかに、よく思わない人はいます。いろいろ言われたりもします。ただ、ルールを逸脱しているわけではないですし、卓球界にとって良いことだと思ってますから、あまり気にしていません。それに、少なからずファンの人がいてくれて、応援してもらえているのも心強いですよね」
■そうした卓球界への危機感は、以前から持っていた?
「そうですね。私が子供のころ、大会の会場に行くと、人がたくさんいて、すごい熱気があった。そういうなかで試合をすることに憧れてました。でも、年々変わってきて、いまは、あのころに比べると、ずいぶん試合を見に来てくれるお客さんが減ったというか、とても危機感を覚えます」