今回インタビュー取材に応じてくれた岡部将和。彼の言葉にはサッカーに対する情熱が宿っていた。 写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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 現代サッカーでは、知識やデータの発達により、ピッチ内外で様々なものが取り入れられるようになっている。なかには選手のパフォーマンスに大きな影響をもたらすものもある。

 指揮官たちが編み出す戦術は複雑化し、それに合わせてトレーニング法もより細分化されて緻密さを増した。食事やメンタルのケアをエキスパートに依頼する選手もいる。

 いわば、チーム単位だけでなく、個人単位でもスキルやフィジカルを強化させていく時代となった現代サッカー界で、“あるもの”に特化した独自の指導法を追求している日本人がいる。「ドリブルデザイナー」の岡部将和だ。

 岡部は、その肩書き通りドリブルにフォーカスを当てたトレーニング理論を提唱している。その反響は凄まじく、「YouTube」で公開している実演動画の総再生回数は、1億回を超える。一昨年には、ブラジル代表FWネイマールとのドリブル対決が話題を呼んだ。

 さらに先月25日に岡部は自身初の著書『ドリブルデザイン 日本サッカーを変える「99パーセント抜けるドリブル理論」』を出版。相手を抜くための様々なロジックや技術が言語化され、そのウィットに富んだ内容は話題を呼んでいる。

 その理論に賛同し、師事を仰いだプロ選手も少なくない。これまでに乾貴士や原口元気、堂安律といった日本屈指のドリブラーたち10人以上に、ドリブルのコツを指南してきた。

 なぜ、「ドリブル」に特化しようと思ったのか? それが気になった。訊けば、キッカケは幼少期に憧れたレジェンドの存在だったという。
 
 現在35歳の岡部がサッカーにのめり込むようになったのは5歳の時。2つ上の兄の影響もあり、気が付けばボールを追いかける日々を送っていたという。

 岡部をよりサッカーの世界へ引き込んだのが、当時のスーパースター、ディエゴ・マラドーナだった。この“神様”のプレー集をビデオが擦り切れるほど繰り返し再生し、相手を圧倒する妙技の数々を目に焼きつけた。

「最初はメキシコ・ワールドカップの5人抜きの映像から入って影響を受けましたね。それでビデオを買って、ずーっと擦り切れるくらいに見て、そのドリブルを自分で試していました」

 マラドーナのプレーからサッカーを「楽しむ」ことを学んだという岡部は、その後、メキメキと頭角を現わす。中学時代には、横浜F・マリノスのジュニアユースで、藤本淳吾(現ガンバ大阪)や栗原勇蔵とともにプレーした。

 そして、サッカー部で汗を流した高校時代を経て進学した桐蔭横浜大学でもサッカーを続け、卒業後には自分の武器だった足下のテクニックを活かすべく、フットサルへ転向。2007年にFリーグが創設されたのを機にバルドラール浦安に入団し、晴れてFリーガーとなったのである。

 Fリーガーとして3年ほど活躍し、単身スペインに渡ってフットサル2部リーグでもプレーした岡部は、10年に引退。第一線を離れてからはフットサルの普及活動の一環として「Make Smile Project」を立ち上げ、幼稚園や小中高サッカー部、少年サッカーチームへの指導を開始した。

 そのなかで、岡部の独特なドリブル指導が反響を呼び、それを追求していった結果、過去に前例のなかった「ドリブルデザイナー」という職を確立したのである。
“ドリブルデザイナー”というネーミングは一聴しただけでは理解できない、聞きなれない言葉である。なぜ岡部は、「指導者」や「コーチ」などではなく「デザイナー」というワードを使ったのか? それには彼の理想に基づく明確な理由が存在する。

「指導っていうと偉そうなイメージがあって。自分の持っているものを『教えてやる』という感じが僕はするんです(笑)。僕はあくまでも選手に寄り添って一緒により良い答えを見つけていく、個々の能力や特徴に合わせて“デザイン”していくことがしたいんです」