日本の中堅・中小企業で、活発になりつつあるM&A。この企業規模のM&Aでは、とりわけ「新社長を誰が務めるか」が成否のカギを握るという。人は理屈ではなく、感情で動く。言葉の中身、行動の中身が、説得力に大きく関わる。トップと社員の距離が近い中堅・中小企業では、とくにトップの人望が重要になる。社員の心をつかみ、早々にビジネスを軌道に乗せる新社長には、共通点がある――。
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■「誰がやるか」が成否を決める

日本の中堅・中小企業間のM&Aにおいて、「何をやるか」「どうやるか」という方法論の他に、ポストM&Aの行方を左右する大切な要素がある。その要素とは「誰がやるか」、つまりは人だ。議論をしているときに、「この人が言うなら納得できるが、同じことを他の人が言っても受け入れられそうにない」と感じた経験はないだろうか。

突き詰めれば、人は理屈ではなく感情で動く生き物であり、言葉の内容や行動の中身よりも、「誰が言ったのか」「誰がやったのか」に注目して物事を判断しているものだ。

言われた言葉やその内容が同じでも、それを発言する人物の人柄や実績、立場、見た目の印象によっても、説得力は変わる。誰もが認める人格者に「嘘をついてはいけない」と言われれば聞くことができるが、嘘ばかりつく人に同じことを説かれても、納得はできないだろう。

同じことは、ポストM&Aのプロセスにおいても起きる。正しいことを行ったとしても、新社長やポストM&A担当者といったポストM&Aを推進する立場のリーダーが、ちょっとした言動や判断を間違い、適切な影響力を発揮できないと、プロジェクトが計画どおりに進まなくなることがあるのだ。

では、どのような人物に主導してもらうとポストM&Aはうまくいくのか。ポストM&Aを成功に導くリーダーの人物像に焦点をあてて解説していこう。

■M&A巧者の3つの共通点

ポストM&Aの最重要プレーヤーは誰かといえば、M&A後に売り手企業を率いる経営者(新社長)だろう。新社長は、文字どおり新しく就任するケースもあれば、売り手企業のオーナー経営者が留任し、引き続き経営を見るケースもある。

前者の場合には、3つのパターンがあり、「買い手企業からの出向」「売り手企業社内からの昇格」「外部から招聘」である。一般的には、買い手企業が事業会社の場合は自社から出向させ、ファンドの場合は外部から招聘するケースが多い。

一方、オーナー経営者が留任する場合は、数年後の退任を視野に入れつつ、段階的に経営から退くケースがほとんどだ。本人は退任する意向でも、買い手企業が「しばらくはアドバイザーとしての役割を頼みたい」「次の経営者が育つまで」などと慰留することも少なくない。

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ポストM&Aで問題になるのは、M&A直後から新社長が就任するケースだろう。特に買い手企業からの出向や、外部から新社長を招聘するケースでは、従業員が「知らない人がいきなりやってきた」と警戒し、「まずはお手並み拝見」とばかりに少し距離を置いて傍観することがある。このような状況は、新社長にとってマイナスイメージからのスタートといってもいいだろう。

適切なこと(Doing right things)を、適切なやり方(Doing things right)で、適切な人(Right Person)が実行しないと成果が出ないのがポストM&Aである。新社長が人間力やリーダーシップを発揮し、このマイナスの状況を早期に、かつ上手にプラスの状況に転じさせてこそ、ポストM&Aのプロセスが成功に向かって動き出すのである。

では、どのような人材であれば、従業員の心をつかむことができるのか。我々日本PMIコンサルティングでは、これまでサポートしてきた案件からM&Aを成功に導いた新社長の言動を具体的に洗い出し、そのポイントを帰納的に抽出してみた。それによって、「M&A巧者」には3つの共通点があることがわかった。

■M&A巧者の共通点1:お金の使い方を知っている人

1つ目は、「お金の使い方を知っている人」である。

M&Aの売り手企業には、業績が頭打ちになっている、あるいはいまは伸びているものの将来に不安をもっているという企業が少なくない。純粋な事業承継型ではない場合は、その状況を打破するためにM&Aを選択しているのであり、当然といえば当然だ。

例えば、将来に不安があってM&A(売却)を実行したが、現時点での業績は好調で、利益も出ている売り手企業があったとしよう。買い手企業から送り込まれてきた新社長の多くは、「新天地で新しい出発だ」「やるからには結果を出すぞ」と意気込んでいる。ある意味、興奮状態といってもいい。

そんな折、就任直後に売り手企業のコスト構造を分析して、交通費や交際費が自社(買い手企業)やベンチマーク(同業他社)よりも若干高い水準にあることを発見した――。

そのような場合、この新社長はまず間違いなく、「経費削減」の施策を打ち出すことだろう。いま以上に利益を増やすためには、コストカットは手っ取り早いし、何より「正しいこと」だからだ。しかし、社内の反応はどうなるだろうか。

従業員はまだ、お手並み拝見のスタンスで新社長を眺めている状況である。そのような状況において、従業員の反応は「新社長が、就任1週間で経費削減を打ち出したぞ!」というものになるだろう。

これでは、飛んで火に入る夏の虫、ではないか。従業員の気持ちとしては、いままで認められていた経費が認められなくなり、古い設備や備品を新調することもできないという不満と、「新社長は自分たちをいじめにきたのか」という反発しかないだろう。

「正しいこと」であっても、「正しいやり方(この場合は新社長が売り手企業の従業員との信頼関係を築いたうえで経費削減の必要性を説き、従業員を納得させてから実行)」で行うのでなければ必ず問題が起こるものなのだ。

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■支出を減らすのでなく、あえて増やす

それに対し、M&A巧者の新社長はどうするか。彼らの場合は、支出を減らすのではなく、ここであえて支出を増やすのだ。まさに「損して得とれ」を地で行く経営だ。

ある新社長は就任直後、従業員へのアンケートを行い、「作業服と作業靴がぼろぼろなので、何とかしてほしい」という要望に対して、すぐに新品を支給した。また、昼食補助や資格手当などの制度を社長の裁量で変更し、次月には新制度の運用を開始した。

企業規模や施策の種類にもよるが、予算が100万円あればできることはたくさんある。しかも、額は小さくても、こうした「小さな施策」をうまく繰り出すことで、抜群の効果が生まれるのだ(こうした「小さな施策」は「クイックヒット」や「クイックウィン」と呼ばれるものである)。

長らく停滞感を抱いていた従業員にとっては、「会社がいい方向に変わりそうだ」と、M&Aを好意的に受け止める特効薬になる。そればかりか、職場環境や手取りの収入が目に見えて変わることで、モチベーションも高まる。

従業員のモチベーションとは、いうなれば、企業の生産性における先行指標である。モチベーションの変化が、生産性にポジティブな影響を与えるからだ。

デューデリジェンス(買収監査)をはじめ、M&Aの準備のためには予算が用意されても、M&A成約後のポストM&Aには予算がつかないケースも少なくない。ポストM&Aのための予算をもたない新社長から「100万円でも予算は予算だ。投資したいのはやまやまだが、自分は業績回復のミッションを担っている」という声が聞こえてきそうだが、就任直後に無理をして業績回復を目指すのは得策とはいえない。

しばらくは従業員のモチベーションを高めるために、多少の費用をかけてポストM&Aのプロセスを軌道に乗せる。その結果、業績の伸長が翌年度以降にずれ込んだとしても、中長期的には大きな利益が得られる。

仮に、自分のお財布をもっていない場合は、上司(買い手企業のトップ)に直談判して予算をとりにいけばいい。M&Aを成長戦略のひとつとして位置づけている視野の広いトップであれば、必ずや理解を示し、売り手企業に送り出す新社長の上着のポケットに、そっと100万円を入れてくれるだろう。

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■M&A巧者の共通点2:フットワークが軽い人

M&A巧者の2つ目の共通点は、自分から従業員の懐に飛び込んでいくような「フットワークが軽い人」である。

M&A後の新社長が避けなくてはならないのは、「もし自分に対して不満や不安があれば、従業員のほうからアプローチして気持ちを打ち明けてくれるだろう」という待ちの姿勢だ。「社長室のドアは、いつも開けてある」と胸を張ったところで、訪ねてくる従業員はまずいない。

このようなとき、M&A巧者の社長は、従業員が近づいてくるのを待つのではなく、自分から近づいていく。社長室にこもって仕事をするのではなく、オフィスや工場のなかを絶えず歩き、積極的に従業員に声をかけていく。

さらには、普段のコミュニケーションに留まらず、従業員の一人ひとりとオフィシャルな面談を設定し、声を丁寧に拾っていくのも、彼らの特徴だ。

ある会社の新社長は、2カ月かけて、40人の従業員全員との面談を実行した。しかも、それを1回で終わらせるのではなく、数サイクル繰り返したのだ。そこまでの労力をかけて、効果がゼロということは、もちろんない。最初は警戒して本音を明かさなかった従業員も、回を重ねるごとに心を開いてくれるようになっていった。

従業員の本当の声を聞くには、自ら動いて一対一の場をつくり、双方向のコミュニケーションを心がける必要があるだろう。規模にもよるが、従業員が100人ほどの中堅・中小企業であれば、十分に可能なはずだ。

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他にも、従業員の懐に飛び込むためのチャンスはある。

わかりやすいのが、食事会や飲み会である。仕事を離れたカジュアルな場では、従業員の警戒心も自ずと解けていくものだ。そのような席であれば、オフィスや工場では聞けなかった本音が飛び出す可能性もある。

M&A巧者には、このような「オフサイト」、つまりは仕事から離れた場所での会合を上手に活用する人が少なくない。特徴的な事例をひとつ紹介しよう。あるシステム会社のトップに就任した6代目の新社長のケースだ。

従業員との食事会のための店選びや手配は、普通であれば秘書任せか、社長によっては従業員に丸投げするだろう。ところが、その新社長は、店をすべて自分で選び、予約の電話も自らかけていたのだ。

この新社長は大変な食道楽で、東京の銀座に行きつけの料理屋を何軒ももっていた。それらの店に従業員たちを連れていくのだ。新社長自身が気に入って通っている店を、惜しげもなく開放したことで、自分たちは大切にしてもらえている、という思いが従業員のなかに生まれたことは、想像に難くない。

■M&A巧者の共通点3:要求を遠慮なく伝え、明確に求める

M&A巧者の3つ目の共通点は、「自分のリクエストを遠慮なく伝えることのできる率直な人」である。

M&Aでもっとも注意しなければならないのは、買い手企業の「上から目線」だ。しかし、そのことを意識するあまり腰が引けてしまい、言うべきことまで言わずにいてよいのかといえば、それは違う。何も言わないのなら、いてもいなくても同じである。変えてほしいことがあるなら、臆せずに伝えなくてはならない。

もっとも、M&A巧者が言いたいことを言えずに躊躇している場面は見たことがない。なぜなら、彼らのなかには明確な成長シナリオと、そのためには売り手企業がどう変わっていかなければいけないのかという、はっきりとした青写真があるからだ。そのため、従業員へのリクエストも、それこそ個人ごとに、具体的にイメージできているのである。

また、M&A巧者は、人間関係ができていない相手に対しては、そのようなリクエストを絶対に口にしない。新参者の自分が正論を吐いても、誰も言うことを聞かないと知っているからだ。

だからこそ、まずは作業服を新調する。陰に陽に従業員からの話に耳を傾ける。自分で店を予約して食事に誘う。そこまでの土台づくりをして、自分が描いている未来への成長シナリオと従業員に対する期待を伝える。そのうえで最後に、従業員へのリクエストを伝える。

このような社長の思いと、それに応えようとする従業員がいれば、それだけでポストM&Aは半分成功したといってもいいだろう。

■現場の従業員に、繰り返し聞く

新社長自身には成長の青写真が見えているとはいえ、そのストーリーの実現に向けて、具体的な方策や実現可能性は担当者に聞いてみないとわからないということもあるだろう。

ゲーム会社の再建を任されたある新社長は、週に一度、開発担当者を食事に誘って徹底的に質問を繰り返した。この新社長もまたM&A巧者である。

その新社長はある仮説をもち、それを実現させることで、M&A後に驚異的に売り上げを伸ばした。その仮説とは、「この会社は、ゲーム課金のストラクチャー(仕組み)を変えれば伸びる」というものだ。しかし、最初からそのような仮説があったわけではない。

新社長自身が、それほどゲーム課金の仕組みやアプリケーションといった技術に詳しいわけではなく、新社長就任時は、売り手企業の売り上げが停滞していたことはわかっていたものの、何をどのように変えればよいのかという具体的な答えまではもっていなかった。また、その目論見が的を射ているのかどうかについても、一抹の不安を抱いているような状況であった。

そこで、どうしたかというと、具体的な方策は現場の従業員がいちばんよくわかっているという前提で、開発部門のマネジャーを質問攻めにしたのだ。

ただし、昼間の開発会議で質問するのではなく、リラックスして話せる食事会で、「ゲーム課金の仕組みを変えられると思うか」「どう変えたら面白いと思うか」と繰り返し聞いた。従業員がひとつのアイデアをしゃべり終わった後は、「それ、面白いねぇ」とアイデアを褒めちぎり、一息ついたら「もっとない?」と、さらに質問をした。

これを、一度飲みに行って5時間、5週間つづけて繰り返したところ、最後には新社長が質問する前に、自分からアイデアの全貌を話してくれるようになったという。

オーナー経営者の強いリーダーシップで伸びてきた中堅・中小企業では、従業員がいつのまにか受け身になり、主体性を失っているケースがある。

そのような場面で新社長に求められるのは、わからないことは誰にでも質問できる率直さである。さらには、従業員に煙たがられるのではという恐れを捨て、「何かいいアイデアはないか」と粘り強くソリューション(解決策)を求めていく姿勢だ。

新社長に、売り手企業はもっとよくなる、成長できるという期待と信念があれば、ポストM&Aにおいて遠慮は無用である。

図表作成:山口弘毅(yamaguchi koki design office)

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竹林信幸(たけばやし・のぶゆき)
株式会社日本 PMIコンサルティング 取締役
大手生命保険会社、国内外コンサルティング会社などを経て、日本M&Aセンターに入社。「シナジー効果を享受するまでがM&A」との信念に基づき、日本における中堅・中小企業向けのポストM&A=PMI(合併、買収後の経営統合)のプロセスの体系構築、サービスの導入に尽力。2018年、日本M&Aセンターの100%出資である日本PMIコンサルティング設立(設立時の社名は日本CGパートナーズ)に伴い、取締役就任。著書に『日本型PMIの方法論 中堅・中小企業を成長させるポストM&Aのプロセス』がある。

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(日本PMIコンサルティング 取締役 竹林 信幸 写真=iStock.com)