グーグル社員"いい会社だから辞める"理屈
■居心地が良い会社をあえて辞める人たちの「論理」
人手不足もあって求人数が増加し、転職者数も年々増えている。総務省によると、2017年の転職者数は311万人。15年は299万人、16年は307万人と右肩上がりだ。
そもそもなぜ転職するのか。人それぞれの事情があるだろうが、基本的には今の会社になんらかの不満があると考えられる。
エン・ジャパンのアンケート調査(2016月1月9日〜1月15日)によると、退職理由で最も多かったのは「人間関係が悪かった」の25%。2番目が「評価・人事制度に不満があった」の12%。続いて、「給与が低かった」「社風や風土が合わなかった」「残業・休日出勤など拘束時間が長かった」が11%で並ぶ。
このように社風が合わない、上司と合わない、給与が低い、残業が多い、といった定番的な「不満」で転職する人が多いが、中には居心地が良いのに転職する人たちもいる。
ヴォーカーズが「退職者が選ぶ『辞めたけど良い会社ランキング2018』」(※)というユニークな調査を発表した。
※退職者からの投稿が30件以上あった124社1万2835件のクチコミを、ヴォーカーズが集計しランキング化した。発表は2018年9月18日。
1 グーグル
2 プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)
3 マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社
4 ゴールドマン・サックス証券
5 リクルートホールディングス
6 ボストンコンサルティンググループ
7 三菱商事
8 三井物産
9 アステラス製薬
10 キーエンス
11 旭化成
12 住友商事
13 スターバックス コーヒー ジャパン
14 千代田化工建設
15 コスモスイニシア
16 伊藤忠商事
17 トヨタ自動車
18 野村総合研究所
19 JPモルガン証券
20 アサヒビール
■「恵まれすぎている環境でハングリーさが削られる」
ランクインした企業は誰もが知っている優良企業ばかりである。総じて給与が高く、福利厚生や教育投資や職場環境の良さも抜群。決して不満タラタラで辞めたわけではない。
たとえば1位のグーグルを退職した営業職の男性は、ヴォーカーズの調査にこう答えている。
「あまりに恵まれすぎている環境(食事、オフィス環境、福利厚生など)でハングリーさが削られる。良くも悪くも大企業であり、アップサイド(上昇局面)が少ない」
他にも、次のような声がある。
「(退職するのは)起業するからです。個人的には、それ以外に辞める理由が見つからない会社だと思います」(営業・男性)
「挑戦することをいつのまにか忘れてしまう状態に気づいたため、良くも悪くも居心地がいいので」(管理部門・女性)
「まったく不満はないが、新しいチャレンジが見つかったから」(プロダクトスペシャリスト・男性)
みな前向きな転職理由であり、不満の要素は感じられない。グーグルに限らず、ランクインした会社を退職した社員に共通するのは、自立心が強く、キャリアアップ志向を持っていることである。加えて、彼ら・彼女たちは転職に有利な、いわば市場価値が高い業界の出身者である。つまり、ランクインした企業はステップアップを目指すのにふさわしい知識と経験を与えてくれるということだろう。
■「辞めたけど、いい会社だった」と思われやすい業種5
上位にランクしている会社は以下5つの業種に分類できる。
●戦略系・IT系コンサルティング(マッキンゼー・アンド・カンパニー、ボストンコンサルティンググループ、野村総合研究所など)
●投資銀行(ゴールドマン・サックス証券、JPモルガン証券)
●総合商社(三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事)
●マーケティング・営業系(P&G、キーエンス)
■転職市場「勝ち組」業種は、なぜ強いのか
なぜ、この5業種出身者は転職市場で強いのか。
●インターネット
インターネット関連技術は今ではどの業種の企業にとっても必須のスキルだ。デジタルマーケティングへの対応はもちろん、新規事業としてインターネットビジネスを企画している企業も多い。
だが、社内にネットビジネスに通じた人材が少なく、即戦力となる経験者を求めている。インターネット業界から採用するしかないが、グーグル出身者であれば破格の待遇で迎えられるのは間違いないだろう。
●投資銀行
投資銀行は主にM&Aの仲介や有価証券の売買で利益を得る金融機関だ。20代で数千万円の年収が得られるケースもある。ゴールドマン・サックスやJPモルガンのようにM&Aを得意とする投資銀行から、培った知識と経験を武器に事業会社の経営企画部門や財務部門の幹部として転職する人も少なくない。
■キャリアアップをはかる踏み台として絶好の職種
●コンサルティング会社
戦略系コンサルティング会社も年収が高いだけではなく、若くして大手企業の経営課題の解決にあたるために豊富な知識と経験を修得できる。企業の経営企画部門の40代の部課長と一緒に改革課題を立案し、実行までフォローするうちに、自分も直接当事者として携わりたいという思いを抱く人も多い。
コンサルティング業界出身者は「ポストコンサル」と呼ばれ、あらゆる業界でニーズが高く、実際に経営改革を推進する幹部や幹部候補として活躍する人も多い。
コンサル会社は中途入社も多く、新卒で大手日本企業に就職後、重要な仕事を任せてもらえないことなどに不満を感じ、欧米系コンサル会社に転職する人もいる。そこで幅広い知識と実務経験を得た後、30代半ばで日本企業の部長職として入り、1500万円以上の年収を得るという人もいる。まさに一気にキャリアアップをはかる踏み台としては絶好の職種だ。
IT系コンサル会社は、クライアント企業の情報システムの構築だけではなく、今ではAIやIoTといった重要な技術のコンサルも実施している。その経験を生かして、そのまま企業の情報システム部門や経営企画部門、マーケティング部門に転職する人も多い。筆者の取材でも、業界トップクラスの野村総合研究所出身の30代前半のITコンサルタントがNTTに年収1800万円で転職したケースもあった。
■プロ経営者、サントリーHD新浪剛史社長は三菱商事出身
●総合商社
「総合商社」はいわずと知れた経営人材の宝庫として知られる。扱う領域はラーメンからロケットまでと言われるほど幅広く、国内外のあらゆるビジネスの立ち上げから経営まで携わる。人材投資も半端ではない。
筆者の取材に、大手総合商社の人事担当者はこう語った。
「商社は人が財産です。会計学やリーダーシップなどMBA的な全社教育をやっています。大手さんもやっているところはありますが、当社はそれだけではなく部門ごとに関係する業界の知識を含めた実務教育を体系化していますし、AIなど新しい分野の情報を常にアップデートしています。年間の教育投資は海外に赴任前の語学教育など全部含めると、単体だと1人あたり100万円ぐらいではないでしょうか」
日本企業の従業1人当たりの教育研修費は3万8752円(2017年度、産労総合研究所調査)。その25倍以上を投じていることになる。
教育研修を経て、一定の経験と実績を上げている社員はグループの事業会社に出向し、経営幹部となって事業を推進する役割を担う人もいる。あるいは自ら提案した新規事業の経営者として采配を振るう機会もある。
ただし、いずれはグループ企業の社長になるチャンスもあるうえに、30代半ばでも1500万円程度の年収が見込めることから、外資系企業に比べて転職する人は少ない。それだけに市場価値が高いともいえる。
三菱商事出身で現在サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏のように外部の企業に請われて活躍している「プロ経営者」も多い。
■資生堂・魚谷雅彦社長はマーケティング畑一筋の人
●マーケティング会社
マーケティング・営業系も市場価値が高い。マーケティング職は、消費者が何を求めているかを調査・把握し、いかに売れる商品を開発し、売り方をどうするかを考える仕事だ。とくに製品の開発に携わるプロダクトマーケティングは常に市場競争にさらされる業態では花形の職種だ。商品開発力では評価の高いP&Gはまさに典型的企業だ。
外資系の場合はプロダクトマーケティング職であれば、経験とキャリアを積み上げていくパターンが多い。マネージャー、マーケティングダイレクター(部長職)とステップアップし、ダイレクターになると、コミュニケーション、プロモーションのすべてのマーケティングを統括する。年収も高い。
外資系のプロダクトマーケティングのマネージャーの一般的な年収は30代後半で約1200万円。ダイレクタークラスになると1800〜2000万円も珍しくない。
外資系のマーケティング部門は経営企画に近く、社内でも優秀な人材を集めている。外資系企業のマーケティング部門出身者の経営者も多い。
たとえば資生堂社長の魚谷雅彦氏は、ライオンを皮切りに日本コカ・コーラのマーケティング部門長、社長を歴任し、資生堂マーケティング統括顧問を務めるなどマーケティング畑一筋の人だ。
■会社を辞めるのはスキルと地力をつけてからでも遅くない
以上、ランクインした企業や業種の特徴を考えると、退職した人が「辞めたけど良い会社」と思う気持ちは理解できる。もちろん転職にはリスクが伴うが、会社で培った知識と経験を武器に将来のステップアップを夢見てチャレンジしてみる価値は十分にあるだろう。
一方、上司とソリが合わない、給与が低いという不満を抱えて転職しても、給与が上がらないどころか、転職先でも人間関係が悪化し、失敗する可能性が高い。
筆者が転職希望者や人事部に長年取材して思うこと。それは、会社を辞めようと思えばいつでも辞められる、ということだ。早まって結論を出す前に、自分はどんな仕事をしたいのか、あるいはどんな働き方をしたいのか。自分のやりたいこと、できることを一度じっくりと見つめ直すことをお勧めしたい。
どんな社風や業種であれ、会社という組織に属することには何かしらのメリットや学びが必ずある。それをうまく利用すれば、経験やスキルを磨くことができる。
仮に上司と合わなければ、異動希望を出すことで環境を変え、新たな道を開けばいい。空前の転職ブームだが、会社を辞めるのは「どの会社でもやっていける」というスキルと地力をつけてからでも遅くはないはずだ。
(ジャーナリスト 溝上 憲文 写真=iStock.com)