「親を大事にしろ」

人はそう、口を酸っぱくして言うけれど。
生まれてくる親を、子は選べない。

名誉や金にすがった親の“自己愛”の犠牲となった、上流階級の子どもたち。

代々続く地方開業医の娘として生まれた七海も、そのうちの一人であった。

父の死をきっかけに、母は本性をあらわした。そんな母との関係に苦悩する女の、“幸せをかけた闘い”が幕をあけるー。

父の死後、少しずつ様子がおかしくなっていく七海の母・真由美。一方、七海はベンチャー企業を経営する諒太(29)と結婚前提の同棲をスタートさせるが、母、そして姉の沙耶から結婚を反対されてしまう。

誰にも母の異常性を理解してもらえず苦しむが、七海はついに母の承諾を得ることを諦め、自分たちの意思で結婚することを決意した。




「えっ、ご新婦のご家族は、結婚式に参列されないんですかぁ?」

目の前に座る20代半ばの女性が、ばちばちと瞬きしながら、驚いた表情で私を見つめている。

「はい、結婚式というよりは1,5次会のような感じにして、ゲストも友人中心にしようと考えています」

私が淡々とした調子で答えると、その女性は、「ああ、そういうことですかぁ!」と両手をぱちんと打って、安心したように微笑んだ。

彼女は、私の担当ウエディングプランナーだ。今日、私と諒太は、結婚式の打ち合わせのために銀座にあるウエディングサロンを訪れていた。

「では、ご親族のみでの挙式を別に済ませるということでしょうか?」

今度は私の代わりに諒太が「いいえ」と答えて首を横にふると、プランナーは途端に怪訝な表情を浮かべる。

「…普通は、ご友人中心のパーティーをするお客様って、親族のみのお式を別で挙げるケースがほとんどですけど、珍しいですねぇ」

彼女は若々しく、やる気に満ち溢れたフレッシュさを全身から放っていた。しかしどこか無遠慮な物言いが鼻に付くのか、諒太はさっきから少しムッとした顔をしている。

その後もプランナーは根掘り葉掘り、色々尋ねた後で、資料をプリントアウトしに席をたって奥へ消えてしまった。諒太がすかさず小声で呟く。

「親を結婚式に呼べない事情がある人なんていくらだっていると思うけど…彼女、少し無神経なのかなあ。ウエディングプランナーなのにね」

「まあ、悪気は無いんだろうね」

私は肩をすくめた。そして、私も彼女くらいの年齢のときは、まさか自分が親を呼ばない結婚式を挙げるなんて、想像もしていなかったなあ、なんて考える。

プランナーが席に戻ってきたあとは、提携ドレスショップの案内をしてくれたが、その際も彼女は無邪気な笑顔を浮かべながら私を見つめる。

「七海さん、美人でスタイルが良いから、ウエディングドレス姿も素敵でしょうねぇ!やっぱりお母様もお呼びしたらいいのに…。絶対見たいと思いますよぉ」


そしてその頃、茉莉も結婚準備を進めていたが…。


婚姻届の証人


「…そうかもしれませんね。ところで、申込書、今書いちゃいます。ペン、貸していただけますか?」

私は苦笑いして、話をかわした。

諒太が母親を説得してくれて、私たちは少し前から結婚式準備に向けて動き出したのだ。

法律では、成人した男女は父母の同意がなくても婚姻が認められる。だけど、常識では違う。

友達から批判を受けた一件以来、ある程度は覚悟していたけれど、実際に準備をはじめてみるとやっぱり痛感する。子供は親の許可を受け、親に祝福されて結婚すべきだと、多くの人が当たり前のように信じているのだ。

私はペンをぎゅっと握りしめ、プランナーから手渡された申込書を埋めていく。そして、未記入のままの“父母の氏名と連絡先の記入欄”をじっと見つめながら、数日前の出来事をぼんやりと思い返した。




その日、南青山『リヴァ デリ エトゥルスキ』の個室で、茉莉のブライダルシャワーが開かれた。

2ヶ月後に式を控える彼女の結婚を祝うため、合計10名以上が集合したのだ。私や美寿々をはじめとした高校時代の友人以外は、茉莉の大学や会社の女友達など、見たことのない顔もチラホラいる。

「茉莉、痩せて綺麗になったね」

先日会ったときよりも心なしか二の腕が引き締まった彼女を、皆が口々に褒め称える。

「式に備えてブライダルエステに通ってるせいかな?炭水化物も控えてるし。でも来月からは式の準備がもっと忙しくなるから、嫌でも痩せちゃうかも」

茉莉は結婚式準備の大変さを口先で語りながらも、表情は幸せそのものだ。

「七海も、結婚式、4ヶ月後でしょ?かなりやること多いから覚悟したほうがいいわよ」

茉莉は急に私のほうに向き直って、そう言った。

「私はかなりシンプルなパーティーだし、演出とかも大したことしないつもりだから、そこまでやることないと思うけど」

私が答えると、茉莉は「甘い甘い。想像以上に色々やることあるんだから」と呆れた様子で笑う。

「式準備も大変だけど、婚姻届も余裕持って準備した方がいいわ。私も、婚姻届の証人サインを彼と私の親にもらわなくちゃいけないから、バタバタよ。うちは長野だし、彼の実家は九州だから、両方にサインしてもらうのには日数が必要なの。七海のところは、大丈夫?」

「ああ…、うん。私の場合、証人は美寿々と、諒太の親友にお願いしようと思ってるから…」

すると、斜め前の席に座っている、茉莉の大学時代の友人だという子が突然口を挟んだ。

「へえっ、婚姻届の証人が友達って、なんか斬新!普通は、親とか兄弟じゃない?」

「う、うん…」

茉莉の友人が身を乗り出すと、茉莉が「まあまあ」と言ってその場をいなした。

「まあ、七海のところは色々あって複雑なんだよ。それ以上はかわいそうだから、あんまり聞かないであげてくれないかなあ?」

茉莉は皆を見回すようにして、甲高い声でそう言った。私の隣に座る美寿々が、そっと耳打ちする。

「七海、あんなの気にしちゃダメだからね」

「うん、ありがと。私、もう気にしないから大丈夫だよ」

だって私は、諒太と約束したのだ。

どんなに他人から、常識はずれだと言われても、普通じゃないと言われても、絶対に卑屈にならない。

私たちの常識も幸せも、私たち二人が決めるものだから。


そして、茉莉の幸せな結婚式を目の当たりにした七海は…?


かつて私が抱いた、結婚式への夢


それから2ヶ月たって、茉莉はパレスホテルで結婚式をあげた。

長野からも多くの友人が足を運んでおり、まるで同窓会のような雰囲気だ。

「美寿々、会いたかった!」
「七海、私もだよ!元気だった?」

親友の美寿々は親の事務所で働くため、2ヶ月前、長野に帰ってしまっていたのだ。だからこうして会えるのは本当に嬉しい。

ウェルカムドリンクを片手にすっかり盛り上がっていると、いつのまにか時間がやってきて披露宴が始まった。

それは200名規模の盛大な披露宴で、何もかもが華やかだ。

「七海、見て!茉莉のドレスすごいね…。指輪も、指がちぎれそうなくらい大きなダイヤモンド!」

美寿々は少し興奮して騒いでいたが、私の心に焼きついたのは、ダイヤでもウエディングドレスでも、豪華絢爛な演出でもない。

披露宴中、笑顔を絶やすことなく各テーブルにお酒をついでまわっている、茉莉の両親の姿だった。

「皆さん、今日は本当にありがとうございます。これからも茉莉のこと、よろしくお願いしますね」

プロフィールビデオの上映では、生まれたばかりのかわいい茉莉を抱く両親の写真にはじまり、家族にたっぷり愛されて育った幼少期など、多くの家族写真がスライドショーで流された。

そして披露宴のエンディングは、新婦の茉莉が両親にあてた手紙の朗読だ。

「お父さん、お母さん。今まで私を育ててくれてありがとう。お父さんとお母さんは、私の誇りです…」

茉莉は新郎に支えられながら、メイクが全て流れ落ちてしまうじゃないかというくらい号泣して手紙を読み終えると、両親にきつく抱きしめられていた。




ああ。かつては私も、こんな結婚式を夢見ていたっけ。

父と母に祝福されて、愛に溢れる結婚式をあげたかった。母にドレス姿も見せたかったし、感謝の手紙も読んであげたかった…。

もう二度と叶うことのない夢を思い出したら、涙が溢れそうになって、私は慌てて目頭をハンカチでぎゅっと抑えたのだった。



「七海、今日は来てくれてありがとう!」

「茉莉、本当におめでとう。とっても綺麗だったよ」

披露宴や二次会ではほとんど話す余裕のなかった茉莉も、3次会に顔を出してくれたので、ようやく二人で話す時間もできた。

「私、高校に入学したばかりの頃は、まさか七海とこんなに近い関係になれるなんて思わなかったな」

茉莉は少しお酒に酔ったのか、頬を赤く染めている。

「え、そうなの?どうして」

「だって七海って、松本ではみんな知ってる病院の娘だし、お金持ちで理想の家族!って感じだったし、顔もかわいくて勉強もできるんだもん。私なんかより、ずっとレベルが上だったから。だからこんな風に、お互いに結婚式に呼び合える仲になれて嬉しいんだぁ」

私が「大袈裟だなあ」と言って照れ笑いすると、茉莉は私の手をとって、こう続けた。

「ねえ、七海の結婚式は、一体どんなものになるんだろうね…?」

そう言った茉莉の顔からは、さっきまでの笑顔が消えている。そしてまるで私を嘲笑うかのように、こう続けた。

「…私、とっても楽しみにしてるよ」

笑っているはずなのに、茉莉の瞳があまりに冷たくて、思わず言葉を失ったのだった。



それから数日して、私は32歳の誕生日を迎えた。

毎年欠かさず送られてくる、母からの「お誕生日おめでとう」というメッセージは、今年はついに届かなかった。

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七海は無事に結婚式を挙げられるのか?