「寂れた昭和の温泉地」熱海が蘇った根本理由
熱海は、なぜ活気を取り戻すことができたのでしょうか(撮影:梅谷秀司)
一時「衰退した観光地」の代名詞になっていた熱海は、なぜ活気を取り戻すことができたのか。民間の立場から熱海のまちづくりに取り組み、このたび『熱海の奇跡』を上梓した市来広一郎氏が語る。
熱海のV字回復
衰退していた熱海がV字回復した。
2014年頃からマスコミなどで盛んにそう言われ、注目されるようになりました。かつて、首都圏の近郊に位置する温泉地として栄えた熱海は高度経済成長期から徐々に衰退していって、バブル経済が崩壊した前世紀の末から2000年代にかけては、すっかり見る影もなくなっていました。
熱海の旅館やホテルの宿泊客数は1960年代半ばには530万人でしたが、2011年には246万人と半分以下に落ち込んでいます。
しかし、それから4年後である2015年には308万人となっていて、短期間に20%以上も急上昇したため、熱海はV字回復したと言われているわけです。
この熱海復活の要因の一つが、20〜30代の若い世代の観光客の増加です。
現在国内の観光地が復活している大多数の要因は、インバウンド、つまり外国人観光客の増加です。しかし、熱海では外国人数は308万人の観光客のうち7万人程度、つまりたった2%しかありません。若者の観光離れが叫ばれる中で熱海は、この若者を呼び込むことができていることが復活の一つの要因です。
これは一つには熱海市行政のシティプロモーション施策が奏功したことが挙げられます。2017年に観光庁が発行した観光白書で、熱海は観光地再生の事例として取り上げられました。実際に「観光関連者の中で統一プロモーションの必要性を共有、新規顧客獲得に向けて若年層をターゲットに選定」したことも成功の要因であると書かれています。
街の衰退を目の当たりにして感じたこと
これだけ観光客が増えてきている熱海ですが、冒頭にふれたように7年前までは観光客が長らく減り続けていました。
私自身も、熱海で生まれ育つなかで1990年代の半ば頃から数年で一気に熱海のお客さんが減り、衰退していく街の姿を見てきました。当時高校生だったのですが、「どこどこの宿泊施設が潰れた」という話や「誰々さんが夜逃げした」というような話が私の耳にもよく入ってきていました。そしてそれはその後大学生となって東京に出ていた私自身の身にも起こりました。両親が管理をしていた企業の保養所が閉鎖となったのです。
生まれ育った熱海の街で大きなホテル・旅館が次々と閉鎖していく状況を見ていて、このように思いました。
「大きなものや、よそのものに頼っている街はもろい。小さくても地域に根付いた人や事業をつくっていかないと、街は数年で一気に廃墟のようになってしまう」と。
では、熱海はなぜ衰退してしまったのでしょうか。また熱海だけでなく、なぜ日本の温泉観光地はどこも衰退してしまったのでしょうか。
その答えは、従来型の観光が行き詰まったことに理由の一つがあると考えられます。熱海の全盛期だった1960年代半ば、宿泊客の中心は団体旅行の人々でした。首都圏の企業の慰安旅行などで、団体のお客さんがたくさん熱海にやってきていたからです。
ところが、2000年代に入った頃から、旅行に対してお客さんが求めるものが変わってきました。かつてのように、旅館やホテルにただ泊まるだけの旅行では、お客さんは満足できなくなったのです。
そのような従来型観光ではなく、旅行で何が体験できるのかが、問われる時代になったからです。
観光客の求めるものが、かつてのような団体客による宴会歓待型から、今では個人や家族による体験・交流型に変化してきました。温泉観光地の復活は、格安で人を呼ぶのではなく、街の魅力を高めることのほうが本筋ということだと思うのです。
観光客が押し寄せたことで低下する満足度
現在、国内や海外では、増えすぎる観光客により観光客の規制の話もよく話題に上るようになりました。国内では、有名観光地が外国人観光客の急増により、日本人観光客に敬遠されてしまったり、あるいは、不動産価値が急上昇し元々の住民が生活できなくなったりということも起きています。観光客の急増により、観光地にゴミばかりが増えたということもあるようです。
そうした中、顧客を顧客として対応することができずに、工場の流れ作業のような接客となってしまうケースが出てきているようです。
お店も繁盛し有名になったことで、一人ひとりのお客さんを大事にするようなやり方から、新たに来るお客さんをたださばいていくという接客になってしまったことにより、既存の顧客やリピーターが離れていってしまう。そんなことが個々のお店や、あるいは観光地全体で起こってしまっているようです。
かつての熱海もそんな状況だったのです。
地元の人たちは、熱海に観光客を呼ばなければならないということに必死でしたが、問題は集客にあるのではなく、一度訪れた人が二度と訪れないこと。つまり顧客がリピートしないことにあったのです。
熱海は観光客の方々の満足度も著しく低く、地元の人たちの満足度も低い、そんな街でした。地元の人は観光客に「どこかいいところないですか?」と聞かれても「何もない」と答えてしまうのが当たり前のようになってしまっていました。
観光客が来ないからといって花火大会のイベントを打ち続けていても、そのときだけは来ても、それ以外は来てくれない。あまりにも多い花火大会に、地元の人たちからは「迷惑」と感じる人々も多くいました。
地元の人や観光客の満足度が低い状態で、集客イベントだけを打ち続けても、観光客数の減少という現実を変えることはできませんでした。
だからこそ、私たちは、新たな観光客を増やすことではなく、まず観光客の満足度を高めることをすべきだと思いました。そしてそのためには、まず地元の人の満足度を高め、地元の人を地元のファンにしていくことこそが重要だと考えました。
そして、その次に、街の魅力的なコンテンツづくりこそが重要だと考えました。いまあるものだけを発信しても、すでにそれが魅力を失っているか、あと数年しか賞味期限がないかもしれません。だからこそ、お客さんにとって魅力を感じてもらうコンテンツを新たに生み出していかなくてはいけないと考えたのです。
コンテンツはそのままで、街の売り方をどうしようと考えていましたが、問題は売り方ではなく、売るものにあったのだと思います。売り方ではなく売るものを変えることが必要でした。
そのためには、地域にある資源を再編集したり、あるいは、新しいプレイヤーやコンテンツを生み出していくことが必要だったのです。
それを私たちは、「オンたま」という体験交流ツアーを開催したり、リノベーションまちづくりによってシャッター街となっていた中心市街地を再生していくことなどを通してやってきました。
民間からのまちづくりこそが街の再生には不可欠
冒頭で紹介したように、2017年に観光庁が発行した観光白書で、シティプロモーションの効果が出たことについてふれられています。実はこの観光白書には、続けてこのような記載もあります。
「やる気のある民間プレーヤーにより、個人客を意識した宿泊施設のリニューアルやコンテンツづくり」が熱海で起こったことも熱海再生の理由であると。
「民間ベースでは、やる気のある宿泊事業者により旅行スタイルのニーズに合わせた施設のリニューアルや、Uターン者が立ち上げたNPO法人による魅力的なコンテンツづくりが進められている。このように、従来の観光関連事業者、Uターン者が中心となって新たなプレーヤーを巻き込み、行政の観光地域づくりの基盤をつくる取組と連携しながら活躍することで、熱海が生まれ変わりつつある」
民間のさまざまなプレーヤーの取り組みこそがこの熱海復活の要因であり、私たちもまちづくりを担う立場として、そうしたプレーヤーと連携しながら、熱海の再生に取り組んできました。
「行政がなんとかしてくれる」と思うのではなく、「自分たちこそが熱海の街の復活を担うのだ」という人が1人でも多く現れることが街の復活につながるのではないかと思います。
そのような街のプレーヤーがどのように生まれてきたのか、どのように生み出してきたのかを、熱海のまちづくりの現場の視点から、今後さらにお伝えできればと思います。