2011年にシンガポールで行われたエリック・クラプトンの公演で目撃された金正哲氏。2015年にはロンドンのコンサートにも訪れている(写真:共同通信)

非核化をめぐる米朝交渉で、存在感を高めているのが金正恩朝鮮労働党委員長(34)だ。6月12日のシンガポールでのトランプ大統領との米朝首脳会談では、親子以上に年齢の違うトランプ氏と渡り合い、交渉を有利に進めた。

妹の金与正・党中央委第1副部長がぴったりと同行しており、兄と妹の親密ぶりも話題となった。それでは、実兄の金正哲(キム・ジョンチョル)はどうしているのだろうか。一時は、金正日総書記の後継者とも見なされた人物だ。その近況が最近明らかになった。

エリック・クラプトンの大ファン

金正哲の生活ぶりを公開したのは、英国駐在北朝鮮の前公使、太永浩(テ・ヨンホ)だ。太は、2016年に脱北し、家族とともに韓国に亡命した。亡命した北朝鮮の政府関係者としては、最も地位の高い人物の1人だ。

彼が書き、5月に発売した『3階 書記室の暗号 太永浩の証言』は、異例の売れ行きとなり、すでに10万部を超え、ベストセラーとなった。現在、英語版と日本語版の翻訳が進んでいるという。

この本の中に、金正哲(36)が、大ファンであるギタリスト、エリック・クラプトンのコンサートを見に来た時(2015年)の様子が詳細に語られている。

公演2カ月前に、クラプトンのチケットを極秘に購入せよとの電子メール指令が本国から太のもとに届いた。メールは暗号化され、「家族にも絶対に話してはならない」と念が押されていた。

太永浩が、ロンドンに正哲が来ることを知ったのは、この時だった。太はすでにクラプトンを北朝鮮に呼ぶため、交渉をしていた。わざわざロンドンまで来て、クラプトンの公演を見ることができる人間は、正哲1人しかいなかった。

苦労して公演会場の正面と脇の2カ所を購入した。正哲が突然、違う場所から見たいと言いだした場合の対策だった。

正哲がロンドンに来ると、さっそく予想外のことが起きた。5月19日の夜10時近い時間に空港に到着した正哲は、ロンドンのオックスフォード通りのレコード店、HMV(英国最大のエンターテインメント・チェーン店)に行きたいと言いだしたのだ。「飛行機に乗っているあいだ中、ロンドンでレコードを買いたいと思っていた。今から行きたい」。

個室がついたスイートルーム

太永浩が「もうどこも閉店しており、無理です」と説明しても、「電話するか、シャッターを叩くなりして店を開けてもらえないか。外交官が頼めば何とかなるのではないか。そのくらいの人脈もないのか」と言って聞かなかったという。

北朝鮮でも、こういった気まぐれな生活をしていたのだろう。

結局、その夜はホテルに入った。宿泊したのは高級ホテルのサボイだった。テムズ川が見える側で、しかも個室がついたスイートルームという条件で、1泊2000ユーロ(約26万円)以上した(イギリスの通貨はポンドだが本ではユーロ表記)。

個室ありを希望したのは、そこに随行員が待機し、正哲が何か欲しがった時には、すぐに対応できるようにという配慮だった。2000ユーロは、当時の太永浩公使の2カ月分の給料に相当したという。

ホテルでも、正哲はわがままを言いだした。自分がはいていたズボンを、洗濯せよというのだ。飛行機の中でワインをこぼしてしまった。このズボンはお気に入りであり、明日はいてコンサートに行きたい、何とかせよと言って聞かない。

もちろんホテルのクリーニングサービスは終わっている。仕方なく太永浩らは、24時間営業のクリーニング店を探し出し、ズボンを洗ってもらったという。早朝の4時になっていた。

洗濯済みのズボンを正哲に渡すと、正哲はうれしがり、太永浩に対して、「チュク ネラ(ぐっとやれ)」とウイスキーの一気飲みを強いた。ウイスキーを飲むそぶりをして、逆に正哲に一杯勧めると、正哲は意外なことを話した。

「ロンドンに出発する前日、ある人が訪ねてきて一杯やった。飲み過ぎた」と言い訳をして、自分は飲もうとしなかったのだ。

金ファミリーの一員と一緒に酒を飲める人間は限られている。誰なのか……太永浩は「金正恩ではないか」と感じたという。

「ギターを買いたい」

翌20日、今度は「ギターを買いたい」と言った。太永浩が同行して、車でロンドンの有名な楽器商店街「デンマーク通り」に向かった。

正哲は店に入るとギターを手にして、即興演奏をした。演奏技術は驚くほど高かった。ギタリストでもある店の主人が近寄ってきて「名前を教えてほしい」「アルバムを出したことがあるのか」と聞いてきたほどだった。

太永浩が、正哲の随行員に聞くと「(正哲は)平壌でバンドを作っており、国内で公演をよく行っている」と説明したという。音楽漬けの生活をしているようなのだ。

ロンドンで移動用に使った車の中で、よく歌を歌った。

「マイウェイ」という題名だった。歌詞は暗記しているようで、歌いながら正哲は涙を流しているように見えた。太永浩は、金ファミリーでは正恩の実兄でありながら、権力の中枢から外され、音楽に入れ込む正哲の微妙な立場が思い当たった。太永浩は「憐憫の情を抱いた」と回想している。

いよいよ、午後6時にコンサート会場に入った正哲は入口で売られていたTシャツ、カップ、キーホルダー、アルバムなどクラプトン・グッズを買いあさった。ところが正哲の入国を知った西側メディアが、物陰から一行の様子を撮影していた。

正哲は公演に心底陶酔した様子だった。席から立って、熱狂的に拍手し、拳を振り上げる仕草も見せた。公演を終えてホテルに戻った正哲は、興奮がさめやらず、「一緒に酒を飲もう」と言いだした。これは命令だった。随行員たちは、部屋の冷蔵庫にあったビールを持ち寄って、乾杯した。金ファミリーは酒に深い縁がある。金正日も酒浸りの日々を過ごし、晩年に体を壊した。金正恩も酒が好きだとされている。

ところがまた困ったことが起きていた。

正哲が公演を見に来た映像をテレビ局が撮影し、放送したのだ。日本のテレビ局だった。酒を飲んでいた最中に緊急の報告を受けた太永浩は、インターネットを通じて映像を確認し、緊張した。しかし、本国からの特別な指令はなかった。

百貨店に行って子ども服を購入

そのため、翌21日も予定どおり、行動した。ロンドンから遠く離れた楽器街に行き、正哲のお目当てのギターをようやく購入した。2400ユーロ(約31万円)もした。この荒い金使いは、金ファミリーだからこそできるのだろう。

その後、正哲は百貨店に行き、子ども服を買った。「ここまで来て、子どもの服も買わなければ悪いパパと言われるからね」。

どうやら結婚して子どもがいるようだった。この本には書かれていないが、正哲の妻は、北朝鮮の有名なモランボン楽団でギターを演奏しているカン・ピョンヒという女性だとされている。子どもは男の子だという。

21日の夕方も、クラプトンの公演を見に行ったが、日本の報道が伝わり、公演会場の周りには記者が詰めかけていた。もっとも人気(ひとけ)のない入り口を探して、中に入ったが、そこにも記者が待っていた。

正哲は、気にもせず公演を満喫したが、公演が終わると記者や野次馬が正哲の周辺に押しかけ、騒ぎとなった。それまで周囲で見守っていたイギリス政府の警護員たちが正哲を取り巻き、外に連れ出した。イギリス政府も、正哲の入国を把握していたのだ。そして、21日夜は記者の追跡をかわして、ロンドンのヒースロー空港近くに宿を取り、最終日となる22日の朝、正哲一行は午前10時40分発の飛行機で、ロシアを経由して帰国した。

これが、太永浩が約61時間にわたって行動を共にした正哲の姿だった。

肩書のない兄

正哲にはホルモン異常があり、女性のように見えるという証言もあった。しかし太永浩は、韓国に亡命後、複数のインタビューで「特に感じることはなかった」と答えている。

ただし、正哲には何の肩書もなかった。北朝鮮は肩書社会だ。金ファミリーの一員なら、「金正哲同志」「金正哲大将」などと呼ぶのが自然だが、なにもなかった。しかたなく「チョウ(あのう)」と呼びかけた。

太永浩は、この本の中で、「正哲が金正恩を助けているなら、何らかの職責と呼称がなければならないが、私が見た正哲は、音楽とギターにだけ入れ込んでいる人物であり、金正日の息子というだけだった」と書いている。

その後、正哲の消息はほとんどわかっていない。韓国の情報機関、国家情報院が、正哲が弟の正恩に対して「本来の役割ができていない私を見守ってくれ、大きな愛を施してくださった」という卑屈な忠誠文を送ったことがあると発表したことがある程度だ。

2017年2月には、母親違いの兄である金正男が、旅行先のマレーシアで毒殺されている。このことは正哲も知っているに違いない。核交渉で米国とギリギリの交渉を続けている弟の怒りに触れないよう、平壌でギターを弾きながら、ひっそりと生きているのかもしれない。

【2018年7月13日23時20分追記】初出時、金正男について「義理の兄」と誤記していましたが、上記のように訂正しました。