そんなトレーニングを見ていると、このコーチ(先生と言った方が良いかもしれない)は泳げない子どもを泳げるようにするコーチ(先生)なんだろうなと思いながら、見ていた。
 
 そして、周りと比べてかなり緊張感のある雰囲気のクラスが、どう変化していくのかがすごく気になった。
 
 するとある瞬間、少し強張ってイライラしているように見えた、厳しい口調のコーチの顔がスッと優しい顔になり、言葉は少し強めなのだが、変わった瞬間を僕は見逃さなかった。
 
 低学年の子どもたちの変化に、一つの段階をクリアしたかのような顔になった。とても満足気な顔にだ。
 
 これは僕の生きるサッカーの世界でも同じことが言える。
 
 スイミングスクールは4つくらいのカテゴリーで4、5人のコーチがいるが、一人ひとり子どもへの接し方は違う。そしてスクールも当然、スポーツクラブが変われば、コーチが変われば教え方も会得までの時間も違うのであろう。親の厳しい視線を感じながら指導するストレスもあるだろう。
 
 スクールに通う子どものなかでも、本当に水が好きで水泳が好きな子もいれば、親に言われて水も怖い、泳ぎも苦手で嫌いな子もいるのであろう。
 
 そんなモチベーションの異なる子どもたちに短時間で泳ぎを教えていく。本当に大変な仕事だ。
 
 僕の世界でも子どもに泳ぎを教える感覚はある。一般で言えば、子どもを躾けるような作業だ。監督が厳しく選手に要求する。期待する。成長させようとする。力がない選手にも、出番の少ない選手にも、成長を促し、プレーさせる。
 
 ある意味、低学年に泳ぎを教えるかのように。
 
 そうした選手が早く泳げるようにどう接していくか? これがコーチの仕事でもある。
 
 サッカーであれば、モチベーションが下がりがちな選手に対して何を言ってあげられるか? これは難しいことだ。
 
 プールの監視員のように、「溺れている子どもを助けるが泳ぎは教えられない」コーチではプロのコーチとしては足りない。
 
「お前の言っていることは分かる」。「そうだな、そうだな」と選手の言うことを聞いてあげ、選手からの人望が厚いコーチ。ただそれだけでは、サッカーは教えられない。何が足りないから、何が出来ていないからと、泳げない子どもを泳げるように育てなければいけない。
 
 健康のために泳ぎに行き、そんなことを感じながら、帰宅。何処へ行ってもそんなことを考えている(笑)。
 
 自分自身に言い聞かせ、もっと良くなるために何が必要かと……。
 
2017年9月吉日
三浦泰年