アカデミー賞の歴史は、アニメの歴史でもある:ひらのりょう×土居伸彰連載第2回

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作品賞や監督賞など実写映画メインの賞に耳目が集まるなか、なかなか注目を浴びることのないアカデミー賞のアニメーション部門。しかし、アニメーション関連では史上最古の賞であるアカデミー賞アニメーション部門の歴史を眺めてみると、アニメーションの進化が保存された標本のようなものであることが分かってくる。ひらのりょう×土居伸彰連載第2回は、アカデミー賞の歴史を紐解くことでアニメーション史を辿り、現代のアニメーション産業が孕む問題を探っていく。

アニメーションの生態系としての「アカデミー賞」

土居 第2回のテーマは2月27日(日本時間)に授賞式が行われたばかりの「アカデミー賞」です。アカデミー賞、実はアニメーションの生態系にとって──とりわけ特に短編アニメーションをつくる人にとって──すごく重要なんです。アニメーション関連の賞として、「長編アニメーション部門」「短編アニメーション部門」、そして人によっては「視覚効果賞」をアニメーション関連に数える人もいたりします。たとえば短編アニメーション部門は、実は世界的にみても、いまに至るまで続いているものとしては史上最古のアニメーション賞なんですよ。

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ひらの その割に、アカデミー賞のアニメーション部門ってあまり話題になってませんよね。

土居 でも、一般的には話題にならずとも、つくり手たちにとってはめちゃくちゃ重要な場所だったりする。第1回のテーマとして取り上げた「Late Night Work Club」はVimeoのコミュニティに特化した集団で、そのなかでは超有名だけど外に出ると誰も知らないという状態なのは否めない。そういうインディペンデントな活動をしている人が唯一、世間一般の人の目に触れるタイミングがアカデミー賞なんですね。アニメーション作家の生態学を考えるためには、アカデミー賞がもたらすものはどうしても外せない。小さな規模で活動していた短編作家がアカデミー賞に選ばれることで注目を浴びて、そこから活動が軌道に乗ったり、逆に乗らなくなったり…ダイナミズムを生み出すシステムなんです。

ひらの でも、印象としてはピクサーの作品ばかり受賞しているようなイメージがありますね。毎回ノミネート作品はチェックしているんですけど、結構ピンキリというか、ピクサーみたいな大きいスタジオがつくっている作品もあれば、個人レヴェルの作品もあったりして。でも意外と方向性が揃っているというイメージもある。

土居 「揃っちゃってる」という言い方のほうが正しいかもしれません。アカデミー賞っていうのはそもそも、映画芸術科学アカデミーの会員が決める賞です。そのアカデミー会員は誰かというと、ハリウッドを中心とした映画産業のなかで功績を挙げてきた人たちなんですね。他国にも開かれていますが、どうしてもアメリカ人の割合が高くなる。アニメーションの場合であれば、産業の中心的存在であるディズニーやピクサー(現在はディズニーの子会社になっています)にかかわっている人が多くなる。産業の構造がそのままアカデミー会員の構成にも反映されて、選ぶ作品の好みも、制作体制は違えども、似通ったものになる。必ずしもアニメーションの新しい流れには反応できていなかったり…注目の高さと選定の「偏り」。そのギャップこそが、アカデミー賞の面白いところでもあったりします。

アカデミー賞に応募したければ、まずはロサンゼルスを狙え!

土居 短編アニメーション部門に関していえば、ひらのくんみたいに個人でアニメーションをつくっている人にも大きなチャンスがある。原理的にはひらのくんが次の作品でアカデミー賞を獲る可能性もありえるんですよ。そういう意味では夢がありますね。ひらのくんがどうやったらアカデミー賞を獲れるか考えてみましょうか。

ひらの それはすごく気になりますね(笑)

土居 まず、長編短編両方に共通した話をしましょう。基本的に、アカデミー賞の対象になるのはアメリカの映画館で劇場公開された作品です。規定が結構細かくて、ロサンゼルス郡で1週間以上の商業的な上映があった作品にのみノミネート資格が与えられるんです。1日3回以上の上映があるとか、ほかにも細かくいろいろある。

噂によれば、ロサンゼルスにはアカデミー賞にノミネートするための映画館っていうのがあって、ノミネート資格を得るための回数、上映をしてくれるそうです。「アカデミー賞に応募したかったら紹介できるから言って」とこっそり言われたことがあります(笑)。

ひらの お金を出したら上映させてくれるっていう仕組みなんですね。でも、マイナーな地域のアニメーション作家からしたら「福の神」みたいなものですよね。日の当たらない場所からフックアップしてくれるわけですし。

土居 とりわけ、小さな規模で活動している人たちにとってみれば、アカデミー賞にノミネートされるかどうかで世界中での注目度が変わってくるので、かなり重要なんですよね。だからその機会のために色々な手を使ったりする。今年は競争相手が多そうだから来年に先延ばそうなんてこともある。長編だと、アカデミー賞にノミネートされたことで各国で配給権が決まったり、当然のことながら話題になったりするので、観客動員にも大きく影響します。

ひらの いまのノミネート資格って、長編アニメーションの話なんですか?

土居 長編短編両方です。でも、短編が映画館で興行されることなんてめったにないですよね。なので実は短編には特例があります。アカデミー賞が認定する世界中の映画祭があって、そこでグランプリに相当する賞を獲ると応募資格が得られるんです。その映画祭というのは150くらいあって、結構数が多い。映画祭の主催者も、アカデミー賞に認定されるとすごく喜びますね。うちはアカデミー賞に認定されてるんだぞ、作品が賞を獲ったらアカデミー賞の応募資格が得られるぞ、みたいなアナウンスを誇らしげにしていたり。

ひらの 映画祭の主催側からすると、結構重要な要素になりますよね。

土居 映画祭がアカデミー賞認定となることで喜んでいる様子をみると、ちょっと複雑な気持ちもあります。ぼくがフェスティヴァルディレクターを担当している新千歳空港国際アニメーション映画祭は認定されていないので、単なるひがみかもしれませんが(笑)。結局のところ、アカデミー賞ってあくまでもアメリカをベースにしたローカルな映画賞ですからね。注目度と規模、そして応募資格のシステムゆえに、ある意味で「甲子園」みたいになってしまっている。ほかの映画祭が「地方大会」みたいな…それを映画祭の人が喜ぶのもどうなんだろうと思うこともあります。

 

アニメーションの産業構造がアカデミー賞を規定している

ひらの こんなにたくさん映画祭があると、資格を得た作品も相当多いわけですよね。100作くらいあるんじゃないですか?

土居 今年の場合は70作品くらいですね。さっきひらのくんが「ピンキリ」と言っていたのはすごく正しくて、アニメーション専門以外の色々な映画祭が認定されているので、毛色の違う作品がノミネート候補として入ってくる。

ひらの 選考する人たちも色々な視点で選考しているということですか? 選考は投票で行われるんですか?

土居 映画祭で受賞して資格を得て応募すると、まずは「足切り」にかけられます。アニメーションの場合、「短編映画および長編アニメーション支部(Short Films and Feature Animation Branch)」という支部に属するアカデミー会員の有志が応募全作品を観て、6〜10の5段階で評価をする。そこで平均が7.5を超えた作品最大10点がいわゆる「ショートリスト」入りとなります。まだノミネートではない。

ショートリストに残った10作品は、今度は同支部の会員全員の投票によってさらなる選考が行われます。これも1次選考と同じように6〜10の5段階評価なんですが、投票の母数が増えるわけですね。そこで7.5以上の評価を獲得した作品が最大6点、「ノミネート」ということになる。1月末に発表されますね。

ひらの じゃあその支部にいる人たちに媚を売ると選ばれやすくなったりするんでしょうか(笑)

土居 2004年以降は誰が新しい会員になったのかが公表されているので、それを見れば、誰に媚を売ればいいかわかりますね(笑)。会員がみんなで選ぶというのは問題点もありますね。たとえば、こういう記事がある。04年以降に「短編映画および長編アニメーション支部」の会員になった人のうち、約30パーセントがディズニーかピクサー。約15パーセントがドリームワークスの関係者。つまり構成に偏りがあるんです。インディペンデントに活動する人も23パーセントくらいなんですが、そのなかにも元ディズニーだったり大きなスタジオ出身の人が多い。

投票のためにアカデミー会員向け上映も行われるらしく、話によればみんながペンライトを持っていて、もう観たくないという作品はスクリーンにチカチカ光を当てるそうです。その光が一定以上の量になるとそこで上映ストップという「のど自慢」方式(笑)らしい。

ひらの 短編アニメーションは短いんだから観てくれよって思いますけどね。でも、その仕組みは結構厳しいかもしれない。そうなってくると冒頭で観客の心を掴まなきゃいけないってことですよね。最初に激しいアクションシーンを入れるとか。ちゃんと“引き”をつくらないとチカチカ光を当てられちゃうから(笑)。あとはみんなアニメーションの専門家だから、技術的に新しいこととかも評価されるんでしょうか?

土居 「技術的な新しさ」というものをどう捉えるかによりますよね。基本的には、ディズニーがつくりハリウッドで受け継がれてきたアニメーション観が強く反映されますから…たとえばドン・ハーツフェルトの作品は、キャラクターの仕草が表現豊かではない。それは全身で感情を表現するハリウッド式とは違いますよね。2回ノミネートされても受賞に至っていませんが、根本的な部分で齟齬があるとなかなか難しいのかも。

アカデミー賞選考システムの功罪

ひらの そんな状況がありながらドン・ハーツフェルトがノミネートされたっていうのはすごく画期的なことですよね。そんな狭き門を通過できたっていうのがすごい。

土居 受賞までは難しくとも、ショートリストやノミネートまでなら実験的な作品も結構残るんです。そして残ったことで何が起きるかというと、普段日の当たっていなかった人が一気に注目されるという事態。大きい映画祭は報道陣も集まるので、注目度がすごい。カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの三大映画祭は日本も主要なメディアが取材陣を送りますよね。アカデミー賞はさらにその比じゃない。日本にかぎらず、ノミネートされただけで、一気に国民的ヒーローになることも珍しくありません。

だから短編作家のブランディングの手段のひとつとして映画祭や賞を利用するというのは有効な手段だと思います。アニメーション界隈だと、それが効くのはアカデミー賞くらいですよね。山村浩二さんが2002年に『頭山』でノミネートされたとき、同時に『千と千尋の神隠し』が長編アニメーション部門でノミネートされたこともあり、かなり大きく取り上げられました。アニメーションといえば一番有名な映画祭はアヌシー国際アニメーション映画祭ですが、当時は全然知られておらず、『頭山』が日本人初のグランプリを受賞したときもリアルタイムではどこも記事にしなかった。でもアカデミー賞は全然違ったわけです。

ひらの 『頭山』は落語が原作ですよね。シュールな落語のチョイスがアニメーションにもすごく合っているし、日本的な要素もあったと思うんですけど、それも海外を視野に入れた作戦だったんですか?

土居 『頭山』は東欧圏のアニメーションの絵柄を思わせつつ、浪曲師が落語を語るというところでオリエンタルな要素も入り、なおかつエンターテインメント要素も高いというのがハマりましたね。

でも、いわゆる「作家」的な作品って、ノミネートはすれど受賞しないことが多いですね。『頭山』も受賞を有力視されながらも結局は『チャブチャブズ』という作品が受賞しています。このチョイスはいまでも語り草になっていますね。「なんでこんなのが受賞したんだ」って(笑)

ひらの 『チャブチャブズ』って見るからにスター・ウォーズのパロディみたいな部分があるし、映画にかかわっている人が映画をオマージュした作品に賞を与えているみたいなことが起きてるんでしょうか。

土居 やはりそこには、ハリウッド的なアニメーション観というのが関係しているのではないかと…。パロディというのは、カートゥーンアニメーションのひとつの基本なので、アカデミー会員的にもDNAに刻まれているので親しみやすい。

ノミネートから受賞作品を決める最後の投票は、アニメーション関係者だけではないすべての部門の会員によって行われるので、本当に革新的な表現というのは受賞しづらいんです。既存のアニメーション観がそのまま引きずられてしまうというか。

ひらの すごく難しい問題ですね。最後の砦がいわゆる固定観念の「アニメーション」で、そこから抜け出せないというのが残念です。けど一方で『頭山』のような作品がノミネートされることはあるっていう。

土居 アカデミー賞のチョイスの仕方は、みんな頭を抱える問題ではあります。アカデミー賞くらいに注目を浴びて一般的なレヴェルへのフックアップが行われるチャンスはないのに、一方で、受賞作品の選定に関してはアニメーション関係者からするとガッカリするようなチョイスになってしまうという、そのジレンマ。

山村浩二『頭山』|自分の頭にできた池に投身自殺するというシュールな同名落語を、故・国本武春の浪曲による語りでアニメーション化した。本作は商業的な成功を度外視し、アニメーションを表現の媒体として捉える「アニメーション作家」という存在をここ日本において知らしめることとなった作品。作者の山村浩二は、個人出資によりこの10分の短編作品を足掛け6年かけて完成。世界を代表する巨匠として現在は評価されている。(土居)

 

アカデミー賞の歴史は、アニメーションの歴史でもある

ひらの アカデミー賞において、短編アニメーションと長編アニメーションってどんな意味合いの違いがあるんでしょうか? みんながどういう視点でそれぞれのアニメーションを観ているのか、気になってきました。

土居 短編アニメーション部門は1932年に創設されたのですが、最初は「短編映画(カートゥーン)」(「Short Subjects, Cartoons」)という名前でした。短編アニメーション部門でいまと一番違うのは、30年代って、まだアニメーション=短編だったということですよね。アメリカにおける商業的な長編は、37年の『白雪姫』が最初です。いまだと短編部門はオルタナティヴな立ち位置ですが、むしろ当時はメジャーだった。アカデミー賞の最初の20〜30年をチェックすると、ほとんどディズニー、ワーナー、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)…と、名だたる商業スタジオの作品が並んでいます。しかもめちゃくちゃ質がいいものばかり。

そもそも商業的なものの主戦場が短編だったので、実写における「作品賞」的な華やかさがあった。ただ50年代からテレビの時代になって、メジャーな短編アニメーションがテレビにシフトすることで、趣がガラっと変わっていく。多様化の時代です。アカデミー賞は、アニメーションの歴史をたどるうえでも面白いし参考になる。

ひらの 短編賞っていうのがものすごくトラディショナルなものでありながら変化し続けているってことですね。

土居 1950年代はユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ(UPA)というスタジオの時代です。ディズニーのように奥行き・リアル志向ではなく、グラフィック性を強く押し出すスタイルが世界的な流行を生み出しました。1950年に受賞した『ジェラルド・マクボイン・ボイン』が象徴的な作品です。

これは効果音しか喋れない子どもが産まれちゃって、その子が苛められたりするんだけど、最終的にはラジオでスターになるっていう作品です。当時のメディア状況もわかる筋立てですね。ただグラフィック的に新しくとも、物語の構造自体は基本的です。

ひらの あまり実験的なものはそんなになかったということですね。

土居 1959年に受賞した『Moonbird』をつくったジョン・ハブリーはUPA出身で、アメリカインディペンデント界の巨匠みたいな人です。この作品も結構重要で、アニメーションドキュメンタリーの元祖だともいわれています。ハブリー夫妻の子どもたちがつくり話をする様子をこっそり録音していて、その音声を元にアニメーションをつくっている。子どもたちの喋る声が、そのままサウンドトラックになっているということです。『Moonbird』は、実験的な手法の作品も評価される時代の始まりを告げるものでもあります。60年代以降、アニメーション専門の映画祭も始まり、アカデミー賞にもアメリカ以外の作品が目立つようになってくる。1980年代までは、世界のインディペンデント系の作家の活躍が目立ちます。たとえば、イギリスのリチャード・ウィリアムズとか。

ひらの 世界中で生まれたアニメーションの映画祭がもっと革新的なタイプの作品を評価するという流れが生まれた、と。1969年はライアン・ラーキンの『ウォーキング』がノミネートされてますね。伝記本も読みましたが、アカデミー賞で若くして注目を浴びたけど、その後ドラッグやアルコール依存で転落していく…

土居 さきほどひらのくんが、「ピクサーが受賞するイメージが強い」と言っていましたが、ピクサーとアカデミー賞とのつながりは、ジョン・ラセターが1988年に『ティン・トイ』で受賞したところから始まっています。CGアニメーションの時代の始まりを告げるものでもありますね。ピクサーはその後、長編映画の前座としての短編アニメーションという伝統をつくり上げることになります。ディズニーやピクサーの映画を観に行くと必ず本編の前に短編アニメーションが上映される。ピクサーとしても、若い人に短編というかたちでチャンスを与え、新しい才能を育てることができる。そして、アカデミー賞をも賑わせている。

ひらの 毎回上映されますけど、たまに本編より面白かったみたいな噂も立ちますよね。

土居 その結果、本当に色々なタイプの短編作品が生まれて、1990〜2000年代はかなり多様性が生まれました。特に90年代のアカデミー賞は「黄金期」といっていいかも。ハリウッドのスタジオ製のゴージャスな作品もあれば、インディペンデントな巨匠たちの名作も並ぶという。CGアニメーションが進化することで、手書きvsCGという構図もできあがったり。そんな状況のなかで、2000年にドン・ハーツフェルトの『リジェクテッド』がノミネートされる。手描き感が溢れすぎていますね(笑)。当時は「制作費0円の作品がノミネートされた!」みたいな報じられ方もして、非常に話題になりました。

ひらの 『リジェクテッド』は、今年『レッド・タートル』で長編アニメーション賞にノミネートされたマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットの『岸辺のふたり』と同じ年なんですね。

土居 『岸辺のふたり』には負けちゃったけど、ノミネートされたおかげでハーツフェルトはアメリカでカルト的な人気を得ました。そこにはYouTubeをはじめとする動画サイト文化もかかわってくるんですが、アカデミー賞をきちんと「利用」している。ハーツフェルトはこの連載の別の回でしっかり取り上げたいですね。

短編アニメーション部門の歴代の作品は、プレイリスト化してみたらすごく面白いと思います。『アカデミー賞から見るアニメーションの歴史』って新書が書けるんじゃないかっていうくらい(笑)。

ライアン・ラーキン『ウォーキング』|短編アニメーションの制作者にとっての「聖地」カナダ国立映画製作庁(NFB)の伝説のスターによる、伝説の作品。「歩く」というベーシックな動きのバリエーションだけで一本の作品を作り上げた。若きラーキンはこの作品のアカデミー賞ノミネートで一躍スターとなり、授賞式でのやんちゃな態度もあって世界的な注目を集めたが、それによって精神的なバランスも崩してしまうことになる。ホームレスとして生活していた晩年のラーキンにインタビューをしたCGアニメーション『ライアン』がアカデミー賞を受賞するなど、彼の人生には常にアカデミー賞がつきまとう。(土居)

 

「長編アニメーション部門」がはらむ問題系

ひらの 短編アニメーション部門ってこれまでちゃんとチェックしてませんでしたけど、概観するだけでだいぶアニメーション史がわかりますね。アニメーションの進化と作家がどう賞を利用してサヴァイヴしたのかという流れが一気に見えるというか。ちなみに長編アニメーションはどうなんですか?

土居 長編アニメーション部門は意外と歴史が浅くて、2001年からなんです。

ひらの そうなんですね。てっきり『攻殻機動隊』とか『AKIRA』とか入ってくるかと思っていました。しかも作品リストを見るとピクサーばっかり受賞してますね(笑)

土居 結局、2001年より前って、そもそも長編アニメーションがそんなになかったんです。2001年に長編賞ができた直後には、「8本以上劇場公開がなかった年は長編アニメーション部門は無しにしよう」という規定もあったくらい。セルアニメーションの時代は、継続的につくれるスタジオがディズニーくらいしかアメリカにはなかった。それがCGアニメーションの時代になることで、長編アニメーションをつくれるスタジオが増えた。

ひらの でも日本では結構長編アニメーションもつくられていたんじゃないですか?

土居 海外で公開されるかどうかという問題もありますからね。あとはやはり、アカデミー賞会員が抱くアニメーション観が、日本のアニメのひとつの側面しか評価できていないというところもある。日本の作品って、まだジブリ以外、長編部門にノミネートされたことがないんです。

いま、世界的に長編が盛り上がっていることもあり、長編アニメーション賞は注目ですね。1990年代が短編アニメーション部門の黄金時代だったとすれば、最近は長編の黄金時代が来ているかも。受賞作品はほぼディズニーやピクサーでそのあたりはウンザリですが、ノミネート作品のメンツをみると、ハリウッドだけではなく、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』(トム・ムーア)、『父を探して』(アレ・アブレウ)、『アノマリサ』(チャーリー・カウフマン)、『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』(ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール、ベンジャミン・ラナー)といった、インディペンデントな体制でつくられた世界の作品が食い込んできています。通も唸らせるような作品たちです。アードマンやライカといった、ポピュラリティーとユニークさを両立させているストップモーションスタジオも常連ですね。

一方で、長編アニメーション部門ができたことによって、アニメーションが作品賞をとる可能性がなくなってしまうという問題もあります。たとえば、『美女と野獣』は実写と並んで作品賞にノミネートされていたんですよね。海外の長編アニメーションだと、外国語映画賞で受賞するチャンスもある。『戦場でワルツを』がそうでした。ハリウッド的なアニメーション観から外れた作品は、こちらの方がノミネートや受賞のチャンスが大きいのかも。

ひらの 『戦場でワルツを』は『おくりびと』に負けちゃったんですね。実写と戦う場がなくなっちゃうというのは、確かに寂しいといえば寂しい気もします。

パトリック・オズボーン『パール』|2017年のアカデミー賞では、例年になく多様な作品がノミネートされた。(受賞作品は「いつも通り」にディズニー、ピクサーだというのは閉口だったが…)。『Borrowed Time』はピクサーによる個人制作支援のプログラムを活かして作られたもので、360°動画によるアニメーション『パール』は『愛犬とごちそう』(ディズニー製作、『ベイマックス』の併映短編)でアカデミー賞受賞のパトリック・オズボーンの作品と、ディズニー/ピクサー周辺での勢力図が少しずつ変わりつつある兆しも感じさせる。『パール」は360°ということで技術的には新しいが、作品の筋自体は短編によくある「人生総括系」であり、物語の面での革新はやはりなかなか難しそうだ。(土居)

 

より多様なアニメーションの世界へ向かって

土居 それでも結局賞がとれないというのがアカデミー賞の限界ではありますね。「Cartoon Brew」というサイトがアカデミー賞に関するリサーチをしていて、アニメーションと関係ない部門の人たちがどういう基準で投票するかという記事が出ている。その結果が結構まずくて。要するにアニメーション自体がそもそも見下されているんですよ。投票を棄権する人も多いし、全部観ないでピクサーとかディズニーに入れとけばいいじゃんと考えている人がいたりする。「子ども向けだから関係ない」とか。

ひらの そこはアニメーションオタクの力を信じたいみたいなところもありますけど、オタクばっかりじゃないんですね、ハリウッドは。でも、今後変わっていく可能性はあるんですか?

土居 アカデミー賞にノミネートされたりすると、何年後かに入会の勧誘が来るんですね。昨年、日本からは山村浩二、米林宏昌(『思い出のマーニー』監督)、西村義明(『かぐや姫の物語』『思い出のマーニー』プロデューサー)の3人が会員になりましたし、ほかには『父を探して』のアレ・アブレウや『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のトム・ムーアも入ってきます。さらには女性や白人以外の割合が高まってるという流れもある。会員の勢力図が変われば、より多様なアニメーションが評価されるようになっていくのではないかと少しばかり期待しています。アカデミー賞はある意味で、アニメーション界の多様性が保たれるための命運を握っているわけですから。

ILLUSTRATION BY RYO HIRANO