増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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・過重労働の責任は議論の余地がない
事件となったような超絶な残業に加えたパワハラ、セクハラとおぼしき環境であれば、一方的に企業側の責任は明確です。生命や身体への危険については「安全配慮義務」として法律が定める企業の責任だからです。そこまでに至らない恒常的長時間労働ではどうでしょう。「部下が勝手に残業をした」「休めといっていたのに休まなかった」という言い訳が跋扈しますが、結果として健康を害するほどの就労環境を放置すれば、責任は明確に会社側にあるのです。

「昔はこうだった」「広告代理店はそんなもの」「死ぬまで働いて一人前」という反論は、法的に通用しないのは明確です。今回の事件だけでなく、ハラスメントと精神論の境目は、法律という線を引けばその正否は明らかなのです。精神論に意味がないといいたいのではありません。しかし価値観の違う主張をぶつけ合ったところで合意に至ることは難しく、こうした安全配慮の問題は今日明日にもすべての管理職の身に降りかかる可能性があるものです。

企業のコンサルティングでセクハラ問題に対処する場合、加害者側は「そんなつもりはなかった」「親近感の一部」などと言い訳をするのが普通です。この種の反論に理解を示す経営者もいるのですが、加害者の感覚や意図はセクハラ問題対処において関係がないことを説明します。やった行為が名誉棄損や侮辱になるかどうかで決まるのです。

「(セクハラは)イケメンなら無罪、ブサイクなら有罪という不条理なもの」という反論がありますが、イケメンなら無罪だと確定しているのではありません。同じことをイケメンがやっても無罪になる「場合がある」だけです。その逆もあり得ます。こんな頼りにならない根拠でコンプラアンス上重大な瑕疵となる行為をする方が愚かとしかいいようがありません。

・「技を盗め、背中で覚えろ」世代の価値観
私自身は昭和のサラリーマンであり、広告代理店ではないもののマーケティング職として、恒常的残業や徹夜作業も経験してきました。しかし管理職になり、部下を持ち、さらに人事コンサルティングに関与する過程で、自らの体験と現実環境の変化を理解していきました。

心情的に自分は「背中を見て覚えた」世代です。中小企業育ちの私に満足な新入社員教育など何もありませんでした。しかし何もなかったおかげで、自ら学ぶ姿勢や自分で解決する能力は身に着けることができました。上司や客から怒鳴られ、謝罪に奔走した経験は、コンサルタントとしての商売道具にすらなっています。

自分はそこから学んだというのはあくまで個人の経験であって、時代と環境が違う人に押し付けるものではありません。重要な点はセクハラと同じで、「価値観の強要」にあります。「好意」という価値観も、「教育上のアドバイス」という価値観もその中身が問題なのではなく、押し付ける行為が問題なのだと理解しましょう。

・昭和育ちの管理職の穴
現在経営者や管理職なっておられる方も私と同世代の方は少なくありません。昭和の時代に生まれ、子供のころ教師から理不尽な暴力やでたらめな精神論で育ち、社会人になった昭和末期はまだまだコンプライアンスの概念が乏しい時代でした。

しかし今、私のような個人に近いごく小規模の事業主が新しく取引をする場合、大手企業であれば反社会勢力との関係がない誓約書の提出を求められるのは普通です。総会屋との付き合いが非公然ではあっても見られた時代とは社会環境が全く違います。

部下を持っていても自らもが重い業績責任を持つプレイングマネージャーがほとんどと思われる現在の管理職。中にはコンプライアンス研修など、行かないと会社からチェックされるので嫌々ノートPCで内職しながら単に出席しているだけという方も、もしかしたらいるかも知れません。今回の過労死自殺は会社ぐるみの瑕疵と見なされているようですが、管理職として、自分自身を守るためにも、安全配慮義務はそうとうに重要だという認識が必要です。

こうした認識を持たずにトラブルが起これば、会社は平気であなた個人の責任だと言い出しかねません。ハラスメント対応は管理職である自分自身を守る上でも大事なのです。