身体中、注射痕だらけの母親と何十年も必死で向き合ってきた。だが、限界を迎えたとき「死んでほしい」と願う自分がいた。それでも、母親が孤独死した後、自身のクリニックを閉めてまで選んだのは、刑務所で「依存症」と向き合う仕事。母親が1度だけ流した涙の意味を悟った今なら、「救える」と信じて──。【写真】結婚式当日、父親に寄り添うドレス姿のおおたわさんと、少し離れた距離に立つ母親怖いと思ったことは1度もない