「レインボー」だけが多様性ではない

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 2月12日、東京都渋谷区が同性間のカップルに結婚相当の権利を認める証明書を発行する条例案を提出することを発表しました。普段、多くの方はあまり意識されていないかもしれませんが、制度面の話において、パートナーと配偶者であるか赤の他人であるかで、認められる権利の幅はかなりの程度違っています。

 ですので、実際には永年の交際や同居の実態があるにもかかわらず、同一名義で不動産を購入できないだとか、相手が病気や怪我で入院した際に面会権がないのに、もう何年も会っていないようなきょうだいなり遠い親戚なりが突如現れて云々……という事例に関しては、枚挙に暇がありません。

 そういう意味で、実際に異性愛者のような夫婦としての生活実態がある同性愛者のカップルに対し、その生活実態に制度を適応させるのは自然なことであり、筆者はこうした同性婚容認化の流れには概ね賛成で、歓迎されるべきものだとも考えます。

 ですが、筆者は正直このニュースの一報を聞いたとき、同性愛者の当事者の一人としてはやや複雑な心境で受け入れていたのも正直なところ。周囲のゲイの友人たちの反応を見ていても、どうにも手放しで祝福一色というわけでもなさそうなのです。

 ただ、同性愛者当事者が情報を発信するメディアでは祝福と歓喜一色の様子で、どうにも多くのゲイの受けている印象と、「ゲイコミュニティの代表」とされる所からの発表とに感覚の開きがあるのではないかと思い、今回このテーマで記事を書くことにしました。

冷静に受け止めている東京のゲイたち

 この条例案を受け、東京のゲイコミュニティは祝福と歓喜で湧いている、という反応が期待されていたのかもしれませんが、意外にも東京のゲイたちは非常に冷静なリアクションを見せている印象です。

 同性婚等に積極的に反対をするゲイというのもそんなに多くはないみたいですが、では反対に、日本や東京において積極的に自分たちの窮状を訴えて、同性婚の法制化などを猛烈に訴える、いわゆる「意思の高い系ゲイ」の声というのも、そんなに多数派ではないのが現状かと筆者は考えます。

 あるゲイの友人の一人がこのニュースを見たときに発した最初の一言が、「放っておいて欲しい」でした。またあるゲイの友人はSNSで、「俺らはこうやってノンケ化していくの?そしたら今みたいにお互いゲイだからって理由だけでいろんな人たちとすぐ仲良くなって一緒に新宿二丁目でお酒を飲んだり、ゲイのクラブに遊びに言ったりできるカルチャーは廃れて行くのかな。認められるのは嬉しいけど、既存の男女の文化の構造にそのまま回収されていくのはちょっと寂しい」という旨の発言をしていました。

 このように、この一報を聞いて手放しで喜びに湧くというリアクションもないわけではありませんでしたが、少なくないゲイ当事者たちが、理由は様々ですが「なんとなくしっくり来ない感」を感じていた様子でした。

 筆者も、同性婚賛成でありながらも、喜びよりも先に実はこの「なんとなくしっくり来ない感」を感じてしまった一人でした。ゲイコミュニティ内でも少なくない人が感じたこの「なんとなくしっくり来ない感」の正体を筆者なりに考えてみます。

 この「なんとなくしっくり来ない感」、同性婚の制度化によって逆にゲイコミュニティ内にすでにある多様なライフスタイルが失われるかもしれないことを、意外と多くのゲイが意識的/無意識的に察知している現れなのではないかと筆者は考えています。具体的には一体どういうことでしょうか。続きは後編にて。

著者プロフィール

ゲイライター

英司

東京・高円寺在住のアラサーゲイ。ゲイとして、独身男性として、働く人のひとりとして、さまざまな視点から現代社会や経済の話題を発信。求人広告の営業や人材会社の広報PR担当を経て、現在は自社媒体の企画・制作ディレクターとして日々奮闘中。都内のゲイイベントや新宿二丁目にはたびたび出没(笑)

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