『代打の神様 ただひと振りに生きる』(澤宮優/河出書房新社)
セ・パ両リーグの各時代の「代打の神様」10人の生き様を追う。

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水島新司のライフワーク、漫画『あぶさん』の連載が終了して、まもなく1年が過ぎようとしている。
40歳を越え、南海からダイエーへと球団が変わった辺りから年々超人化していったあぶさんこと景浦安武。それゆえ、南海時代のエピソードの方が人間味があって面白かった、と懐かしがるファンも多い。
その背景には、ひと振りにかける刹那的な代打稼業の生き様と、当時の南海とパ・リーグの独特な暗さや緊張感とマッチしていた点もあるだろう。

いずれにせよ、漫画『あぶさん』の存在が、プロ野球における「代打」という役割にスポットを当てた意義は大きい。
今も昔も、代打稼業に挑む男たちは、そのひと振りでチームの勢いを一変させ、球場の雰囲気までも変える力を持っている。
だから、惹かれてしまう。

昨シーズンだけを見ても、
引退を決めてから何度もチームを救った日本ハムの稲葉篤紀、
中日で代打の切り札として復活した小笠原道大、
阪神タイガースの代打の系譜を今に受け継ぐ関本賢太郎、etc.
彼らが打席に立つ瞬間こそ、その日一番の歓声があがることが多かった。

そんな男たちの生き様をまとめた本が出た。
『代打の神様 ただひと振りに生きる』。

著者の澤宮優は、これまでにもスカウト、三塁ベースコーチ、打撃投手など、球界をまぶしく照らすスポットライトの影になりがちな男たちをテーマに選び、その生き様を描き続けるノンフィクション作家だ。

本書では、
桧山進次郎(阪神)
高井保弘(阪急)
八木裕(阪神)
広永益隆(南海・ダイエー・ヤクルト・オリックス)
平田薫(巨人・大洋・横浜・ヤクルト)
秦真司(ヤクルト・日本ハム・千葉ロッテ)
町田公二郎(広島・阪神)
石井義人(横浜・西武・巨人)
竹之内雅史(西武・太平洋・クラウン・阪神)
麻生実男(大洋・サンケイ)
という、球史を代表する10人の「代打男」たちをピックアップしている。

たとえば、『あぶさん』を描くにあたって、連載前に水島新司がキャンプ取材にも訪れたという高井保弘(実際、『あぶさん』の中でも高井は代打のライバル、として何度も登場する)。高井の放った通算代打本塁打27本という数字は今でも世界記録だ。

そんな高井は1974年、当時の日本記録を更新する14本目の代打本塁打を放ち、同年のオールスターでも球宴史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を放った偉業について本書では振り返る。
この活躍がキッカケとなり、あるアメリカ人記者が「高井選手と“指名打者制” パ経営者に一考」と題したコラムを寄稿。実際に翌1975年からパ・リーグで指名打者制がはじまった、とする件は、勝負の流れも、球場の雰囲気も一変させる力を持つ代打男の力が球界のルールまでも変えた事例として勇気づけられる。

こうした個々のエピソードもとても興味深い。
ただそれ以上に本書の中で繰り返し取り上げられるのは、代打という職種における「準備力」の大切さだ。

「打てなかったらどうしようとも思いますが、どうしようだけでは駄目なのです。打つためにはどうしたらいいのか、準備を怠ってはいけないのです」と語り、監督の和田豊からも「準備の達人や」と言わしめた桧山進次郎。

「ピッチャーはマウンドで8球も投げるやんか。ブルペンでも投げるやろ。こっちにも準備がいるんじゃい」と言って、相手投手の癖を徹底的に分析し、何度もメモを確認してから打席に入っていた高井保弘。

「急に出番が来るわけですから、精神状態としてかなりの高揚感がありますから、逆に冷静さを保つ努力をしないといけません」と、心の準備の大切さを訴える八木裕。

「代打は割り切りや決断ができるかが大事な要素になります。迷ったら絶対に負けます。どっちかな、あっちかな、どうしようかなと思ったら絶対に苦しい。1球で絶対に仕留めるんだろいう積極性がないとね」と、捕手出身者らしい配球の読みまで含めた準備と備えの重要性を説く秦真司。

代打は、いつもチームがピンチの場面で出番がやってくる。
頼りにされる反面、失敗したときのダメージも大きく、レギュラー陣とは違って、挽回のチャンスはすぐにはやってこない。
だからこそ、悔いのないように準備に努めなければならない。

我々はよく仕事の中で「次こそ頑張ります」なんてことを軽々と口にしてしまうことがある。
だが、そんな台詞はいかに甘えた精神状態から発せられていたのか……そんなことを本書を読むことで痛感してしまう。

自分の置かれた立場、試合状況、対戦投手……それらすべてを冷静に分析しながら、勝利のために最善の策は何かを考えなければならない。
次のチャンスがいつ来るかわからないからこそ、その一打席のために最善の準備を行い、たったひと振りにすべてを賭ける。
一流が集まるプロの世界の中でも、これほど厳しい環境におかれた職種も珍しいのではないのだろうか。

高井の項では、水島新司のこんな言葉も紹介されている。
「こと一打席に関して言うなら、代打は日本一の四番打者である」。

2015年のプロ野球は、今まで以上に「代打男」に注目したくなる。
『代打の神様』はそんな一冊だ。
(オグマナオト)