川口能活 (photo by Tsutomu Kishimoto)

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今年1月、これまで所属したジュビロ磐田からFC岐阜へと移籍を果たした元日本代表GK・川口能活。日本が出場した4度のW杯で全てメンバー入りし、国際Aマッチ出場116試合を誇る日本を代表するGKの新たなる挑戦とは――。15日放送、テレビ東京「Crossroad」では、新天地でスタートを切った川口に密着した様子を伝えた。

同クラブの監督に就任したラモス瑠偉から声をかけられたことで移籍を決めたという川口は、番組のカメラに「ラモスさんから声をかけて貰った時はすぐに決めました」と語ると、「とにかくチームを探さなきゃいけない状況に突然なったので就職活動するしかなかった。ジュビロから契約しないと言われた時は屈辱的だったし、悔しさでいっぱいだったので。まだまだ出来る、力を証明したいと思っていてもプレーする場所がなければ次の道を考えなければいけない。引退するということも考えなければいけない」とジュビロ退団時の胸中を明かした。

そんなラモス監督からのオファーを「いや、本当に嬉しかったです。自分が本当にサッカーを辞めなければいけない状況まで追い込まれていた中で。J1とかJ2とか関係なく、自分が必要とされるクラブで自分がプレーしてまだまだできるというところを見せる。岐阜のために全てを捧げたい」と話す川口は、キャプテンという立場で迎えられたことも含め、「自分が経験してきたことを伝えられる。それを選手たちが聞いてくれるっていう、これは本当に大きな喜び」と続けた。

しかし、その生活環境は全盛期に程遠い過酷なものだった。番組では、岐阜市内で単身赴任をする川口が、ほぼ毎日の朝食を(練習までの消化時間を逆算し)早朝6時にすき家で済ませる様子や、クラブハウスもシャワーも専用グラウンドもないクラブでの練習後、近くのスーパー銭湯に寄る様子、さらには質素で何もない岐阜の1Kアパートも公開。それでも当の本人は「練習から帰ってきて、テレビ観て休めれば僕にとって十分。サッカーやるために来たし」と意に介さない。

そんな川口のモチベーションはどこにあるのか。グローブに綴られた家族の名前を見せると、「グローブを付けた時に見ますから。常に家族の存在っていうのはあります。二人目も産まれて、家族と居たい時じゃないですか。そこで離れ離れっていうのは、ちょっと不安だったり寂しさはありました」と複雑な想いを吐露するも、「子供にとってパパが近くにいるほうが絶対いい。僕のわがままを聞いてくれる娘がいて、嫁も二人の子供を育てながら、僕の好きなサッカーをやらせて貰って感謝の気持ちで一杯」と語りつつ、選手としては「そこ(日本代表)を諦めたことは一度もない」、「いつかはJ1に復帰して、そしてまた代表を狙う」と飛躍を誓った。